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「希死念慮から抜け出す方法は?1%の希望を信じて」うつ病viviの場合
はじめに
viviが初めて死について考えたのは、小学校五年生の頃でした。
気がつけば、昭和、平成、令和と幾年も歳を重ねました。
あの日から、ずっと抱いていた希死念慮のようなもの。
抜け出せたきっかけはなんでしょうか?
過去を振り返りながらviviの今日までの道のりを問いたいと思います。
そもそも希死念慮とは?
希死念慮とは、自らの死を願う気持ちであり、その程度の強弱は幅広い。「ずっと眠りたい」「消えたい」など消極的に死を意識する心理状態も含まれる。
逆に、程度が強く、自殺を明確に意識する場合は、自殺念慮と呼ばれる。
つまり、希死念慮は特に理由はないけれど、何となく生きているのが苦痛で死んでしまいたいと思うことで、自殺念慮は解決困難と思える問題があり、そこから逃れる方法として死ぬことを考えてしまうこと。
引用元 今日の臨床サポート
viviが抱いていたのは?
調べてみると、viviの抱いていた希死念慮とは少し違うように思えます。
振り返ってみます。
学校生活では人間関係でつまづいていました。また幼い頃から十代の間は家庭環境も良いほうではなく、家族や親戚が集まる時は、はじき出されて泣いてばかり。
幼くして死を考えるようになったのです。
そのまま大人になり、二十代~三十代では職場での人間関係につまずいてばかりで、生きづらさや働きづらさを感じていました。
そのため転職も多く何か起きると、後先考えずに、すぐ仕事を辞めていました。
それでも三十代からは落ち着こうとしていたのですが、そう思えば思うほど自分を追いつめていました。
そして、ある日、精神科のドアを初めて叩いたのです。
適応障害と診断され、後に、うつ病そして双極性障害と診断されました。
何が起きても七転び八起きで這い上がってきたのですが、最後は頭や身体のネジが止まり、そのネジを巻きなおすこともできず、完全に働くことができなくなりました。
一人で生きていく術を失くし、気づいた時は、もう戻れない世界になっていたのです。
生きていくことに疲れた
うつ病と診断されてからというもの、いろんな症状に苦しみました。
気分の落ち込みに始まり、イライラ、怒り、不安、過眠不眠、鉛様麻痺(体が固まる)、そして希死念慮や自殺念慮のようなもの。
もう二度と「社会」には戻りたくありませんでした。
ずっと、このままお布団の中にいたいと思っていました。
だけど、それは許されないことだったのです。
なぜなら、一日一日を生きていくためには、生活を潤すこと。
その為には「働くこと」
それがviviにとって一番大切なことだったからです。
抜け出せた、きっかけは?
社会復帰することから逃げ続けていたある日、当時の主治医に「身体を動かした方がいいですね」「なにか運動をしましょう」と言われました。
そこで思いついたのは「フィットネス」に通うこと。
これが、viviにとって転機になりました。
始めは1時間ぐらいでやめてましたが、汗をかくことが楽しくなってきて毎日通い5時間ぐらい運動してました。
そして、よく話をするようになって、性格や雰囲気が明るくなりました。
こんな日々が訪れるまで、生きた心地がしませんでした。
身体を動かして汗を流すこと。それが「生きている」ということに直結していました。
これが希死念慮のようなものから、抜け出すきっかけになりました。
1%の希望
幼い時から、様々な出来事に遭遇し泣いて泣かされ歩いてきました。
死を考えつつ生きてこれたのは、1%の希望を信じていたからだと思います。
1%の希望とは何なのか?
それは、かすかに見えた光です。
絶望という闇の中におぼろげに見えました。
具体的に言うと、幼い時は夢です。ある夢を抱いていました。
「いつかきっと、どん底から救い出してくれる人がいる」
「卒業すれば、自由が待っている」
「環境をかえれば大丈夫」
「働き口がある間は大丈夫」
「生きている限り、チャンスは必ずつかむ」
「チェンジはチャンス」「大丈夫大丈夫」
「まだ、やれる、やってみせる」
当時の夢とは仕事に生きること。働いて働いて働きぬくことでした。
おわりに
それでも、最後は職を失い、おぼろげに見えていた光も見えなくなりました。
光が見えなくなって約5、6年の間、生きる糧にしていたのは、母の存在でした。
「母が生きている限りviviも生きる」
「母を見送ったら後を追おう」
これは今も抱いているかもしれません。
その時になってみないと正直なところ、わかりません。
だけど、これだけは言えます。
「今は懸命に生きています」
生きること。生き抜くことが生きがい。
生きぬくことの先にあるのは、1%の希望の光。
その光とは、何不自由のない生活。
今は苦労が耐えなくても、いつかきっと送れるはず。
1%の希望に賭ける。儚い希望だけど信じてみよう。
それまでコツコツと。毎日の積み重ね。
生き抜いてみせようではありませんか。
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