金子みすゞの美しい詩群。詩人の僕と一緒に読み直してみませんか?

詩

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はじめに

こんにちは。Kと申します。

僕は現代詩を読むのが好きで、自分でも書いています。

今回は若くして逝去した童謡詩人、金子みすゞの詩を見つめ直してゆきたいと思います。

詩の自由な楽しみ方を皆さんにお伝えできるよう頑張ります。

お付き合いいただけますと幸いです。

わたしと小鳥と鈴と

 

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は私のやうに、

地面を速くは走れない。

 

私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のやうに

たくさんな唄は知らないよ。

 

鈴と、小鳥と、それから私、

みんなちがって、みんないい。



おそらく金子みすゞ作品の中で最も有名で、教科書などで読まれた方も多いのではないでしょうか。

「わたし」、「小鳥」、「鈴」。

相容れない三者を比較するとき、私たちならばどんな比べ方をするでしょうか。

金子みすゞはそれぞれの違いを認めながら、そのどれもに美点を見出しています。

柔らかな言葉で書かれたこの詩ですが、その含蓄は計り知れず、子供たちの道徳感を育てることも期待できます。

個人的に好きなのは三連目。

「鈴と、小鳥と、それから私」とタイトルを逆さに軽やかに歌い直しつつ「わたし」を後回しに持ってくることでちょっぴり恥ずかしがっているような、それでも凛として自認するような、そんなニュアンスを自然に出しています。

そこに金子みすゞの性格が表れている気がします。

こだまでしょうか

 

「遊ぼう」っていうと

「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと

「馬鹿」っていう。

 

「もう遊ばない」っていうと

「遊ばない」っていう。

 

そうして、あとで

さみしくなって、

 

「ごめんね」っていうと

「ごめんね」っていう。 

 

こだまでしょうか、

いいえ、誰でも。

 

この詩も耳にしたことがある方が多いのではないでしょうか。

これは2011年の東日本大震災が起きた後、テレビCMで使われた詩です。

こだまのように繰り返される会話を軸に展開されていくこの詩には、「リフレイン(繰り返し)」という手法が巧みに取り入れられています。

金子みすゞはそんな詩の技術や素養を、どこか温もりを感じるさびしさと混ぜて抒情させています。

この詩の中では、自分が誰かに放った言葉がこだまのように返ってきます。

温かい気持ちで人に話しかければ、きっと温かい言葉が返って来るのでしょうね。

星とたんぽぽ

 

青いお空の底ふかく、

海の小石のそのように、

夜がくるまで沈んでる、

昼のお星は眼にみえぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

散ってすがれたたんぽぽの、

瓦のすきに、だァまって、

春のくるまでかくれてる、

つよいその根は眼にみえぬ。

  見えぬけれどもあるんだよ、

  見えぬものでもあるんだよ。

 

「見えぬけれどもあるんだよ」というフレーズは精神の病を抱える僕にはとても良い意味で刺さりました。

僕が罹患した当時はまだ「心の病」というフレーズが多用されていて、鬱病を始めとする精神病に対する世間の理解度も低かった記憶があります。

この詩の中で「見えないけれどある」とされているのは、星やたんぽぽの根など、ポジティブな事物です。

しかし僕はネガティブな部分を照らされ、見つけてもらった気持ちがして、とても救われました。

詩の面白いところは、ある一つの言葉だけを拾って自分なりに大切にできたり、美しいと思えたり、救われたり。

そういう読み方ができる点だと思っています。

詩は小難しいものでも小っ恥ずかしいものでもありません。

皆さんも自由に詩を楽しんでいただけたらうれしいです。

さいごに

詩人特有の鋭い視点と、素直な言葉選び、そして子どもでも読みやすい平易な文体。

この心地よい調和が金子みすゞ作品を作り上げています。

わたしと小鳥と鈴と、のようにさまざまの要素が絡み合って美しくやさしい世界はつくられるのかもしれませんね。

以上、Kでした。最後までお読みいただきありがとうございました。

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