社会的養護の「保護もれ問題」、虐待の後遺症である「複雑性PTSD」への支援を探る-“生きづらさ”にAKARIを灯す会-

AKARI

この記事は約 22 分で読むことができます。

2022年12月に開催したオンラインイベント「“生きづらさ”にAKARIを灯す会」で、わたし、虐待サバイバー」著者、羽馬千恵さんと考える、社会的養護の「保護もれ問題」、虐待の後遺症である、「複雑性PTSD」への支援を探ると題し、対談させていただきました。

このイベントは、就労継続支援A型事業所TANOSHIKAが運営するwebメディア「AKARI」が主催する、様々な生きづらさに光をあて、聴く人たちの心にAKARIを灯すための会です。

今回の会の目的は社会的養護の「保護もれ問題」、虐待の後遺症「複雑性PTSD」について広く知ってもらい、課題解決に向けた動きを加速させることです。

羽馬さんと一緒に活動されている菊池啓様や同じく啓発活動に取り組まれている丘咲つぐみ様、AKARIの編集長島川と、ライターのsalad、どん晴れ、piasuが対談に参加しました。

ここからは下記のように敬称略で記載させていただきます。

羽馬 菊池 丘咲 島川 salad どん晴れ piasu

社会的養護への「保護もれ問題」を考える・CPTSD協会について

(羽馬):社会的養護への「保護もれ問題」を考える・CPTSD協会は、私とNHKハートネットTVに2022年11月に出演した菊池啓さんと、共同代表として立ち上げました。

団体名の通り、社会的養護に保護される虐待の被害者っていうのがあまりにも少ないという実態が、この国にあります。

子ども時代に援助が受けられず、大人になって施設を出た後もアフターケアや福祉サービスが全く受けられない中で、虐待の後遺症で複雑性PTSDを患って精神科にかかっても、社会的養護の出身でないために虐待サバイバーだと理解されないという実態があります。

支援に繋がるまで30代、40代までかかってしまうという中で、複雑性PTSDが非常に重度な病気なので、職を失ってしまったり、貧困になってしまったり、人間関係も上手くいかなかったりと社会的にボロボロになってしまう虐待サバイバーが非常に多くいます。

世間は「虐待を受けたらちゃんと児童養護施設とかに保護されているよね」ってすごく誤解しているけれど、保護されない人が大半です。

保護されないと、18歳とか20歳になるまで虐待家庭から逃れられず、その間も虐待を受け続けるので、大人になって、複雑性PTSDも重度になりやすく、支援者に繋がっていない状態なので、自分一人で支援者を探さないといけません。

福祉のサービスの種類や、病気の知識など何もわからない中で、支援者や使える公的制度を探していかないといけないわけですから、非常にハードルが高いです。

子どもたちへの予算をもっと広げて欲しいし、社会的養護の支援から漏れた人がかなりの数いるということを知ってもらいたいです。

かつ大人になった虐待サバイバーへの支援を拡充してもらわないと、虐待の連鎖もなくならないだろうと思っています。

なのでまずは社会的養護への「保護もれ」がいるんだということ、大多数が保護もれなんだ。ということを知ってもらうために立ち上げたのが経緯です。

複雑性PTSDとは?

(羽馬):1995年の阪神淡路大震災で、「震災トラウマ」になる人が沢山いて、PTSD心的外傷後ストレス障害)という言葉が日本で初めて世間に知られるようになりました。

それ以前から、アメリカでは1970年代のベトナム戦争の帰還兵がPTSDを発症し、大量に自殺してしまったことから発見され治療や研究が盛んになったんです。

PTSDとは別に、児童虐待のような長期反復的な心的外傷ストレス障害は、もっと複雑な状態になるということで、「複雑性PTSD」と名づけられたという経緯があって、80年代のアメリカではトレンド病になりました。

