【体験談】難聴と共に歩んで - 「重度難聴者」になるまでの仕事と補聴器の変遷 -

書類を見比べながら笑っているビジネスマン

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こんにちは、金次郎です。

「難聴」で障害者手帳が交付されて10年目になりました。
就労継続支援A型事業所勤務も、勤務開始から2年で閉鎖されてしまった前事業所と、今の事業所と合わせて10年になります。
その10年でも、私の難聴は「高度難聴」から「重度難聴」へとより重い状態へと進行しています。
多分、60歳を超えてからは加齢性難聴も加わって来ているのでは?と感じています。
このまま年齢を重ねて行くと「いつかは、全く音が聴こえなくなってしまうのかな?」なんて、考えていると「ゾッと!」とする気分になります。

今回は、「難聴になる前と難聴を抱えながら働いて来た、併せて40年の仕事自分史」を書いてみました。
私の体験談から「病気や怪我の治療は、自分で勝手に判断すると後で後悔するかもよ?」と言う事を学んで下さい。
 

「難聴」になる原因を放置してしまった、パニック発作時の行動

事の起こりは、今から約40年前の新卒で入社した会社での東京事務所勤務時代の話です。
通勤電車に乗っている時に、急に動悸や吐き気がしてきて気分が悪くなってしまいました。
会社の保健婦さんのアドバイスで大学病院に行き、医師に勤務状況や休日の事を話したところ「過労によるパニック発作でしょう、少し休みなさい」と言われました。

このパニック発作を起こした時にめまい耳鳴りも有ったのですが、私は「パニック発作の症状の一つなんだろう」と勝手に思い込み、大学病院でも医師に話さず放置してしまいました。
当時は、これがのちの「難聴」につながる原因だとは全く思っていませんでした。

パニック発作は3年間の東京勤務から戻っても度々起こしており、酷い時は車を運転中にも起こしてしまうなど危険な目にも会いました。
それで、入社後4年目には精神科の病院に入院する事になりますが、この当時はまだ「難聴」は発生していませんでした。

難聴と共に歩んだ、この30年間の仕事と補聴器の変遷

退院後は、復職に際して配置転換をしてもらい、新入社員やお客様向けの教育をする仕事に就きました。
これは、東京勤務時代に商品(ソフトウェア)を購入して頂いたお客様に、商品の使い方などを教える事をしていましたので、人に教えると言う事に面白さを感じていたからです。
やりがいを感じながら意気揚々と仕事に取り組んでいたのも5年ほど。

世の中が不景気になり、勤務していた会社も「当面、新入社員は採らない」と言う事になり、教育の仕事も無くなり教育とは関係の無い仕事をさせられていました。
この頃から「なんか少し耳の聞こえが悪いな?」感じることが多くなりました。
それで保健婦さんに相談しましたが「補聴器でも着ければ」と言うだけの簡単な返答。

しかたなく、自分で補聴器を扱っているメガネ屋さんに行って相談し、初めて軽度難聴用の補聴器を購入して着け始めました。
やりがいを感じられなくなった、その会社を退職した後は福岡県に戻って来まして、今度は教育の経験を活かして、就職支援の仕事に就きました。
若者の就職支援施設とハローワーク、どちらも5年契約の職員としてアドバイスや職業紹介の仕事をしました。
今考えると、自信無さそうにボソボソと小声で話す若者の話しを聞いたり、ハローワークでは相談者の希望する会社に電話をかけて面接日を設定し紹介状を発行するなど、今の耳の聞こえの状態から考えると「人の悩みを聞く仕事なんて、よくこなせていたもんだ」なんて思っています。

そのハローワークの契約期間終了近くには、難聴の程度もかなり進んでおり、軽度難聴用の補聴器から出力が大きい中度難聴用の補聴器に買い替えて着けていました

補聴器の種類や形については、過去に書いた記事をご覧下さい。

「障害者手帳」取得後から現在の状況

そして遂に2016年(平成28年)耳鼻科の医師から「今の聴力ですと障害者手帳が取得可能な状態です」と告げられ、手帳の交付申請を行いました。
9月14日手帳が交付されると、市内の相談支援事業所から職員さんが来宅して、手帳取得のメリットデメリットの説明とA型事業所の紹介を受けました。

そして、年が明けた2017年(平成29年)から居住地市内のA型事業所に勤めだしました。
初めての障がい者向け事業所での勤務でしたが、そこは作業員12~13人ほどの小さな事業所でして、仕事内容もデパートの紙袋を作成したり、ネットオークションへの商品出品などをしました。
でも、それだけでは事業所を運営していけるほどの利益は出なかったのでしょうね。
勤務を開始して2年で閉鎖されてしまいまいした。

閉鎖の日までの1ヶ月間は、事業所主催の他事業所見学会でした。
見学会とは別に、私自身もハローワークで求人検索をして何ヶ所か見学に行きました。
そして、現在の事業所に決め面接試験を受けて今に至っている状況です。

終わりに

去年秋ごろ、それまで使用していた右耳の補聴器では聞こえにくくなっている事から、聴力検査を受けてみました。
結果は下の画像を見てもらうと分かりますが、[ ]で表している左耳の聴力は5年前とほとんど聴力の変化は無いのですが、〇と×で表している右耳の聴力は低音域から高音域の真ん中辺りの1000Hz帯だけ、青の矢印の95㏈から赤の矢印の110㏈へと、ポコンと一気に15㏈(デシベル)も聴力が落ちていました。
耳鼻科医からは「加齢から来る、聴力低下の可能性も否定できないです」と言われまして、総論で私が思っていた通りの事を言われました。

聴力検査結果のグラフ

検査結果を補聴器屋さんに持って行き相談すると「これはもう右耳は高度難聴の域から重度難聴になっていますね」と言われ、重度難聴用の補聴器作成を勧められました。

と言う事で、若い時「パニック発作」を起こした時に有った「耳鳴り」を放置してしまったが故に徐々に聴力が落ちて行き「重度難聴者」にまでなってしまい現在に至ります。

聞こえにくくなったと感じたのは、いつも見ていたテレビ番組のオープニングテーマ曲の細やかなメロディ部分が、キチンと聞こえなくなった事からです。
・今までと同様に、新しい補聴器に買い換えたら、また聞こえる様になるだろう
と、聴力が低下して行く事に関しては今まであまり気にせずに、楽観的に考えていました。
しかし、今回は補聴器を新調した後に曲を聞いても細やかなメロディ部分が聞こえる様になる事は無く、初めて「ここまで聴力が落ちてしまったのか」と、かなりショックを受けました。

たらればの話しになってしまいますが「耳鳴りが有った時、キチンと治療していれば」と後悔先に立たずです。
ですので、皆さんも何か病気や怪我をした時は、納得するまで治療して疑問に思う事や違和感を感じる事は、自己判断せす恥ずかしがらずにドンドン医師や専門家に聞きましょう

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