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こんにちは、翼祈(たすき)です。
皆さんは、ダンスとかをしますか?
私は全く踊れないのですが、中学生の時、体育でダンスの授業があって、私の学校ではソーラン節と、もう一曲自由に曲を選べてダンスをしました。
自由に曲を選べるダンスは、当時流行っていた[ONE PIECE]初期のオープニング曲、Folder5の[Believe]を踊りました。
あの頃は、まだビデオテープしかなく、どうやってダンスの振りを覚えるか?という時に、私が当時夢中になって観ていた音楽番組で、曲が披露されて、それを録画していたので、学校に持って行って、何度もビデオテープで再生と巻き戻しをしながら、覚えました。
ダンスのお披露目をした日、ソーラン節で腰を落とす時、自分だけ尻餅をついて、恥ずかしい思いをしました。
実はその後も披露する場面があったのですが、それは巻末の最後の自分の感想にて述べたいと思います。
ダンスには今は2024年のパリオリンピックで正式種目になった、ブレイキンなど色々ありますが、障害者がするダンスもあるといいます。それは視覚障害者のするダンスです。
今回は、視覚障害を抱える人がする、『ブラインドダンス』ができた経緯について取り上げたいと思います。
『ブラインドダンス』が誕生したきっかけ
公益社団法人日本ダンス議会(以下、「JDC」)中川 勲名誉会長(当時は会長)が友人の主催するブラインドゴルフ大会に招待を受け参加した際、視覚障がい者の方々が健常者のヘルプを得てゴルフコンペを充分に楽しんでいらっしゃる姿を見て、「私達のダンス界でも何か貢献できないか」とのひらめきから、大変多くの視覚障がい者の方々がすでにダンスを楽しんでいらっしゃるということがわかり、平成18年8月に世界初の試みとしてJDC主催「第一回全日本ブラインドダンス選手権大会」を東京ビックサイトに於きまして開催するに至っております。
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私のその他のダンス秘話
冒頭でお話ししました、中学時代に体育の授業で披露したダンスは、別の場所でも披露することになりました。
それは修学旅行でした。
スキーに行っていて、初日だったと思いますが、急にレクレーションの時間があって、女子生徒はクラスごとに呼ばれて、体育の授業で踊ったダンスを披露することになりました。
どうやって曲を流したかは覚えていないのですが、前に呼ばれて集合したら、急に曲が流れ、体育の授業から月日が経っていましたが、踊ることになりました。
うろ覚えの中、ダンスを披露したと思います。
この時嫌な思いも抱いたのが、修学旅行なので、先生の計らいで、私をいじめた同級生とは別クラスだったものの、その男子生徒も見ているわけで。
みんなが見える様に前に呼ばれてダンスを披露するわけで、あの時は恥ずかしさより、嫌な感情を抱きました。
私をいじめていた人は、好奇な目で見ていたと思うので。
他の人にはきっとなかったであろう、複雑な感情が蠢いた中での、ダンス披露でした。
私のダンスは、体育の授業でも、修学旅行でも、複雑な感情が渦巻いた苦い経験でしたが、この記事の本題の『ブラインドダンス』は、「チャレンジしてみたい」という前向きな気持ちを持った方が、ダンスに打ち込んでいるでしょうし、大会もありますし、楽しんで練習をしていると思います。
苦しい経験しか味わったことのないダンスを、こういう自分の可能性を信じて始めるダンスを私も味わってみたかったと思いました。
今、ダンスは学校の授業で、必ずどこの学校でも行う授業の1つだと聞いています。
悔しさだったり悲しさだったりがあると、苦い経験として記憶に残り、再度前向きな気持ちでチャレンジしたい気持ちは、どうしても削がれます。
私も、『ブラインドダンス』を打ち込む人の様な、前向きで、思い起こしても、楽しかったなとか、嬉しい経験が記憶に残る様なダンスを経験したかったですね…。
noteでも書いています。よければ読んでください。
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