今が2022年なので、30年以上日本ではこの病気がろくに精神科でも認知されていないし、治療や研究が進んでいない状態なんです。

二次障害として発症しやすい精神障害や身体症状

・うつ病、躁うつ病、双極性障害解離性障害多重人格、解離性同一障害

・発達障害に似たような症状

・強迫性障害愛着障害境界性パーソナリティー障害

薬物依存ギャンブル依存摂食障害など

以上の様なあらゆる精神障害を二次的に、しかも同時多発で発症してしまうっていう複雑な病態に罹患してしまう状況があります。

身体的な症状としては、非常に重たい慢性的な身体の凝りやだるさ原因不明の痛み、疼痛があります。また、虐待サバイバーは難病の線維筋痛症になる方が非常に多いです。

これだけの病気を発症するということが、いかに壊滅的で自殺率も高くなるかがわかると思います。精神科でも理解が得られず、適切な診断がなされず、治療もなされず放置されている実態もあり、精神科の中でも難病中の難病、重病だと言っていいと思います。

(島川):これだけ同時多発的に起きると、何が原因なのか、どこから治療を始めたらいいのかという部分でノウハウが足りない状況がありそうですね。

感じている現在の医療の問題点について

(羽馬):日本の精神科は生物学的精神医学と言って、薬物治療が中心なんですが、現時点では薬で複雑性PTSDが治るっていうものはないです。

5〜10分の診療で薬を出すだけの対症療法では、対応ができないくらいの重度さです。

カウンセリング治療が精神科医療の中で欠けていて、そもそも精神科医がカウンセリングのトレーニングを大学、医学部で受けていないので、傾聴してもらうこともできない。

治療云々の前に辛さを理解してもらえなくて、適切な診断名がつけられず、虐待の後遺症だという結論にたどり着くまでに、30歳以上になるまでかかるという人が大半だという実態があります。

複雑性PTSDの認知度について

(羽馬):WHOのICDっていう国際疾病基準に掲載されたのが2018年6月なので4年、3年半前くらい前で、精神科の中で『まあ名前くらいは知っている』ぐらいな感じで徐々に広まっている状態です。

非常に病態も複雑だし、心理的に深い部分でのものなので、支援者であっても長年関わっていないと正確にとらえるのは難しいです。

ハートネットTVでも菊池さんが仰っていたんですけれども、当事者の方が問題や病気をよく知っている状態があります。

精神科医や心理士さんにしても、習ったことだけの知識で、新たに学び続ける人が少なく、医学部や精神保険福祉の養成にしても、古いことを教えていたり、教える側が学んでいないんじゃないかと感じます。

精神科医とか専門職の方がなかなか当事者の声に聞く耳を持ってくれなかったりするので、今回AKARIさんがこういう場を設けてくれたことが非常にありがたいです。

虐待サバイバー同士の対談コーナー

Q.暴力を受けたことに理由はあると思う?

(salad):salad(サラダ)と申します。よろしくお願いします。

私自身も機能不全家族の虐待サバイバーで、父がアルコール依存で母が難病でした。
幼い頃母から暴力や暴言を受けていて、暴力を受けるのには、私は理由があると思っています。皆さんはどう思われますか?

(菊池):子どもが悪いと思わない方がいいなと思います。当時は自分が悪いと思っていましたけれど、でもそうではなかったなと大人になってから思います。

(丘咲):私も子ども側に原因があるってことは基本的にないと思ってて、もし兄弟の中で、片方だけ暴力を振るわれるということがあるとしたら、手を出しやすい、優しい子に手が挙がっているだけで、子どもに問題はないと思います。

(菊池):仮に問題があったとしても暴力を使わずに教える方法はいくらでもあるし、本来暴力を使って子どもを教育しようとするのは間違った方法です。暴力を振るわれていたとしたらそれは自分が悪いのではなくて、振るった人が悪いんです。いかなる理由があろうとも。

Q.過去に受けた虐待について、自分の中でどう整理している?

