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私は前回の記事は小学校まで書きました。今回は、中学校から高校までのことについて書きたいと思います。
前回の記事はこちらになります。
中学校にあがると・・・
それまでと大きな違いは、制服がある、自転車通学ができる(2.5キロ以上)、教科ごとの先生がいるなどでした。
また、夏の体育の時間でプールがないことが嬉しかったことを覚えています。それくらい夏の体育時間は嫌いだったのです。
家庭科の時間だけは、女子だけで男子は他の授業を受けていました。学科によっては専用の教室もありました。それが、家庭科調理室、理科室、音楽室、美術室などで、移動する教室の前が体育だったりすると、急がなくてはならなかったので大変でした。
ここでの学校生活でもいじめが・・・・
いじめは男子がメインで、からかいの他にあったかどうか覚えていません。そのかわりに女子が優しくなったのではないでしょうか?その記憶もおぼろげでしかないのです。
移動した時の机の席順や教室でも前後左右にくる男子はすごく嫌がっていて、席順がかわって離れると喜んでいたと思います。その理由なんて私が知ることはなかったのです。
私の心は、何もなかったようにしていました。が、いじめによって捻じ曲げられていることに気づきました。
中学を卒業するまで支えてくれた先生・・・
私が学校の先生に支えられていると同時に、その女性と知り合ったことで一筋の光となったのです。いつも明るくて笑うと人を幸せにして、暗くなる私の心に「心配ないよ」と言ってくれている気がしました。高校受験も周りが行くからいくという感じでした。
そんな時間が中学を卒業しても続きました。
高校へいいても・・・
高校へ行ってもどこか馴染めずいて、無理しながらいました。そんな時いつも「早く土曜日が来ないかな!」って思うようになっていました。私にとっても大事な時間だったからです。そんな生活がある日突然終わりがきたのです。
それは、「彼女の死」の電話を受けた時から、「むなしさ」と「寂しさ」から落ち込んでいました。話をしていたのは別のクラスの人で自然体で、楽しい時間を過ごすことができたのです。
私のいるクラスは息苦しくて、必須クラブや部活動の時間が救いとなっていたし、素敵な先輩や後輩に出会ったことが嬉しかったことを覚えています。
同学年(同じ学科)のいじめ・・・・
その頃の私は、同じ学科のいじめを受けていて「友だち」といえる人はほとんどいませんでした。個性を認めてもらえなかった同学年の人と心配してくれる先生がいたり、当時の私は複雑な思いを抱えていました。
高校の思い出で残っているのは、恩師と同じ学科で心で本音の言える友と、先輩や他の学科の友だちくらいです。それ以外の記憶は私にはありません。
まとめ
私の学生生活の中で、いじめを感じなかった期間ってどれくらいあったでしょう?
どんな人間にも性格や個性があるように、私の存在を消したいと思うことが多かったのも事実です。人との関わり方が薄いとここまでいくのか?と思い知らされて、考えることや迷いながら生きてきました。
こんな人生と卒業して自分らしく生きたい!と思ったのもこの頃からです。人と違うのも当たり前だから、個性を認め合えば変われるかもしれません。
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