デフリンピック。〜聴覚障害アスリートによる、もう1つのスポーツ大会〜  

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こんにちは、翼祈(たすき)です。

とうとう冬季パラリンピックが開催されましたが、パラリンピックとは別に、聴覚障害のあるアスリートのみが出場出来る、もう1つのスポーツ大会『デフリンピック』をご存じでしょうか?

今回はそのデフリンピックに駆けるアスリートの想い、周りの人の想い、デフリンピックの歴史などについても綴っていきたいと思います。

デフリンピックとは

身体障害者のオリンピック「パラリンピック」に対し「デフリンピック(Deaflympics)」は、ろう者のオリンピックとして、夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストリアで初めて開催されています。障害当事者であるろう者自身が運営する、ろう者のための国際的なスポーツ大会であり、また参加者が国際手話によるコミュニケーションで友好を深められるところに大きな特徴があります。

なお、デフリンピックへの参加資格は、音声の聞き取りを補助するために装用する補聴器や人工内耳の体外パーツ等(以下「補聴器等」という)をはずした裸耳状態で、聴力損失が55デシベルを超えている聴覚障害者で、各国のろう者スポーツ協会に登録している者とされています。また、競技会場に入ったら練習時間か試合時間かは関係なく、補聴器等を装用することは禁止されています。これは、選手同士が耳の聞こえない立場でプレーするという公平性の観点によるものです。(国際ろう者スポーツ委員会 オージオグラムに関する規則2. 参加資格に関する規則 第2.1版 改訂版 – 2009年11月13日第1.0版公開 – 2001年7月31日 ※一般財団法人全日本ろうあ連盟:訳)

デフリンピックを運営する組織は、国際ろう者スポーツ委員会(International Committee of Sports for the Deaf)で、1924年の設立以来、デフリンピックやろう者世界選手権大会の開催、そして各国のろう者スポーツの振興など、着実な取り組みを続けています。現在の加盟国は104カ国です。

画像・動画・引用:一般財団法人 全日本ろうあ連盟 スポーツ委員会

デフリンピックに駆ける聴覚障害アスリートの想い

聴覚障害者が勝敗を決まるデフリンピックでは、パラリンピックとの成り立ちの相違などから、双方違う道を歩んできました。デフ(deaf)とは英語で「耳の不自由な」の意味。デフリンピックは認知度では遠くパラリンピックに及ばないものの、競泳のエース=SMBC日興証券=は「デフリンピックとパラリンピック、それぞれに大会の意図があります。東京パラリンピックでパラスポーツの認知度が上がるのは、デフリンピックを知ってもらう上でも良いきっかけ」と想いを馳せます。東京大会はその瞳にどう映り、デフリンピックとパラリンピック、両方の大会のあり方をどう考えているのでしょうか。

『普段は日本のパラスポーツ大会などで、パラアスリートと共に試合に参加することが多いです。直接の関係はないですが、東京パラリンピックには知っている選手がいっぱい出場したので、応援にも自然と力が入りました。日本で東京パラをやると決定してから、一気にパラスポーツへの関心度は高まりましたよね。私自身はデフアスリートですが、デフアスリートとパラアスリートが別のものだと分からない人も沢山いて、「君も東京パラリンピックに出るよね?」と問われることも多くなりました。私自身にとっては、東京パラリンピックもデフリンピックというスポーツ大会を知って頂く1つの大きなきっかけ。いつも、「パラリンピックには私たち聴覚障害者は出場できない。それとは別に聴覚障害アスリートのみが出場可能なデフリンピックというスポーツ大会があるんですよ」と返答してきました。

デフリンピックはパラリンピックに比べればまだまだ認知度は低いですが、2006年の内閣府調査の2・8%から14年の日本財団パラリンピック研究会調査の11・2%までデフリンピックの認知度が上がりました。延期された今年2022年5月の大会をきっかけに、もっと認知度を高めていきたいと思っています。

デフアスリートは聴覚に障害があるだけで身体に障害は特にないです。なのに、記録はオリンピックから見てデフリンピックはかなり低い。なんとかオリンピックと同じくらいの記録のレベルに上げていきたい。記録が出れば、自然と周りに関心を持って頂けると思うので。まずは障害のない人達と一緒の日本選手権に出場可能なレベルにならないと話題にならないと思っています。

もしデフリンピックが日本で開催され、自分が出場できたら、こんなにうれしいことはありません。東京パラリンピックのように、きっと大きな一大イベントになるはずと思います。私たちが手話で会話をしながら生きていることを多くの方に関心して頂ける機会にもつながります。』