(salad):幼い頃に言われた暴言や暴力、高校生の時のネグレクトなど私がまだ消化しきれていない部分があって、消化できないまま両親を亡くしてしまいました。

皆さんはされたことに関して、どう消化したり整理をつけてきたのかを聞きたいです。

(羽馬):私自身20代から30代前半まで母親に対してものすごい憎しみが強くて、世界で一番大嫌い、早く死んでしまえと本気で思ってたんですよね。

それくらい憎らしいと思っていたし、許せなかったです。一番愛されたい親に長期間虐待されているわけだから、答えがすぐに出る、解消されることはありえないと思います。

私が母を許そうという思いに至ったのは、母も虐待の被害者だったということが分かってきて、私自身社会人になり、生きていく中で非常に大変だったので、母もその苦労を抱えていたんだなとわかるようになった。

母の場合は子ども二人を抱えていて、私よりもっと大変だったろうと思ったりもしたので。

私の中では本を執筆する中で、自分の過去と向き合ったり母親とLINEで対談し、母に対し「母だけが悪いわけじゃない、母を虐待させてしまった社会側にも問題がある」と至っていったので、どちらかというと許す側にはあるんですけど、人間だからその日の気分によって蒸し返したりとか、今でも当然あるわけなんです。

縁を切ってしまうという形で、スッキリするという方もいたり、自分が納得いく形は色々だと思うんですよね。本当にものすごく長い時間がかかることなんですけれども、自分が幸せだと思う答えを出すのが一番ベストなんじゃないかなって思います。

(菊池):私の場合はカウンセリングの人に話をしたり、あるいは文章に書いたりをしたことによって、自分自身から客観的に見る。

あと起こったことを変えることはできないんですけれども、起こった出来事に対する認識、というのを後から自分の中で変えることができるんですね。だからこそカウンセリングとかが必要になると思います。

(丘咲):私はもともとは、両親を恨んでナイフをつきつけようと思った時も何度もあったくらいなんですが、虐待を受けたという事実に対して、カウンセリングなどを通じて色んな方向から多面的に見られるようになったんですね。

ひとつひとつの物事に、じっくりと時間をかけて、決して自分が悪かったからではない、親側にもこういう理由があったからそういう風にせざる得なかったんじゃないか。という言い方ができるようになっていったこと。

それと過酷な状況にありながら、ひとつひとつ乗り越えていった自分を認めて、褒めることをトレーニングのように繰り返していくことによって、自分がここまで生き残って来た事がどんなに尊いかということ、他の誰も認めてくれないかもしれないけれども自分はここまで本当にがんばって生きてきたということを、誇りに思えてきたことが受け入れられるということに繋がっていったと思います。

親との関係をどうするかっていうのは、皆さん悩まれると思われるんですけれど、今一緒にいることで、自分の状態が良くないのであれば、一時的にでも離れるという選択は全然間違ったことではないと思います。

(salad):ありがとうございました。

おすすめのセルフケアはありますか?

(piasu):親からされたことで苦しんでいる方におすすめのセルフケアや考え方があれば教えてください。

(羽馬):必ずしも治療やカウンセリングがないと心の傷が癒されない、かというとそうではないと思っています。私だったら、自然とか生き物が好きだし、音楽が好きな方とか絵が好きな方もいらっしゃると思うんですけれども、治療は非日常の話なので、日常の暮らしの中で自分が癒されるもの1つでも多く見つけることが大切ではないかなと思います。

最近アロマオイルとか、ホメオパシーも使っているんですけど、結構効きますね。トラウマライフとか、怒りを鎮めるアロマとかもあるのでそういうのも手かなと思います。

私のnoteにもアップしています。もし良かったら読んで頂いてもらえたらと思います。

虐待サバイバーの食生活について

(羽馬):もうひとつ言うなら、私は子ども時代の食生活がめちゃくちゃ悪かったんですよ。

虐待サバイバーにアンケートを取ってみると、6割近くの方が食生活が悪かったです。

引用:虐待サバイバーは、食生活を改善してみよう|羽馬 千恵@出版📙『わたし、虐待サバイバー』|note

「親が作らないから」っていう理由で悪い食生活が習慣化されてしまったり、大人になっても料理や自炊もエネルギーがいるので、中年になるまで悪い食生活が私も続いていました。

複雑性PTDSを起因として、身体症状が出ているということも考えられるんですけれども、そもそも食生活っていう、基本中の基本が破壊されているため、身体がだるいとか、疲れやすい、重たいという身体症状が出ても当然かなと。

