この記事は約 6 分で読むことができます。
皆さんこんにちは。Pinkです。私は「うつ病」と診断されるまで、診断されてからも含めると、約30年近く「一般就労」で働いてきました。
その中でいつも感じていたのは、本当に自分が「やりたい仕事」に就くことは難しいということです。「現実」はそう甘くありません。
今回は、「やりたい仕事」はあるけれど、難しい「現実」に直面した時の気持ちについて書きたいと思います。
初めての就職
高校を卒業後、「事務」がしたいと思って入社した建設関係の会社では、土地家屋調査をしているところだったので、図面を書いたり、製本したりと全く事務とは違う仕事でした。
備品の注文などはしていたのですが、「事務」の仕事は、経理の人が1人いるだけの会社でした。
私が通学していた高校では、当時にしては珍しく「トレース科」があったのですが、「商業科」だった私は、「トレース科」に来ていた求人に応募したことがわかりました。
父が左官だったこともあり、建設関係の会社で働きたい気持ちがあったので、最初の確認不足だったと思います。早く働きたいと思って焦ってしまった結果でした。
その会社で数年働いた後転職して、念願の「事務」の仕事に就いたのですが、不動産関係の会社で、そこでも、「事務」とは別にマンションのモデルルームの受付をすることもありました。
また、グループ会社がいくつかあったので、賃貸マンションの紹介をする不動産会社へ移動になったタイミングで、退職をしました。
このように、私の就職はなかなか思うように上手く行きませんでした。
その後何度も転職を繰り返すことになるのですが、ようやく長く務められる会社に就職した後、「ストレス」が原因で「うつ病」になりました。
職安での就活について
十数年一社で働いていた私は、十数年ぶりの就活で、「職務経歴書」が必要であることや、まずは「履歴書」と「職務経歴書」を郵送して、それに通って初めて面接ができる事に驚きました。
以前は、求人票を提出すると、職安の人が先方に電話をして、面接の日程を決めるということが殆どだったからです。
なかなか仕事が決まらない中、様々な派遣会社に登録したり、市役所の臨時職員に応募をしたりして、何社かの会社で働いたのですが、どの会社も長く続けることができませんでした。
その後、「障害者手帳 精神3級」を取得した私は、「障害者雇用」で就活をするのですが、年齢的なこともあり、思うようには行きませんでした。
「やりたい仕事」が見つかっても、年齢が限られていたり、場所が遠かったりして難しかったのです。
そこで、職安の相談員さんに相談した時に、「就労移行支援事業所」へ行くことを勧められて、約1年通所することしました。
相談員さんから言われた言葉で、今でも覚えている言葉があります。
「事務で働くには、よほどのスキルがない限り難しく希望者が多い」「他の業種を選択肢に入れてみてはどうか」ということです。
この時に私は「やりたい仕事」に就くのは難しいという「現実」を受け入れることができませんでした。
理解することはできても、「やりたい仕事」に就きたいと思う気持ちは大きく、勤務地の範囲を広げて、職種も「事務」にこだわらずに、他の職種を検討したらいいのかとても迷いました。
自分はどうしたいのか。「就労移行支援事業所」では、リクルート担当の支援員さんから、「障害者雇用」の会社を紹介して頂いたり、実習に行ったりしました。
希望していた事務で内定が決まったところもあったのですが、勤務先が自宅から遠く、通勤時間が無理だと判断し辞退することになりました。
そのような時に、職安で「TANOSHIKA CREATIVE」の求人を見つけた私は、ライティング業務をしたいと思い、「就労移行支援事業所」のリクルート担当の支援員さんに伝えました。
支援員さんからは、「内定が決まっていたところを再度検討できませんか?」と言われたのですが、事前に自分で「見学」「体験」に行っていた私の意思は固く変わりませんでした。
最終的には、リクルート担当の支援員さんもわかって下さり、「TANOSHIKA CREATIVE東町事業所」の面接を受けて合格した私は、無事に勤務することになりました。
「TANOSHIKA CREATIVE 諏訪野町事業所」に「見学」に行った際に、ライティング業務をしている人数が多く、入ることが難しいと聞いていたので、不安もありました。
「TANOSHIKA CREATIVE」には、「諏訪野町事業所」と「東町事業所」があり、「諏訪野町事業所」では、WEB制作・動画編集・パンフレット作成・ライティング業務などをしています。
私が通所するようになった「東町事業所」では、デザイン・コーディング・プログラミングなどをしていて、ライティング業務はありませんでした。
しかし、どうしてもライティング業務がやりたかった私は、面接の際にライティング業務をやりたいことを伝えた結果、1人だけのライターとなりました。
希望を受け入れて下さったことには今でも感謝しています。
最後に
そして今、私は就労継続支援A型事業所「TANOSHIKA CREATIVE 東町事業所」でライティング業務をしています。
作家になりたいと思っていた私にとって、記事を書くことは難しくもあり、楽しくもあるので、とても充実しています。
ようやく「やりたい仕事」に出会えた気がしているのですが、就労継続支援A型事業所の最終目標は「一般就労」で働くことです。
「このままでいいのか」という気持ちがいつも頭の片隅にあります。
自分の「やりたい仕事」をかなえられている人はどのくらいいるのでしょうか。
ずいぶん前になりますが、
「自分の好きなことを仕事にするものではないですよ。これほどきついことはありません」
と言っている人を、テレビで見たことがあります。その時はどうしてなのかわからなかったのですが、様々な経験をしてきた今は、わかるような気がします。
「好きなこと」ゆえの苦しみもあるのではないでしょうか。
少し妥協しても(勤務地や職種)「一般就労」へ就職することと、このままライティング業務を続けることと、どちらが自分にとっていいのか。気持ちが揺れています。
それでも、悩みながら、記事を書いていきたいと思っています。![]()
皆さんに特に読んで欲しいと思ったPinkのおすすめ記事10選!2024年度版
AKARIのおすすめ記事になります⇩
TANOSHIKAのライターPinkが「心療内科」の主治医にインタビューに行ってきました
noteでも記事を書いているので、よかったら読んでみてください!
noteのおすすめ記事になります⇩
→HOME





コメントを残す