参考:一般社団法人 日本デフ水泳協会

デフサーフィンに取り組む男性の想い

今回は種目に入っていませんが、デフサーフィンという競技に取り組まれている方の声もこちらでよければお読みください。デフサーフィンは、音の代わりに旗で視覚的に情報を補うなどして実施します。毎年国内で大会が開催されていますが、聴覚障害者によるスポーツの世界大会「デフリンピック」の種目にはなっていません。

参考:JDSA

東京パラリンピックのボランティアをしたデフアスリートのデフリンピックへの想い

2021年7月24日から2日間行われた東京オリンピックの自転車ロードレースで、大会ボランティアとして参加した聴覚に障害のある薬剤師の女性。女性自身も来年2022年にブラジルで行われる聴覚障害者のスポーツ大会『デフリンピック』の自転車競技で、3度目となる日本代表に内定したデフアスリートでもあります。国際大会で選手を支える側から見つめた今回の東京パラリンピックのボランティアの経験を生かし、4年後の日本招致を目指す『デフリンピック』の向上にもつなげたいと想いを馳せます。

横浜市に住む女性はロードレースのスタート地点、東京の武蔵野の森公園で参加してしました。「国際大会の出場経験があるので、次に選手にとって何が大事か考えて行動できたと思う」。静岡・富士スピードウェイまで走る選手たちに飲み物や氷を配膳したり、会場の動線を整備したりしました。幼いころに学んだ手話を母語とする聴覚に障害のある女性。健聴者との通訳は、手話通訳士の大会ボランティアの男性が担当しました。支障なく東京パラリンピックのボランティアに参加した女性ですが、話しかけてくる他のボランティアらは少なかったと感じます。『「遠慮するのかな」と思いますが、壁がある感じがしてやはり寂しいです。』

東京パラリンピックのボランティアの研修などを担う日本財団ボランティアサポートセンターは、ボランティアの中で手話のできる人に聴覚に障害のある方の通訳を依頼し、研修をしてきました。その通訳に応じた男性は「東京パラリンピックのボランティアは参加者全員で一緒にやっていこう、という雰囲気があるので、気兼ねなく話しかけて頂ければ喜んで通訳します」と話します。

手話通訳士のデフリンピックへの想い

聴覚障害者の国際総合スポーツ大会「デフリンピック」の第23回夏季大会(トルコ・サムスン)で日本選手団本部手話通訳を務めた手話通訳士の女性が2017年12月10日、県聴覚障害者協会で活動を報告した。パラリンピックに比べ知名度の低いデフリンピックへの理解と支援が広がるよう決意を新たにした。

「手話の花を咲かせ、ろう者としての絆と誇りを再確認する姿に感動した」。女性は7月18日から13日間、選手村で寝食を共にした日本代表選手たちが年齢や競技、自身の勝敗に関係なく励まし合ったり、ベテランが若手に手話を教えて学び合ったりしていた様子を一番の思い出として振り返る。

デフリンピックには関係者の推薦で初めて派遣。本部手話通訳は女性含め3人。政府要人や医療班、広報班、旅行会社などの対応を担当した。当初は「大変な名誉」と喜んでいたが、開催が迫ると重責に押しつぶされそうになったという。

活動報告は男子バレーボールの選手とテニスの監督とともに出席。「デフリンピックに参加した1人として、普及の一助となるよう機会を通じて体験を伝えるのは責務。東京五輪、パラリンピックと同様に選手たちが活躍できる日本を目指したい」と語った。

引用:デフリンピックに理解を 静岡の女性、手話通訳で懸け橋 あなたの静岡新聞(2017年)

2023年8月、

聴覚に障害を抱える人たちのオリンピックとも言われている『デフリンピック』が2025年に日本で初めて開催されます。『デフリンピック』に向けて、耳が聞こえなくても競技の臨場感が伝わってくる技術開発が加速しています。技術開発を手がけたのは、社員8人の中で5人が聴覚に障害を抱えている人たちが働くスタートアップ企業です。「聴覚に障害を抱える当事者の声を活かした『デフリンピック』に」と新しいスポーツ観戦のカタチにチャレンジしていきます。

開催都市として『デフリンピック』をサポートする東京都が2023年6月、スタートアップ向けのアイデアコンテストを開催して、事前審査を通過して、5つの技術がお披露目されました。

優勝したのは「雰囲気・応援可視化システム」でした。卓球の試合の臨場感を伝える画面に、「スパーン」「カッ」「がんばれ!」など声援や球音が記されます。選手の動きに合わせて、鮮やかな色合いで人の目を引くデザインの文字が表示された、漫画の1シーンみたいです。

競技会場の音や声援をAIに学習させ、「オノマトペ」(擬態語、擬声語)としてリアルタイムに画面に示されます。

参考:スポーツの競技音が文字に 2025年の「デフリンピック」へ新技術 朝日新聞デジタル(2023年)