個人差はあると思いますが、私は食生活をガラッと変えたら、身体がものすごく楽になったので、治療と同じくらいセルフケアって大事だなって思います。

(菊池):私の場合はろくな医療はここでは受けれない、と思ったら早々に諦めて自分で精神科医の人が書いた本を読み漁って、自分だったらこういう治療がよさそう。っていうのを自分でやってしまった所がありますので、知識を得たり自分の状態を理解することもすごく大事なのかなと思います。

(丘咲):私は自分を認める・褒めるということが結構大切だなと思っています。複雑性PTSDを抱えている方は自己否認がすごく強かったり、希死概念が常にある方が多いので、自分が持っている力を少しでも上げるために、私は文章で毎日書留めるようにしています。

なるべく肯定的な言葉で、例えば「ベッドから起きようとした」というその気持ちだけでもうすでに認めてあげる。たとえ、成果に辿り着かなかったとしても、思っただけでも前進なんだと私は日々セルフケアをしていますね。

あと私は愛犬が欠かせない存在で、そばに居るだけでどれだけ癒されているか。
今もし居なくなったらどうなっちゃうんだろうと思うくらいすごく大切な存在です。

(salad):ありがとうございます。

私自身も機能不全だったので、食事がまともに取れない状態で、高校で給食がでていたので、それだけがまともな食事だったのを今、思い出しました。ありがとうございました。

社会的養護の保護もれ問題】について

(島川):皆さんが取り組まれている社会的養護の保護もれ問題について、活動の中で感じた課題など伺っていければなと思います。

(羽馬):課題として一番大きいのは、厚労省や国の管轄の問題です。

子ども時代に社会的養護に保護されていたら、国や厚労省が虐待の被害者と認定しているようなものなので、声も聞いてくれやすく施設を出た後もアフターケアを受けやすいですが、保護されていないとなると、複雑性PTSDだと虐待サバイバーがいくら主張しても「因果関係不明」みたいな感じにされてしまうんですよ。

トラウマ治療やカウンセリングを受けるための公的支援や福祉サービスを受ける要望を国に上げても、「本当に虐待を受けたの?」「その証拠はあるの?」と切り捨てられています。

世間の認識も、保護されていないと「虐待が軽かったんでしょ。」と見られてしまったり、虐待の被害者だと見られないので、声を上げても反応してもらえない。

活動の資金集めをするにしても、児童養護施設と言ったら皆さん認識されているので、寄付とかも集まったりするんですけれども、「保護から漏れたんですよ。」と言っても、保護から漏れている人が大多数ということが知られてないので、世間からの応援も得にくいです。

(菊池):今、大体20万件くらいの相談が児童相談所に寄せられていて、保護されるのは4000人くらいですね。20万対4000なので、めちゃめちゃ少ない。

児童相談所や職員の数も十分ではないですし、労働環境も非常に悪い状態です。そういう状況では十分な対応ができるはずがないので、児童相談所や職員の数を増やしてもらうのが大切だと思います。

また、過去に保護もれになった人達っていうのは、社会的に苦しい状態に置かれています。国が十分な政策をしなかったからこそ、今苦しんでいる人がたくさんいるので、それに対する政策を新たに国が考えてやってもらわないといけないと思っています。

アメリカはエイシス、adverse childhood experiencesといって、子供の時代に大変な経験をした人を中心に社会的な資本を集中させることがすごく効果的だとされています。

(羽馬):20万件というのは発見されている数ですから、発見されていない学生・児童もたくさんいると思うんです。

年代によっても保護の格差があって、児童虐待防止法ができたのが今から22年前の2000年です。児相や警察が介入するということが珍しい話で、両親が亡くなったり事件を起こして逮捕される様なケースじゃないと保護してもらえない状況にありました。

虐待という言葉も社会的認知が低く、法律もないので、ひどい虐待を受けながら、一回も保護されることなく大人になってしまった実態があります。

当時の自分にどのような支援があったら助かったと思いますか?

