パラリンピックの歴史や注目競技の紹介!

パラリンピック

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1.そもそもパラリンピックって?

  2020年8月25日に開幕する「2020年東京パラリンピック」まで、残り1年を切りました。

 今回は、「言葉は知っているけど、そもそもパラリンピックって何なの?」という素朴な疑問から、パラリンピックの歴史、パラリンピックの注目競技などについて、一緒に学んでいきましょう。

 パラリンピックは障害者を対象とした世界最高峰のスポーツ大会で、4年に1度、夏と冬に開催されるオリンピックと同じ年、同じ都市で開催される大会です。もともとはリハビリテーションとして始まった障害者スポーツですが、現在では競技スポーツへと発展し、パラリンピックは、今や、オリンピック、サッカーワールドカップに次ぐ世界で3番目に大きなスポーツ大会となりました。

 パラリンピックという言葉は、もともとは、「パラプレジア(Paraplegia、脊髄損傷などによる下半身麻痺者)」のためのオリンピック(Olympic)という言葉を意味しており、このパラリンピックという名称は1964年の第2回東京大会から使われるようになりました。そして、現在では、「パラレル(Parallel、もう一つの・平行の)」のオリンピックという意味が込められています。

 パラリンピックのシンボルマークは、「スリー・アギトス」と呼ばれてます。アギトスとは、ラテン語で「私は動く」という意味です。スリーとはシンボルマークに使われる赤・青・緑の3色の色を意味し、この3色は世界の国旗で最も多く使用されている3色ということで選ばれています。

 中心を取り囲むように位置する3色の曲線は、「動き」を象徴したもので、世界中から選手を集めるという「パラリンピック・ムーブメント」の役割を強調したものです。パラリンピックの大会を通して、世界中の人々の気持ちや、社会のあり方を良い方向に変えていこうとうする活動が、このパラリンピック・ムーブメントの取り組みでもあります。

パラリンピックの4つの価値

 2012年の第14回ロンドン大会で、国際パラリンピック委員会はパラリンピックが持つ「4つの価値」を示しました。

4つの価値

〇勇気・・・自分の可能性を信じて、困難や勝負に立ち向かう精神力
〇強い意志・・・目標を定めて、最後まであきらめずにやりぬく力
〇公平・・・障害の有無に関わらず、すべての人が尊重し合い、さまざまな機会を得られる社会を目指すこと
〇インスピレーション・・・アスリートとしての生き方を通して、見る人に勇気と感動を与えること

2.パラリンピックの歴史

(1)ストーク・マンデビル病院

 第二次世界大戦中のイギリスでは、戦争で脊髄を負傷し、両足が動かせなくなる兵士が増えつつありました。

 彼らのために、1944年、当時のイギリスのチャーチル首相は、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院に脊髄損傷科を開設します。この病院の敷地内には競技場がつくられ、この場所がパラリンピック発祥の地とされています。

 現在でもこの場所はストーク・マンデビル・スタジアムとして、障害者スポーツのトレーニング拠点となっています。2012年のロンドン大会でも、この施設で多くの選手が調整を行いました。今でもこの場所は、イギリス国民からパラリンピックの聖地として大切にされています。

(2)パラリンピックの父

 ストーク・マンデビル病院の脊髄損傷科で初代科長を務めたのが、ルードウィッヒ・グッドマン博士です。彼は、患者などに対して「車いすよりもスポーツを」と説き、治療にスポーツを積極的に取り入れました。

 「私がこれまで医療実績としてひとつやりとげたことがあったとしたら、それは障害者のリハビリテーションにスポーツを取り入れたことだろう」、「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に活かせ」などの言葉を残した博士は、「パラリンピックの父」といわれています。

(3)パラリンピックの原点

 パラリンピックの原点とされるのが、1948年7月にストーク・マンデビル病院で開かれたアーチェリー大会です。大会を開いたグッドマン博士は、参加した16人の車いすの参加者に、「将来、この大会が障害のある選手にとって、オリンピックと同じくらい重要な国際大会になるように」との目標を語りました。

 このアーチェリー大会は、その後も毎年開催されました。そして、1952年の大会からはオランダの選手も参加し、その後も、ベルギー、イタリア、フランスと参加国を増やしていきました。

(4)第1回大会は1960年ローマ大会

 1960年、グッドマン博士が会長となり、国際ストーク・マンデビル大会員会が設立されます。同じ年、ローマでオリンピックが開催されたのですが、それと同じローマで、第9回国際ストーク・マンデビル大会が23か国、400人の参加者によって開催されました。

 この大会こそが、1989年に国際パラリンピック委員会が設立されたとき、第1回パラリンピックと位置づけられた記念すべき大会です。

(5)「パラリンピック」の名称は1964年東京大会から

 1964年は東京オリンピックが開催されましたが、このときに国際ストーク・マンデビル大会も東京で行われました。この大会から、パラリンピックという言葉が初めて使われるようになりました。

(6)国際身体障害者スポーツ大会への発展

 初めは車いすの選手のみの参加だった大会でしたが、1976年のカナダ・トロント大会から、視覚障害者や手足を切断した選手たちも参加できるように参加資格の枠が広げられました。

