ぼくと統合失調症の5年間(発症からTANOSHIKAに出会うまで)

海岸に佇む人

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~統合失調症になったきっかけ~

 初めて統合失調症と診断されたのは、24歳の梅雨でした。そのときは中学校で教師の仕事を始めたばかりで、早朝から深夜まで働く多忙な生活をしていました。ハードワークに耐えられなくなったのか、ある日を境に朝からだが動かなくなり、職場に通えなくなりました。保健室の先生の紹介で、家から片道電車1時間の病院に通い始めました。初診のために乗った電車の中では、周囲の人からの視線を感じたり悪口を言われているような感覚になったことを今でも覚えています。約1時間にもおよぶ問診ののち、診断されたのが統合失調症でした。

~統合失調症の闘病生活のはじまり~

 仕事に行けなくなったことで、「社会の落ちこぼれ」というイメージを自分に当てはめてしまい、あっという間に自殺願望が強くなりました。薬を飲んでも、自殺願望は全く弱まりませんでした。長期間休むことになったことで、他の先生たちや生徒たちに悪く言われているに違いないと勝手に思い込んで、ますます自分を追い込んでいました。頭の中は、死にたい一心でした。やがて自殺企図をするようになったことで措置入院となりました。閉鎖病棟で3日ほど過ごし、3ヶ月後には退院しましたが、症状はあまり軽くなりませんでした。冬が明ける頃には、退職しました。

~統合失調症の再発でぼろぼろに~

 統合失調症を自分で理解し始めたのは、最近です。それまで、何度も転職と離職を繰り返しました。仕事は長く続いても2年弱、短いもので半年でした。やがて適応障害も併発し、身も心もぼろぼろになり、直近の統合失調症再発(3回目)では、体力・集中力・持続力など、あらゆる能力をほぼ失いました。それが、29歳の梅雨でした。

~統合失調症を持って働く~

 「フルタイムの一般職で働くことは難しい」、そう現在の主治医に言われて、福祉サービスを受けることにしました。精神障碍者手帳を取得し、障害年金を申請しました。実家に帰ってきたので生活に困ってはいませんでしたが、先の人生を心配する毎日でした。なので、障害年金の受給が決まったときは、収入源ができて安心しました。現在は、就労継続支援施設A型のこのTANOSHIKAで働き始めたところです。家での療養も必要でしたが、このような形でまた社会とつながることができて本当に嬉しく思います。しばらくはここで、基礎能力の向上を図りたいと思います。

~まとめ~

 統合失調症を持つと、その症状に圧倒されて社会に出ることができなくなる時期があります。病状が酷いときはしっかりと休むことも、もちろんすごく大切なことです。ですが、家で一人で過ごすことは、社会から隔離されたような気分になって、とても寂しく感じます。わたしの場合は、そこそこ元気になってこのTANOSHIKAという環境に行くことができましたが、世の中の精神病をもつ人々が孤独にならず社会とつながるしくみがもっとあればなぁと感じます。

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2018.10.29

1 個のコメント

  • 私も同病です。発病して1ケ月ちょっとで自ら夜中に救急車を呼んで精神科に収容されました。おかしくなってもお医者さんに治して欲しい気持ちは残っていて聖路加病院など何か所に行きましたが自分のことを受付でうまく説明できずに、韓国系に日本が支配されつつあるという妄想に取りつかれていました。今は月1の通院で落ち着いています。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    30代になりたて、統合失調症&適応障害持ちの、元教職員です。生物学が好きで、生物学習サイト「高校生物の学び舎」をはじめました。気になる方は検索してみてください。