(菊池):「アドボカシー」と言って、子どもたちの言葉を聞くということが、十分に制度化されていない状態なので、それをしてもらえたら良かったなと思います。

(羽馬):よく子どもの貧困と言いますが、子どもがいきなり貧困になるわけではなくて、大人が貧困なわけじゃないですか。虐待してしまう親も虐待の被害者だったり、貧困、孤立とか精神疾患とか抱えています

母親が生活苦などで追い詰められていたので、貧困・孤立に対する支援、子どもや高齢者だけでなく、大人への支援があれば、もう少し結果が違ったんじゃないかと思います。

(丘咲):私も親の方へっていうのはすごく思っていて、親の方が何かしら問題を抱えているから虐待という行為になると思うんですね。

ただ、今は児童相談所で子どもが一時的に保護されても、親へのケアがされないまま、自宅へ帰されています。それでは虐待が繰り返されてしまうだけですので、繰り返さないようにその家庭でどんな問題があって、何をすればこの家庭で虐待が繰り返されないのかという親へのケアが必要不可欠だと思います。

私自身が、小学校高学年くらいの時に、心の問題が身体の症状になって出てくる「心身症」にかかって緊急入院することになった時に、両親が先生から「ご家庭に問題があって、お子さんに病気が発症してます。」って説明されたのですが、両親へのカウンセリングや治療っていうのはなくて、何が問題なのか説明がないままでした。むしろそういうことを言われたことによって、虐待がもっとひどくなっていきました。

そういう私の経験を踏まえてみても親へのケアをしていかないことには虐待の問題は解決しないでしょうし、家に帰すのであればそれが絶対に必要だと思います。

(菊池):日本っていじめも虐待もDVも被害者がどこか連れて行かれるのね。

でもそれが間違いで、加害者がどこかに連れていかれて、加害せずにストレスを解消したり、子どもを育てたりする知識を学ばないといけないんですが、加害者が放置されるから、どんどん被害者が生まれてしまうんですよね。加害者をどこか別の場所に連れていって学ばせるというのがすごく大事だと思います。

(どん晴れ):私、羽馬さんの本を読ませていただいたんですけど、とても羽馬さんの本が読みやすくて、とても冷静に自分を振り返って書かれて居るところがすごいなと思ったんです。ただ、「若い女性には読ませたくないな。」みたいな描写もあって結構読むのがつらかったんですよね。

最後まで羽馬さんの本を読んでみて、自分以外でもこういう体験がある人がいて、立派に本を書かれているというのは、この本を読んだ当事者の人たちにはものすごい勇気づけになったんじゃないかな、と思ったんです。

私は虐待を受けて育ったタイプではないので、虐待を受けて育った人に対する対処法は無視するしかないって思っていました。でも読んでいるうちに見なかったふりが余計に虐待サバイバーの方たちを追い詰めていたということに気が付きました。

こんな風に被害があった方たちのアウトプットできる場があれば、社会ももうちょっと変わっていくんじゃないか、社会全体が保護漏れになった方へのプログラムやトレーニングがこの国に足りないんだな。ということが改めてよくわかったと思いました。

(羽馬):日本社会が時代とともに不寛容になっていると私は感じていて、虐待サバイバーだけじゃなくてみんなが生きづらいっていう時代になっていると思うんです。

昭和って寛容な時代で、職場で黙っているおじさんでも居場所があって、ああいうキャラで認められる、職もあるという時代とは違い、徹底的に同調圧力に従え、というような不寛容な時代になってきてしまうと、余計に虐待サバイバーなんて受け入れてもらえない。

社会側の文化・価値観の変容が必要だと思うし、社会で受け止めていくのが難しい状態の時だと医療現場、プロしかないと思います。

(菊池):CPTSDの急性期の状態は、一人で対応対応は絶対できないし、やってはいけないと思います。ただ、今の日本の医療現場でCPTSDの人をチームで見れる状態かと言われると、恐らくそれができる場所はとても稀じゃないかと思います。

