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はじめに
私には、昔からタトゥーを入れてみたいという思いがあります。
しかし、日本でタトゥーと聞くと、どうしても付きまとうのはマイナスイメージばかりです。
反社、暴力団、不良…などなど。犯罪とワンセットで考えられることが多い気がします。
しかし、世界ではタトゥーは決して犯罪や、マイナスイメージだけではないことがあるのです。
マオリ族のタトゥーの入った女性アナウンサー誕生
日本国内の状況からは実感できないかもしれないが、世界の有名スポーツ選手たちのタトゥーへの熱狂ぶりを見ればわかる通り、国際的にはタトゥーはポップカルチャーとして広く定着しており、個人のファッションや趣味に留まらず、残されるべき民族文化を象徴するものとして、強烈なメッセージを発信できるものになっているのだ。記事のように、彼女にマオリ族としての勇気とプライドに惜しみない称賛を贈ったことは言うまでもない。
なぜ日本ではこんなにもマイナスなイメージで扱われがちなのでしょうか?
「タトゥー=刺青」が日本で根付いたのは、縄文・弥生時代から存在していたそうです。
そもそも「入れ墨」は「刺青(しせい)」と呼ばれ、神聖なものとして扱われていました。江戸時代には、職人たちのファッションとして、入れ墨が流行り、とび職や飛脚などの江戸の職人たちの❝粋❞の象徴となりました。
しかし、それと同時に、軽犯罪者に入れ墨を入れる罰則ができたこともあり、入れ墨に対するマイナスなイメージがついていったといわれています。
その後は、暴力団員などが入れ墨を入れていることから、「入れ墨=ヤクザ」というイメージが、昭和にかけてもたれ、1991年に❝暴力団対策法❞が公布されると、それまで❝粋の象徴❞とされた入れ墨が、❝ヤクザの象徴❞とイメージが固定されていったのです。
伝統としての刺青
ハジチ
「ハジチ」とは琉球王国時代から明治末期まで、沖縄で広く行われていたいわゆる女性の刺青であり、沖縄固有の風習である。
竹針で突いて墨を入れていくことから漢字では「針突(ハジチ)」と呼ばれており、その職人のことを「針突師(ハジチャ―)」と呼んでいた。
このハジチとは女性が結婚をすると手の甲、指、ひじに刺青をする習慣があり、いわゆる「成女儀礼」を意味している。
結婚するとハジチをいれるという風習もあったが、13歳ころから少しずつ刺青を増やしていき、婚約したらその文様を完成させることも行われていた。
引用:沖縄の歴史文化深掘り研究
アイヌ民族
アイヌの女性たちは、入れ墨をしていました。この慣習は、1799年に日本政府から禁じられていたのですが、1998年にアイヌの最後の入れ墨女性が死亡するまで存在しました。
伝統的な入れ墨の為に政府の命令を無視していたのです。
女性の唇の周りに彫られた入れ墨は髭のような印象の入れ墨ですが、そもそもは未婚の女性が夫を引き付けるのを助け、美徳の徴候とみなされました。
唇は樺の樹皮と澄んだ水の沸騰した溶液で洗われ、小さなナイフカットに調理灰を注入することによって作られました。
最初のカットは、2〜3歳の時に女の子の上唇の小さな半円形に作られ、彼女が結婚するまで毎年いくつかの切開が加えられました。
樹皮のクロスで飽和した布で血を拭き取り、調理釜の底からバーチ材のすすを傷口に摺りこんでいました。
これは刺青に青い色を与え、神聖な火から来て、口と鼻に入る悪(悪しき者)からの保護をすると信じられていた為です。
引用:アイヌ タトゥー
このように、伝統として刺青をいれる民族は、日本にも存在しました。しかし、令和の現在では、残念ながらその姿を見ることはできません。
私がタトゥーをいれたい理由
私がはじめてタトゥーをいれようと思ったのは、20歳の頃です。まだ若く、ピアスを何個もあけて、タトゥーも入れればきっと強い自分になれると信じていたからです。
入れよう入れようと思いながら、もう10数年がたちました。
私を躊躇させるものは、やはり世間のイメージだと思います。どれだけ、タトゥーへの理解がすすんできたとはいえ、長年しみついたマイナスなイメージは、払拭できないのでしょうか?
私は、まだタトゥーを入れたいと思っています。しかし、世間のマイナスイメージを払拭できるほどの力がなく、諦めている状態です。もうすぐ、年齢的に一区切りを迎えます。その時に、またタトゥーについて思いをはせたいと思うのです。
参考サイト
下顎にマオリ族のタトゥーを施した女性アナウンサーが誕生。世界が絶賛する一方、日本は
“タトゥー”への偏見は覆るのか? 日本における“入れ墨”の歴史と今 | ORICON NEWS
「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」の展示会|Link-U (asahi.com)
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