白内障になった中学生!?

眼内レンズ(人工の目のレンズ)のイラスト

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AKARIの読者の皆様、おはこんばんちは(^^)
くまくまパパ」です(^(エ)^)ノよろしくお願いします。
3本目となる今回の記事は、さかのぼること30年以上前…中学生の頃のお話です。
最後までお付き合いくださると嬉しいです(^^)

白内障という病気

白内障というのは、目の水晶体(カメラで例えるとレンズの部分)が白く濁る病気です。
つまり、「レンズが白く汚れて、カメラを覗いても景色が白く濁って映ってしまうぞ…」という現象が、実際の目でも起こってしまうという病気です。
実際の見え方は「白いすりガラスを通して見た感じ」と表現する人が多いのですが、私は「車の曇ったフロントガラスから外を見た状態…」や「深い霧の中で過ごしてるような感じ…」の方がしっくりきます。
何故なら、すりガラスを通して見た感じに見えるのは、かなり白内障が進行した状態だからです。
確かに白内障が進行すると目の前の車が認識できないほど真っ白な世界が広がります。
ちなみに、眼鏡を曇らせてから掛けてみる白内障の疑似体験が出来るかもしれません(‘ω’)ノ

(´・ω`・)エッ?中学生で( ゚Д゚)!?

白内障は、一般的にご高齢の方がかかる病気だと言われてます。
白内障の原因は主に加齢によるものだと言われてるからです。他にも糖尿病目の外傷アトピー性皮膚炎などがあげられます。

年齢別白内障発生率のグラフ
画像引用元:【眼科先進医療研究会】白内障の基礎知識|どんな病気?



上のグラフを見ていただければ、中学生で白内障になるのがいかに珍しいかが良く分かっていただける事と思います。
私は中学3年生…15歳の時に、両目ともこの白内障になりました。私の場合、アトピー性皮膚炎もありましたので、目が痒くて、よくゴシゴシこすってました。
それが原因なのではないかと言われていましたが、ハッキリとした原因は分かりませんでした。

中学生時代の生活

最初は目にゴミが着いているのではないかと思い、何回も水で洗っては「おかしいなぁ、取れないぞ」と思う毎日でした。しかし、今、振り返ってみると、目にゴミが入った時点でとんでもなく痛いので、目にゴミが着いたままというのはあり得ないですね(;^_^A
あ、そうそう…もう一つ、光があまりにも眩しく感じてたことを思い出しました。そうです。白内障は光をかなり眩しく感じてしまうというのも難点なのです。
ですので、日陰とか木陰に入って、木の隙間などから覗くとよく見えるのです。
よく、手で筒を作って望遠鏡みたいにして周りを見ていたことを思い出します。
当時ソフトテニス部だった私は、ボールが見えなくて出来なかったので木陰から覗いて飛んできたボールをひたすら拾うという事をやってました。まるで、球拾いのプロです(;^_^A
あとはネットを使った基礎打ちですね…ネット打ちとでもいうのでしょうか…
授業では教科書も見えず、ノートに書くときはルーペ(いわゆる虫めがねです)を使用してました
席は後ろに行くと黒板が見えないので教卓のど真ん前固定でした。
教卓のど真ん前でコックンコックン(居眠り…)してしまって「催眠術にでも掛かったか?」と先生に言われたのは今となってはいい思い出です(*´ω`)

そして、手術へ…

日常生活の中で、目薬で散瞳さんどうしたり、光が眩しいから特別にサングラスを作ったりと色々試しましたが、ついには目の前の車すら認識が難しくなり、15歳の夏、手術に踏み切りました。

※散瞳とは、目薬で黒目の部分を広げることです。本来はお医者さんが目の奥を診るための処置なのですが、黒目を広げることによって白い汚れの間隔が広がりその間から世界が広がるという仕組みです。実際、数時間限定でしたがよく見えました。

両目ともいっぺんに手術をするわけにはいきませんでしたので、まずは左目を夏休みに、そして右目を春休みに手術をすることになりました。
今現在では医療技術も進歩し、白内障手術は日帰りで出来てしまうらしいのですが、その当時は少なくとも4日間の入院が必要でした。
白内障の手術を簡単に説明しますと…目に少し切り目を入れて穴を作り、その穴から白く濁ったレンズを取り除いて、代わりに人工のレンズ(「眼内レンズ」と言います。)を挿入するという手術です。