 またこの年、スウェーデンのエーンシェルドスピークという都市でパラリンピックの第1回冬季大会が開催され、パラリンピックの冬季大会も始まります。

(7)国際パラリンピック委員会の設立

 1981年、国際連合がこの年を「国際障害者年」と定め、その年を契機に障害者に対するさまざまな施策が取り組まれましたが、そのなかには「障害者の完全参加と平等」という理念が謳われていました。これを受け、世界では、「障害者のスポーツの参加率を上げていく」、「障害者も競技性の高いスポーツを行っていく」という機運が高まっていきました。

 この流れを受けて、1989年9月、ドイツに国際パラリンピック委員会が設立されたのです。

(8)もう一つのオリンピックとして

 そして2001年、国際オリンピック委員会と国際パラリンピック委員会の両会長によって合意文書が作られ、正式にパラリンピックは「もう一つのオリンピック」として位置づけられることになりました。

 その後は、オリンピックとパラリンピックの連動が正式に図られることになりました。

3.パラリンピックの注目競技

(1)ボッチャ

 2014年に公開された映画『抱きしめたいー真実の物語ー』の中で、左半身の麻痺と記憶障害をかかえる女性を演じる北川景子さんが映画の中でやるスポーツが、このボッチャです。脳性麻痺、手足や体幹に障害をかかえる肢体不自由の障害者が参加します。

 ジャックボールと呼ばれる白い目標の玉に向かって、赤と青のボールを互いに投げ入れて、目標となる玉の近くにボールを投げた選手に得点が入ります。

 手で投げることができない選手はボールを足で蹴ったり、「ランプ」と呼ばれる滑り台のような道具を使って転がしたりします。ランプの高さや方向を調整するときは、競技アシスタントと呼ばれる介助者が補助してもいいですが、選手にアドバイスしたり、コートの方を向いたりすることは禁止されています。

(2)ゴールボール

 もともとは視覚障害者のリハビリテーションのプログラムから生まれた競技です。

 1チーム3人で、コートと同じ幅(9m)のゴールを背に向き合い、鈴が入ったボールを交互に投げてゴールに入った得点を競い合います。選手は全員、目隠しをつけてプレーします。

 攻撃側は相手ゴールに向かって投球し、守備側は相手選手の足音やボールの中の鈴の音をたよりに全身を使ってゴールを守ります。

 コートのラインにはテープが引かれていて、その下に細いひもが張られています。選手はそれをさわることにより自分の位置を確認してプレーします。

 音をたよりにプレーするので、観客は声を出して応援することは禁止されています。

(3)ウィルチェアーラグビー

 バスケットボール、ラグビー、アイスホッケーなどの要素が盛り込まれた車いすでの競技です。手足に障害のある車いすの選手が、1チーム4人で相手側のゴールラインまでボールを運び、得点を競います。

 コートはバスケットボール用のコートを使用し、ゴールラインは8mです。ボールはバレーボールと同じものを使います。

 ボールの運び方は、「蹴る」以外は認めらており、投げる、打つ、転がすなどさまざまです。通常のラグビーと異なり、前方へのパスが認められています。

(4)5人制サッカー

 視覚障害者によるサッカーで、ブラインドサッカーとも呼ばれています。各チーム5人、前後半25分で行わます。

 選手はゴールキーパー以外は全員、全盲の選手で、ゴールキーパーは視覚障害のない選手や障害の軽い選手が担当します。フィールドはフットサルコートと同じ大きさで、サイドラインにはフェンスが設けられているため、ボールがフィールドの外に出ることはありません。

 選手は鈴の入ったボールの音やゴールキーパーの声をたよりに、またはコーラーと呼ばれるサポーターが相手側のゴールの裏に立ち、ゴールまでの距離や方向、相手選手の位置などを声で味方に知らせます。選手も、ボールを持っている相手に近づくときは、「ボイ(スペイン語で“行く”という意味)」と声をかけなければいけません。

(5)シッティングバレーボール

 足に障害のある選手が座ったままの姿勢で行う6人制のバレーボールです。座ったままでもプレーできるようにネットの高さが男子1.15m、女子1.05mと低く設定されており、コートも狭いです。

 レシーブ以外でおしりが床から離れると反則となります。

4.最後に~2020年東京大会に向けて~

 2020年パラリンピック大会に向けては課題もあります。12年のロンドン大会やリオデジャネイロ大会の影響について調査した研究者は、パラリンピックの影響で「高度な運動能力を持つパラリンピックの選手と、そうでない普通の障害者との間の隔たりが生じている」ともいっています。「パラリンピックが来ても、みんなスポーツを見に来ているだけ。障害者に助け舟を出してくれる人は少ない」という声も聞かれます。

 パラリンピックに向けて、公共施設や交通機関などの施設のバリアフリーは進んでいると思います。しかし、東京都による調査によると、路上や交通機関で障害者や高齢者が困っているの見かけたときに、「積極的に声をかけ、手助けをする」と答えた人は全体の2割にとどまっているそうです。

 今後は、施設のバリアフリーと同様に、「人の心」のバリアフリーがより取り除かれるといいですね。

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