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「江ノ電」に乗った
都会の生活に疲れると、友達と「江ノ電」に乗った。
始発の鎌倉から終点の藤沢までただ電車に乗るだけである。
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乗りに行ったその日は夏で蒸し暑い日だった。
その当時、「江ノ電」は古い車両がまだ現役で活躍しており、冷房があまりきかない。
だから、窓全開にして走る。窓から虫やら、葉っぱやら入ってきても関係ない。洗濯物を干していたり、普通に日常を暮らしている住宅街の中を突っ切って走る。
途中から、海が見えるようになる。もっと進むと窓から見える景色が海と空しか見えなくなるときがある。その風景が私は好きだった。
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「空が広い」と感じる。
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久留米の空も広い
久留米の空も広い。初めて来て驚いたのは空気が軽いことだった。呼吸をすると楽に息が吸える。都会でどんだけ汚れた空気を吸っていたんだろうと思った。久留米で、すれ違ったキャリーバックを引いている観光客らしき人も口々に「空気がキレイ」と言っていたから私だけの気のせいではないようだ。
離れてみないとわからないことがある。
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離れてみないとわからないことといえば、久留米では足が不自由な人をよく見かける。私が住んでいた都会ではあまり見かけない光景だ。東京の人は歩くのが早い。ノロノロ歩いているとキャッチサービスやら、キャバクラのスカウトやら、ナンパやら、アンケートやら、「もう、私に一体なんの用があるの?」って人たちから声をかけられる。そこで立ち止まってはいけないと友達から教えられる。それは暗黙の了解で、立ち止まったら最後、しつこく何かを勧められるらしい。
久留米はゆっくり歩いていい土地柄なんだろうなと思った。
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こちらに引っ越してきたとき、海が近くにないことになんだか落ち着かない気持ちになった。しかし、遠くに見える山に囲まれているとそれはまた違った心休まる気持ちになった。緑に囲まれているから空気がキレイなのかもしれないなと思った。
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生まれ育った街
生まれ育った街だったが、高い建物がひしめき合って空が狭くいつも広い場所を探していた。それはビルの屋上だったり、海が見える公園だったり、あちこち一人でウロウロ歩いていた。
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人と人との距離が近い都会では、見て見ぬふりをしないといけないことが多い。満員電車でギュウギュウと赤の他人と密着しなければならない日常で、修行僧のように瞑想しながら通勤しているサラリーマンなんてざらにいる。私もドア付近にいると痴漢に遭いやすいことを学習し、車内の奥の方にグイグイ行き、人と人の空間が比較的空いているので潰れることもなく、揺れに身を任せながら通学していた。降りるときは落ち着いて降りれば、皆慣れたものでどいてくれるのだった。
「乗り物は降りる人が先」というルールを躾けられ、従順な犬のように「待て」の顔をした都会の人々に「毎日お疲れ様です」と声をかけたくなるような気持ちになる。
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満員電車の窓から覗く空を見つめ、UFOでも飛んで来ないかなと訳のわからない空想に耽ったものだった。たぶん、そのころ聴いていたJポップにそんなような歌詞があったからかもしれない。空から何かが降ってくる、お姫様が降ってくる、ってなんかどこかで聞いたことある話だなーと、厨二病な想像をして狭苦しい現実から逃避していた。
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満員電車の呪縛
今は満員電車の呪縛から解き放たれている。1時間に1本しかこない電車も慣れればなんてことないことだった。以前は5分おきにくる山手線でさえ待てずイライラしていたのに。
環境が変われば、人も変わるものだ。「置かれた場所で咲きなさい」なんて誰かの言葉があるが、人間は足があるので歩いて移動すればよい。自分に合った環境ってものがある。私は故郷のない、根無草のようにふらふらと飛んでいき、ここに辿り着いたのだ。
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