ちなみに私のように白内障手術の後の人工レンズが入った目の事を「眼内レンズ挿入眼」と言います。診断書にもそのように書かれてありました。

白内障手術の詳しい説明がありましたのでご紹介します。
→参考元:白内障手術って、どんな手術なの? | 白内障の手術の流れや注意点をご紹介。

当時の入院生活…

入院生活はというと…まぁでしたね(;^_^A持ってきた夏休みの宿題をひたすらしてました。
なんせその当時は今みたいにスマホはおろか携帯電話というものが存在せず、ポケベルすらも無かったと記憶しています。
DSやスイッチ、PSPといった携帯ゲーム機も存在しない時代ですし、しかもテレビも設置されてませんでしたので、とにかくやることがなくて…宿題か寝るかのどちらかでした。
まるで勉強合宿ですね(※参加したこと無いですけどね( ゚∀゚)アハハ)。

そう言えば、色々な手術を経験したので色々な入院生活も経験しました。
網膜剥離の時なんか同室(4人部屋)の人と仲良くなって、看護婦さんが来たとき全員が病室に居なくて……おっと、話がそれてしまいました(;^_^A
この話はまた別の機会に( ..)φメモメモ

30年経った今でも残る記憶…

初めての入院、初めての手術…30年前、中学生の私はいったい何を思っていたのか…
とにかく不安だらけだったと思います。
手術前に点滴をし(点滴をしたまま手術にのぞみます。)、そこからもうドキドキですよね…そして、「あと〇人で順番きますよ。」という看護婦さんの声…。
そしてついに、自分の順番が来て、車いすに乗せられ、点滴ごと手術室に移動し…もうここまで来たら覚悟を決めるしかないですね。全身の力を抜いて、全てを先生に委ねた…そんな記憶が薄っすら残ってます。

手術開始…麻酔が痛かった…とにかく痛かったのです( ;∀;)どんな麻酔だったかというと、今みたいに目薬の麻酔ではないのです…注射なのです(+o+)手術台に横になったらまず、目と鼻の間のまぶたの内側ブスリ!!それから、目と鼻とほほの間あたりブスリ!!痛すぎて声が出ませんでした( ;∀;)ノ
その時の主治医の先生の言葉も記憶に残ってます。

主治医の先生「痛いか!?痛いか!?痛すぎて声も出らんか!?
中学生の私の心の声「いや、い て ぇ よ(; ・`д・´)ノ!!
※あっ、ちなみに言い忘れていましたが局部麻酔です。

その痛みを乗り越えた後はただただ時間が過ぎるのを待つのみ…いつの間にか寝てたと思います。
このまま目が覚めたら手術が終わってるなんてことは無く、手術の途中で目が覚めて、しかも視覚を無くす麻酔が切れかかってたのか、手術する手が薄っすらと見えていたのです。
痛みはないものの、針が近づいてきてブスリ
はさみが近づいてきてチョキンもう、≪恐怖≫なのです((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
そして手術が終わり病室へ戻った私はそのまま就寝…だったと思いますが、覚えてません(;^ω^)ゞ
それよりもハッキリ覚えているのが…次の日の朝の術後初めての診察の事です。
診察のために眼帯を取った瞬間、今まで暗闇をさまよってようやく世界がひらけた様な…そんな感じでした。眼帯を取ってくれた看護婦さんの顔のしa……とにかく今までシルエットすら認識できなかった色々なものがハッキリ見えて、その時の感動は今でも記憶に残ってます。

退院後初対面の友人たちの反応は…!?

最後に退院後の友人たちの反応がですね…
正直よく覚えていないのですが、「大丈夫だった?」とか「見えるようになった?」等、色々な声を掛けてもらったと思います。
しかし、ハッキリ記憶に残ってる友人達の行動があるのです…それは…
「まめ(当時の私のあだ名です)、見える?」…と、私に向かってまるで集合写真でも撮るかのようにピースしてくる友人達…「僕はカメラじゃないぞ(;^_^A」…と、心の中で突っ込む中学生の私なのでした(・∀・)ノ♪

後日談

言い忘れてた事があるのです…
主治医の先生いわく、「40代の方までは手術の経験あったけど、15歳は初めてだったから実はちょっと怖かった。」らしいです(^^)

そして白内障の手術から約10年後…
久しぶりに従兄弟と話す機会があったのですが、従兄弟の大学時代の友人が20代で白内障の手術をする事になって、その主治医の先生から「昔、15歳の中学生の手術をしたことあるよ。」と、言われたそうで…そうなのです。その「15歳の中学生」とは、まさしく私の事だったのです。従兄弟の友人が、白内障の手術を受けることになった眼科も同じ主治医の先生も同じという事でした。
不思議な巡り合わせもあるものだなぁ…」と、しみじみと思うと同時に「世間は狭いなぁ…」と、再認識させられる私なのでした(*´ω`)

さて、このお話はここでおしまいです。
他にも色々な体験談をご用意しておりますので、また立ち寄って覗いてもらえると嬉しいです。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。

くまくまパパ」でしたヾ(^(エ)^)ノ

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