「お風呂に入ると涙があふれてきてました」うつ病viviの追憶

うつ病

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「お風呂に入ると涙があふれてきてました」うつ病viviの追憶

はじめに

「お風呂に入ることがきつくて、泣いている方いませんか?」

「お風呂場という一人になれる空間で、ひっそりと泣いている方いませんか?」

viviはそうでした。同じことを経験されている方へviviからメッセージを送ります。

 

うつ病と診断されていた頃viviは泣いてばかりでした。

泣くか怒るか泣き疲れて寝るかでした。

特に泣いていたのはお風呂場。

一人になれる空間にいると涙が次から次にあふれてきていました。

当時は夢や希望を失い、まるで絶望の淵に立たされているかのよう。

明日が見えなくなり、ただただ泣くしかなかったのです。

涙が止まらない

こうなる前は夢や1%の希望を持っていました。

一日一日が明日へ繋がる階段だと信じていました。

しかし、その一歩一歩はうつのスパイラルに入る入口だったのです。

当時は毎日、業務に追われていました。

同時に置かれた環境に疑問を抱いていました。

そこは異世界。理解できない出来事が多々ありました。

それでもそこに身を置くことが得策であると思っていたのです。

ある日の朝、とうとう起き上がれなくなりました。

仕方なく、その日は休みをいただこうとしたところ、電話口で一方的に怒鳴られました。

ひとしきり怒鳴られたあと電話が切れたかと思ったら、次はいろんな人から電話がかかり、
ヒステリックに罵声をあびせられました。

もう何がなんだかわからず涙があふれてきて、その涙を止めることができませんでした。

たまらず精神科の門を叩き、数日後退職しました。

悔し涙とフラシュバック

それから一年。経済的な理由で精神科にかかることは早々にやめていました

自力で這い上がったつもりで再就職。

しかし、そこは前にも増して、もっと厳しく風当たりの冷たい場所。まさに戦地でした。

必死でついて行こうと突っ走りました。

だけど、すぐに息切れして、うつを再発。

それでも走り続けていたら、心のネジがピタリと止まりました。

入職して一年。退職を余儀なくされ再び精神科に週に3回通いました。

悔しくて悔しくて泣いてばかり。

しばらくの間、退職に至るまでのいろいろな出来事が毎日のようにフラッシュバックして苦しみました。

泣かなくなったと思ったら

鉛様麻痺で身体が重く固まるようになりました。

それは幾度も幾度も起きました。

立ち上がろうとしたり、何かをはじめようとすると思考や身体が固まるという不思議な症状でした。

結局、寝てばかり、うちに引きこもりがちになっていました。

また、そのころからテレビや音楽を鑑賞することができず、前より増して様々な音にビクビクしていました。

そして、時々襲われるフラッシュバックでノイローゼに。

お風呂場で声を殺して泣く

そんな日々を送っていたら、お風呂場という一人になれる空間に入ると涙があふれてくるようになりました。

お風呂に入ることがきつくてきつくて泣いたり、

いろんな感情が湧き上がってきたり・・。

泣くといっても声を殺していました。

本当は声を出して泣きたかったのですが、そうすれば声が響き泣いていることがばれてしまう。

それだけは避けたいと思っていました。

母に気づかれぬように、ひっそりと泣いて、なんでもないかのように振る舞うことが癖になていました。

母の前では涙や苦しむ姿を見せたくなかったのです。

なぜなら、そんな姿を見せると母まで病んでしまうからです。

ありのままの自分でいたいけど、viviにはそれが出来ませんでした。

峠を越したようで・・

きっかけは、当時の主治医に「身体を動かした方がいいですね」と言われたこと。

渋々フィットネスに通いだしました。

はじめのころは30分くらいで帰っていました。

それが1時間になり、2時間になり。5,6時間運動していました。

毎日大量に汗をかいて生きている喜びを感じるようになっていました。

それでも、ふと思い出すとお風呂場で泣いていました。

しかし負のスパイラルからは抜け出せたようで、よく外出するようにもなりました。

また、ここTANOSHIKAでお仕事を始めたことも大きいと思います。

そんなこんなで、立ち止まったり後ずさったり前を向いたりしながら、長かった峠を越すことができたのです。

おわりに

いくつもの難を超え、生きてる喜びを感じるようになりました。

ここで働くようになって、温かい支援員さんたちに出会えたことも乗り越えられたきっかけになっているのではないかと思います。

viviはずっと寂しかったのでしょう。

理解できない環境にいたり、理解されない苦しみを味わったり。

頓服をふらふらになるまで飲んで現実逃避していました。

そんな毎日が9年くらい続いたでしょうか。

次第にお風呂場で涙を流すことも減ってきました。

減ってきた理由は、恐らく日々の生活やお仕事が順調に進みだしてからだと思います。

順調に進みだした理由は、よき理解者に出会えたことが大きいかも知れません。

主治医や支援員さん、訪問看護師さん。

viviの人格を酷く非難し否定されることがなくなりました。

存在を認めてくれたことで乗り越えられました。

ここまで立ち直れたことが本当に嘘のようです。

テレビも見れるようになりました(バラエティー番組以外)

音楽も聞けるようになりました(音量小さめで)

そして、何よりも笑えるようになりました。

出来るようになったことが増えてきて嬉しく思います。

「お風呂場で泣かなくなったこと」

それは精神科のお薬では感じることのできない、生きている喜びを知ったからかもしれません。

汗をかくことで生きている喜びを知りました。

初めてと言っても過言でないくらい人の優しさや温かさを感じました。

これらのことで心の錆を取り除くことができました。

1%の希望を捨てなくてよかったと心から思ってます。

これからもこの希望は捨てたくはない。

だけど、この先何が待ち伏せしているのかわかりません。

どうなるのかは分からないけど、これだけは言えます。

お風呂は一番身近で生きている喜びを感じれるところ。

今、お風呂場という一人になれる空間で泣いているあなたに届けたいメッセージ。

「今日も生きたね。よく頑張ったね。たくさん泣いてまた明日乗り越えよ。

その涙は一生懸命生きた証。次から次にあふれ出てくるのは、それだけあなたが純粋だってこと。

泣いて泣いて泣いた分だけ、いつの日か喜びを感じることができます」

そして、きつくてきつくて泣いてしまうあなたへ。

「今は、まだまだお風呂に入ることはきついけど、いつか、きっと気持ちがいいと感じることができるようになります。

その日がくるまで焦らず、のんびりと。お風呂ミッションを乗り越えましょう」

涙があふれださなくなる、その日までゆるりと歩いていきましょう。 

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ABOUTこの記事をかいた人

うつ病と闘うアラフィフ。おまけに、腰部脊柱管狭窄症!踏んだり蹴ったり。のんびり穏やかに毎日を送っていきたいと思ってます。