また、色んな意味で今の時代が、過渡期なんだろうなと思っていて。

例えば、セクハラや性的なことに関しては少しずつ改善されつつあるのかなと思いますが、逸脱した人に対するバッシングはさらに酷くなっている気がするんですよね。

虐待サバイバーの様な、逸脱をしなければ生きていけないみたいな人が逸脱することによって、さらにバッシングを受けるというのはすごくつらい。

あと色んな意味で貧困化してきている。余裕のある生活ができないような経済政策が行われているのはすごく問題だなと思います。

(羽馬):私も逸脱してきたから分かるんですけれども、逸脱をどこかで自分で止めなければいけないじゃないですか。社会側からの寛容さも必要ですが、自分は障害者だから、複雑性PTSDだからなんでもしていいんだ。という考えは違うかなと個人的には思うんですよね。

急性期に逸脱が止まらないという時期があるのはわかるんですが、迷惑をかけられた周りの方も困る。そこは自分で自己修正をしていくしかないと思うんですよね。

ただそれを一人でするのは大変なのを、私自身体験してきているので、最終的には医療のプロのケアがないと受け止めきれないのかなと。

医療的なケアだけじゃなくて、社会的な理解を進めていくことも必要です。どちらも必要なんだけれども、医療が整って社会に啓発されていく方が順番としてはいいかなと思います。

(丘咲):羽馬さん菊池さんもそうだったと思うんですが、適切な診断してもらえて治療に結びつくまで時間がかかってしまうので、日本の精神科領域内でも、複雑性PTSDの治療がちゃんとできるような場所が、広がってほしいです。

児童虐待という言葉は結構広まってきたので、子どもが虐待を受けたっていう所には、すごく注目が行くし、社会的養護に至った人は何か支援をしなきゃとなりますが、実際はちゃんと社会的養護に結びつけた人なんてごく一部しかないのに、漏れちゃった人はどうなっているんだということが、完全に見えないことにされてしまっているんですよね。

虐待死のニュースを見た時は、皆さんすごく悲しんでくださるんですが、もしその子が亡くならなかったらというと、まさに私たちサバイバーの状態なわけじゃないですか。

亡くなった子の死を重く受け止めてくださるのであれば、保護もれの人たちがたくさんいて問題がたくさんあることを、とにかく知ってもらいたいという思いがすごく今強いです。

(羽馬):虐待死が起きたということは、緊急的な保護が絶対的に必要な子どもが保護されずに死んでいるので、虐待死は保護もれ問題なんです「保護されていたらまず死なないでしょ」っていう。そこを報道して欲しいなと思うんです。

エンディング

(島川):お話ありがとうございます。予定の時間になりました。最後にこれだけは伝えたいことはありますか?

(丘咲):もし今聞いてくださっている方の中で、虐待サバイバーの方がいらっしゃったら、自分のことを守れるのは自分だけだと思うので、自分を大切にして欲しいと思います。

(菊池):このような場を設けて頂いて感謝しています。保護もれ問題はめちゃくちゃ大きな問題なんですけれども、可視化されていないので、広げて頂ければ本当にありがたいです。保護もれ問題をなるべく多くの方に知って頂きたいです。

(島川):ライターのお二人もよかったら感想をお願いします。

(salad):私自身も同じような虐待で、そういう思いをして育った方に出会ったことがなかったので、今日のお話、すごく心に響きました。ありがとうございました。

(どん晴れ):私は子どもの人権は基礎だと思って子どもの人権に関する記事を書いているのですが、子どもの人権を守るのは大人なんですよね。大人の問題が解決しない限りは子どもも救われないと思います。

今日のお話を聞いて、社会全体で同じ方向を向いて虐待サバイバーの問題を解決できればなと思いました。以上です。

(島川):ありがとうございます。最後に今後の活動について伺いたいと思います。

(羽馬):今二作目の本を執筆しているの秋くらいには出したいと思っています。新刊がでた時はまたよろしくお願いします。

(丘咲):私は本の執筆を進めているのと、全国を回って講演会をしているので、皆さんの地域にいくことがあれば、お会いできたらなと思います。

(島川):皆さんの今後の活動を僕達も微力ではございますが、できるだけお力になりたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いします。

(全員):ありがとうございました。

関連記事

虐待の後遺症「複雑性PTSD」と、社会的養護への「保護もれ問題」を考える・CPTSD協会について

HOME

AKARI

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。