「心の闇とシャボン玉 後編」うつ病viviの迷走

シャボン玉

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「心の闇とシャボン玉 後編」うつ病viviの迷走

前回のお話

前編で、心の闇を書きました。

「どんなに気分を上げても、

何かをきっかけにこみ上げてくる心の闇。

それは、とても苦しくて悲しい。

暗い暗い穴の中にいます。

ここから抜け出せないでいます」

viviは幼い時から幾つもの嫌な出来事に遭遇してきました。

どんなに嫌で悔しくても、その時は嫌とは言えない。

気づくと我慢するのが当たり前で、後からなんとも言えない感情に襲われていました。

その感情が何なのかわからず時が進み、やっとその感情が何かわかったのです。

それは、「イラっ」「モヤっ」そして「ストレス」という言葉。

viviは、この感情を溜め込んでいました。

溜め込みすぎて、心のタンクは満杯に。

そして、溢れそうにになると、苦しくなり精神安定剤に頼る日々。

薬を飲むと一時は落ち着きますが悲しみや涙、溢れてくるものは止まらない。

溢れてくる感情を外に出すまいと抑えようとするけれど、すればするほど気分が悪くなる。

だからといって吐き出すと、崖っぷちに立ち窮地に追い込まれ悲しくなる。

話したい。話せない。話さない方がいい。でも話したい。堂々巡り。

話そうか話すまいか・・。話すと全てを失いそうで怖くなる。

そんな時に頭をよぎる歌があります。

悲しい歌

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた

この歌はviviにとっては悲しい歌。涙があふれてくる歌。

シャボン玉は希望であり夢でもある。だけど、それはとてももろい。

何かをきっかけに、すぐに壊れてしまう。だから全ては話せない。

悲しいけれど、そうするしかない。この社会で生き抜くためには仕方ない。

嫌々ばかり言うと弾かれる。それこそ屋根まで飛んで消えるということ。

せっかく見つけた希望の光。できることなら失いたくない。

嫌で嫌で仕方のないことがあるけれど、失うことの方が悲しくやり切れない。

もう何も失いたくはない。

誰も信じられない

あまり嫌々ばかり言ってると、不審に思われ誰のことも信じられなくなることがある。

誰も信じられない。誰を信じたらいいのかわからない。

だけど信じたい人がいる。信じてみたい人がいる。

信じることで、その人は信じたこの人を救ってくれるのだろうか?

守ってくれるのだろうか?この気持ちを理解できるのだろうか?

理解はできないと思う。だけど話すことで、この気持ちを知ってもらえる。

今何を感じているかを知ってくれればそれでいい。

あとは自分次第。この危機を乗り越えるだけ。

乗り越えるために必要な事、嫌々ばかりを言わないこと。

そして人を信じること。

人を信じる

人を信じること。信じることができるだろうか?

これまで散々裏切られてきた。信じたばかりに傷ついた。

もう傷つきたくはない。だから、信じた振りして疑ってきた。

いつ何時、裏切られてもいいように先を読む。

先を読んでおくのは大事。傷つかない為の施策。

それでも裏切られ傷つきそうになったら自分でシャボン玉を壊す。

そして立ち去る。決定打を打たれる前に立ち去る。

でも、もうそんなことはしたくない。そう思い、ある日立ち向かってみた。

立ち向かっていたら更なる追い打ち。想像していた以上に傷ついた。

傷ついて癒されることなく追い出された。

さかのぼって今日まで約30年。

再起不能になって、ここにたどり着くまでが約7年。

ずいぶん長い間、苦しみました。

だけど、まだその当時の記憶は鮮明で生々しい。

人は嫌い。人は怖い。だけど、人を好きになってみたい。

だから、もう一度人を信じてみたい。そう思う今日この頃。

誰でもいいわけではないけれど、信じてみたい人を好きになってみたい。

おわりに

心の闇とは、表に見せないような思想・思考のこと。

誰しもが持っているネガティブな感情。

viviが抱える心の闇は一言で表すことはできない。

どう説明したらいいのかもわからない。

きっと単なる「わがままな人」と思われていることでしょう。

嫌々いうのは、「わがまま」以外何もありません。

「何かおかしい」「それはちがう」「間違っている」(「あれは嫌、これは嫌」)

わがままと思われても仕方のないことかも知れません。

しかし、これをわがままという人は心の闇を抱えている人のことを理解していないのだと思います。

ですから、あえて「わがまま上等!」と言わせて頂きます。

「私は間違っていない」「おかしなことは言っていない」「全て真実」

私の心の闇は誰も知る由がない。真実しか言っていない。

だけど、感じたままの全ては話せません。

なぜなら、話せば自分で自分を窮地に追い込み、断崖絶壁に立つことになるからです。

だから、精神安定剤に手が伸びる。「薬、薬、薬。薬をちょうだい」

自分をコントロールするために薬を飲む。

飲んだら悲しくなる。悲しくなり涙が溢れてくる。

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた

夢や希望を失くしてしまいそうになった時、頭によぎる歌。

これまでの努力は何だったのだろう。これでは努力も水の泡。

話さなければよかった。なんてことをしてしまったのだろう。

だけど、話さないと伝わらない。話すことは大事。

話せる人、話を聞いてくれるひとがいる。それはとてもいいこと。

それまで、そんな人いなかった。いたとしても、その時だけ。

簡単に裏切られた。カマかけられた。騙された。話を聞くふりをされただけ。

それを学習してからは、それを頭の片隅において話をした。騙されたふり。

人を信じない。信じたら痛い目にあう。自分で自分を守るため。

こんなことが多かったから話すことは遠慮してた。避けて通った。

でも、今は違うと信じています。

そうじゃないことを。

まだ、ちょっと疑ってるところもあるけれど。

それは、これまでの経験上仕方がなく、その点もわかってくれたらいいなと思います。

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うつ病と闘うアラフィフ。おまけに、腰部脊柱管狭窄症!踏んだり蹴ったり。のんびり穏やかに毎日を送っていきたいと思ってます。