この度の「オノマトペ」のデザインを手がけたのは、東京都渋谷区にある株式会社「方角」で、聴覚障害に特化したWEBデザインの制作や求人サイトを手がけるスタートアップ企業で、社員8人の中で5人が聴覚に障害を抱えている当事者です。

同「方角」の代表の女性は「健聴者と耳が聞こえない人で区別された社会は生きづらくあります。聴覚に障害を抱えている当事者の声を活かした『デフリンピック』になれる様に、力になっていきたいと思います」と述べました。

2023年9月、

画像・引用:東京2025デフリンピック 大会エンブレムが決定! スポーツTOKYOインフォメーション

聴覚に障害を抱えている人たちのスポーツの国際大会『デフリンピック』の大会エンブレムに、筑波技術大学産業技術学部4年生の多田伊吹さんがデザインした人の手のカタチが特徴的なデザインが選出されました。

手話通訳者を通して、多田さんは「『デフリンピック』を世界中の人が認知して下さったら」と大会エンブレムのデザインに込めた想いを明かしてくれました。

「全日本ろうあ連盟」などは2023年9月3日に、『デフリンピック』の大会エンブレムを決定し、発表しました。これから、『デフリンピック』のPR宣伝活動などに幅広く活用されていきます。

大会エンブレムの制作は、『デフリンピック』を招致した一般財団法人「全日本ろうあ連盟」が、聴覚に障害を抱えている学生が学ぶ同筑波技術大学に依頼しました。2023年9月3日は東京都調布市で『デフリンピック』の大会エンブレムを決定する選考会が開催され、最終選考に残った3つの作品に関して都内に住む中高校生併せて65人が投票して決定しました。

大会エンブレムは、聴覚・視覚に障害を抱えている人たちが学ぶ同筑波技術大学の学生からアイデアを募集し、37作品の応募が集まりました。どの3つの作品も、都内に住む中高生の投票に先立ち、生徒同士がみんなが理解しやすいデザインかなどに関して意見交換をしました。

そして都内に住む中高生の投票の結果、多田さんがデザインした人の手のカタチが特徴的なデザインが選出されました。中高生による投票で最も支持を集待ったと言います。手話に欠かせない「手」を一筆で「輪」の様に描いて、書き終わりの親指は「花」で表現しました。

「『デフリンピック』と話題に触れることでみんなが『輪』の様に結び付いた先に、未来という『花』が咲き誇る」という意味を込めています。赤、青、黄色、緑の4色に多様性のある現代社会への願いも含めました。多田さんは「得意なデザインで『デフリンピック』に貢献したいと思っていました。時間を要して、大会エンブレムのデザインを完成させたので凄く嬉しいです」と述べました。

参考:東京開催のデフリンピック エンブレムが決定 大学生がデザイン NHK NEWS WEB(2023年)

大会エンブレムに決まった後、多田さんは「選出されたことをとても嬉しく感じています。手話で用いる手を1つの特徴で、『未来に花が咲き誇って欲しい』という願いも含めて、桜をデザインしてみました。『デフリンピック』がオリンピックやパラリンピックと同じ位広く認知して頂ける未来に向かって欲しいと思います」と説明しました。

デフリンピックは、

パラスポーツについて調べている時に、検索に出て来たこの『デフリンピック』。私は聴覚障害者もパラリンピックに参加していると思っていたので、今回聴覚障害アスリートのみのスポーツ大会を知って、同じ聴覚障害者として是非もっと知りたいと思い、書いていきました。

私は何もスポーツは得意じゃありませんが、まだまだ認知度が低いという、この『デフリンピック』が普及して欲しい、その一心でこの記事を書いていきました。私自身まだ至らないところばかりですが、この記事を読んで誰かが関心を持って頂けたら幸いです。

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左耳感音性難聴と特定不能の発達障害(ASD,ADHD,LD全ての要素あり)、糖尿病、甲状腺機能低下症、不眠症、脂漏性皮膚炎、右手人差し指に汗疱、軽く両膝の軟骨すり減り、軽度に近いすべり症、坐骨神経痛などを患っているライターです。映画やドラマなどのエンタメごと、そこそこに詳しいです。ただ、あくまで“障害”や“生きづらさ”がテーマなど、会社の趣旨に合いそうな作品の内容しか記事として書いていません。私のnoteを観て頂ければ分かると思いますが、ハンドメイドにも興味あり、時々作りに行きます。2022年10月24日から、AKARIの公式Twitterの更新担当をしています。2023年10月10日から、AKARIの公式Instagram(インスタ)も担当。noteを今2023年10月は、集中的に頑張って書いています。昔から文章書く事好きです、宜しくお願い致します。