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私は小学五年生まで、鹿児島で過ごした。
優しい街だった。
厳しい街でもあった。
美しい街でもあったし、カッコいい街でもあるし、私はとにかく、その街が大好きだった。
桜島がどこからでもいつも見えて、私たちを悠然と眺めているようだった。
私にとって、桜島は、お母さんのような存在だった。
私たちを、いつも見下ろして、時に厳しく、時に優しく、そこに佇んでいた。
長渕剛の桜島。
私はあの曲が大好きだけれど、私にとっての桜島と少し違う。
だけど、長渕剛には長渕剛の桜島があるんだろうし、きっと鹿児島に住んでいる人には、桜島にそれぞれ思うところがあるんだと思う。
とにかく私にとって桜島は、母だった。
大好きな母だったのだ。
小学五年生の時、私たち家族は、引っ越す事になった。
私たちの鹿児島との別れの日、桜島に虹がかかっていたらしい。
転校した私は、新しいその場所で馴染めなかった。
不登校になった。
辛い時、私はケータイの待ち受けを、桜島にした。
ノスタルジックだね、と誰かが笑うかもしれない。
だけど、私はすがるおもいで、そんな事をしていた。
鹿児島に帰りたい。
そんな事をおもって、よく泣いていた。
そんな私を勇気付けるために、お父さんとお母さんは鹿児島に連れて行ってくれた。
久しぶりの鹿児島は、変わらずそこにあった。
いつも見ていた錦江湾も遊んでいた公園も住んでいたマンションも。
みんなそこにあった。
でも、何かが違った。
もうここは私の場所じゃない、もう帰ってきてはいけない場所なんだ、そう思ったのだ。
ふと桜島をみると、桜島は、もう私たちを優しく見つめてなんかいなかった。
「帰りなさい。」
「うしろを振り向かず、前に進みなさい。」
そう桜島が厳しく言っているようだった。
嘘と思われるかもしれないけれど。
私には絶対そう聞こえた。
そうして、私は鹿児島と本当の意味で別れを告げた。
潔く、新しい場所で生きていこう。
もう鹿児島には帰らない。
新しい街で懸命に生きていこう。
その時、そう思った。
初めて覚悟ができた。
その数年後、やっと私は新たな街に慣れることができた。
優しい人々に囲まれて、心から幸せ、と言える毎日を過ごせるようになった。
いろいろな事を教えてくれた桜島。
桜島は、私にとって、永遠に母だ。
もう、会わないだろうけども、ずっとずっと母だ。
最後まで、桜島は私に、本当の意味で優しかったのだ。
私は新しい街で、幸せになれたから。
自分の手で幸せをつかめたから。
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