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こんにちは、翼祈(たすき)です。
フランスなど、世界にも進出した【ヘラルボニー】の勢いが止まりません!世界だけではなく、日本全体で知名度を上げて、地元の岩手県以外でも進出も広がってきました。
ここ最近の動きですと、以下のようなものがあります。
2025年3月15日、国から「異彩(イサイ)の日」と登録された2025年1月31日に、東京都にある銀座レンガ通り沿いに常設店舗「HERALBONY LABORATORY GINZA(ヘラルボニー ラボラトリー ギンザ)」をオープンしました。
参照元:ヘラルボニー 【#異彩の日】ヘラルボニー、東京・銀座に都内初の常設店舗「HERALBONY LABORATORY GINZA」が2025年3月15日オープン決定!(2025年1月31日公開)
2025年3月29日、唯一の岩手県の百貨店であるカワトク百貨店1階に、ヘラルボニー初となる旗艦店「HERALBONY ISAI PARK(読み:ヘラルボニー イサイ パーク)」がオープンしました。
こちらでは、店内に地元産の食材を使った料理を提供するカフェなどが併設されています。
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画像・引用元:ヘラルボニー PR TIMES 3月29日(土)、岩手県盛岡市にヘラルボニー初の旗艦店『HERALBONY ISAI PARK』がグランドオープン(2025年3月28日公開)
参照元:ヘラルボニー 3月29日(土)、岩手県盛岡市にヘラルボニー初の旗艦店『HERALBONY ISAI PARK』がグランドオープン(2025年3月28日公開)
そんな【ヘラルボニー】は、2025年4月に、新たなプロジェクトを始めました!
2025年4月3日、東京都品川区は、都市ブランドのイメージを分かりやすく区民や関係者に共有するため、ロゴやアート、メッセージを製作しました。ブランドメッセージの『しあわせ多彩区』には、各エリアで多彩な顔を持ち合わせ、新旧が融合した多様で個性に溢れる街づくりを掲げています。
アート制作を担当したのは、多彩な色使いが得意な、自閉症のある岡部志士(ゆきひと)さんで、交流が生まれつつも個性が尊重される多様な街と、ものや人が集まる交通の要所という都市のブランディングをイメージして描きました。
今回は、『しあわせ多彩区』に採用された、岡部さんの作風などを発信します。
『しあわせ多彩区』に起用された、岡部志士さんが描く絵の作風は、どんなものですか?
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画像・引用元:株式会社ニューピース PR TIMES 品川区都市ブランド「しあわせ多彩区」誕生──品川区とヘラルボニーの協働、NEWPEACEがプロデュース(2025年4月3日公開)
岡部さんは画用紙やキャンバスにサクラクレパスを塗り、それを消すようにニードルで削り、出てきたカスを粘土のように丸めて遊びながら作品を作る。岡部さんの作品をベースにロゴをデザインし、品川区の地形を抽象化したシルエットを用いるほか、白線で交通の要所や川を表現。白線には「品川」の文字も取り入れた。
引用元:品川経済新聞 品川区が都市ブランド「しあわせ多彩区」発表 「ヘラルボニー」がアート制作(2025年4月3日公開)
私はTANOSHIKAに入社するまで、障害者アートというものを知りませんでした。
2022年に障害者アートの記事を書いた中で、【ヘラルボニー】が、アートボトルやランドセルでコラボした話などで、初めて触れるきっかけになりました。
それから、3年が経過し、フランスでお店を構えたり、海外の賞を受賞したりと、本当に知名度と人気が、着実に上がっていきました。
【ヘラルボニー】に関しては、障害者アートの枠組みというより、人は「その絵が、単純に好きだから」と、好きという気持ちがとても強いことや、ファンの多さなど、他より頭角を表す時間も早かった印象でした。
品川区の『しあわせ多彩区』で、協働に選ばれたのも、カリスマ的な人気や、そのブランド力の高さから来ていると感じています。
『しあわせ多彩区』のアートを制作された岡部さんも、【ヘラルボニー】とのコラボに、絵を描く人として、受けた影響も大きいことだと思います。
色んな人の想いが詰まった、『しあわせ多彩区』。
【ヘラルボニー】が幸せを運んでくれたご縁だなと感じました。
私とアートに触れた歴史
私は子どもの頃、少しだけ絵画教室に行っていました。
ですが、保育園の時、少しだけ行っただけで、ほとんど記憶にない位、小さい頃でした。
その絵画教室のあった場所に、閉鎖された後、書道教室が入り、それも閉まった後、移転した英語の塾が入りました。
実は私、その後の書道教室も、英語の塾にも通い、子どもの頃の思い入れのある場所なのです。
塾に関しては、周りの子が辞める中、たった一人になっても、ずっと通っていて、別に通っていた個別塾とは違う英語をマンツーマンで習っていました。
絵はそれほど得意ではありませんでしたが、小学校の時、校庭に植えている花などをモチーフに絵を描いたり、毎日観察する朝顔の絵日記を夏休みの宿題で描いたりもしました。
また、久留米市内にある鳥類センターには、遠足でも行きました。
そこにいる鳥を描くために授業の一環でも行き、フクロウの絵を描きました。
中学生の頃だったでしょうか、夏休みの宿題で、父に教わりながら、千日紅を油絵で表現した絵を描きました。
私の中で1番身近だった絵は、祖母のものでした。
祖母は、今は特養ホームに入寮し絵を描きませんが、デイサービスに通い出してから絵を描き始めました。
祖母は季節の絵を描くことを得意とし、花は勿論、うぐいすや、節句の兜の絵、自転車に乗った男の子と女の子の絵など、様々な絵を描いてきました。
絵に自分の名前が入ったオリジナルの印鑑も、作って押していたほどでした。
絵は祖母の妹弟が欲しがって持って帰るほどで、展覧会にも出展されたり、私が母と祖母の家に行った時に「あの絵が欲しい」と言っても、『今度展示会に出すから、それまで待っていてちょうだい』と言っていました。
母は絵の才能を受け継ぎませんでしたが、母方の叔父さんも書道で大きな資格を持ち、その資格を活かして、教えたり、展示会に出展されるなど、芸術性の高い家です。
叔父さんの達筆な書道も、祖母の家に飾ってあります。
私にもその才能はありませんでしたが、WEBライターという文章を紡ぐ、クリエイティブな点でいうと、どこか共通点があるかもしれませんね。
noteでも書いています。よければ読んでください。
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