「精神疾患」を抱えたまま働くとはどういうことなのか

椅子に座り、ノートパソコンで仕事をしているジャケットを着た女性

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皆さんこんにちは。Pinkです。

現在、就労継続支援A型事業所「TANOSHIKA CREATVE 東町」でライティング業務をしている私ですが、10年近く前までは「一般就労」で、同じ会社で十数年働いていました。

今回は、その時の経験をもとに、「うつ病」「ストレス」を持ちながら働いていた頃の苦しさなどを書きたいと思います。

夜は眠れず本を読み続けていた私

もともと本を読むことが好きな私でしたが、なぜ夜眠れないのかというと、眠ってしまうと当然朝になり、会社へ行かなければなりません。

それが嫌で、時間が許す限り、ぎりぎりまで本を読んでいました。
仕事があるので、ある程度の睡眠は必要になります。

しかし事務職だったので、パソコンの入力作業がメインとなり、電話が頻繁にかかってきて、来客もあります。寝不足でうとうとすることなどできません。

さらに、総務部と経理部が同じ部屋だったこともあり、常に会長と社長がいらっしゃるような中で、うとうとしてしまうことなどできないのが当然だと思いました。

今思えば、時間が許す限り、ぎりぎりまで本を読むことは、会社からの「逃避」だったのだと思います。

しかし、仕事は忙しく大変でしたが、次第に慣れてきてやりがいもあったので、定年まで働く気持も十分にありました。

ベットに入って、本を読んでいる女性

人間関係による「ストレス」で心療内科へ

長く働いていると、それまでお世話になってきた先輩方が退職や転職で会社を辞めることになり、気付いたら自分が指導する立場へとなっていました。

しかし、そのことが人間関係による「ストレス」となって、気持ちに余裕がなくなり、毎日苛々しながら仕事をすることになって行ったのです。

性格も関係しているとは思うのですが、私は気が強い女性が苦手です。たとえ年下であってもです。上司から指示を受け相手に伝えても、逆切れされてしまったりすると、委縮してしまいます。

上司に相談するものの「女性へは、女性から伝えた方がいいと思うので、宜しくお願いします」と言われ、自分の気持ちがわかってもらえないことに不満を抱きました。

そんな私を近くで見ていた会社の女性の先輩から「Pinkさん、「心療内科」に行ってみたらどうかな?知り合いの先生の病院を紹介しようか」と言ってもらい、初めて「心療内科」へ行きました。

そこでもらった診断名は「うつ病」でした。
心療内科」の先生から言われた時は、「そうなんだ。私はうつ病なんだ」と、まるで他人のことのように感じ、その後に、これから「うつ病」とどう向き合うべきなのか、不安が大きくなりました。

初めのうちは、お薬を服用しながらだいぶ気持ちも落ち着いて仕事をすることが出来たのですが、そう長くは続きませんでした。

また、夜も睡眠を取れるようになり、朝も普通に会社へ行くようになっていたのですが、何か嫌なことがあると激しく落ち込み、駅の改札を出たあとは自然と足が「心療内科」へ向かいます。

それだけではなく、「心療内科」の先生に、会社を休むまではないと言われても、会社へ休むと連絡し、そのまま自宅へ帰ることもありました。

ソファに座り、眼鏡をかけた女性と向き合い、カウンセリングを受けている少女

「精神疾患」への理解

精神疾患」の理解は難しいと感じたのは、母へ「うつ病」のことを話したときのことです。私はもう限界で退職を考えていました。

退職のことも一緒に話したのですが、母から返ってきた言葉は次の通りでした。

会社で辛いことがあったから辞めても、どこに行っても一緒だと思うよ

確かにその通りだと思います。また、「身体障害」と違い、「精神疾患」は目に見えないので、急に「うつ病」だと聞いても、ただ弱音を吐いているように思えたのだと思います。

しかし私は、一番理解してくれると思っていた母に「精神疾患」である「うつ病」を理解してもらえないことに、深く傷つき哀しくなりました。

その後も心療内科に通院しながら働いていたのですが、ある時2ヶ月もお腹を壊してしまい、仕事になりませんでした。胃腸科に行っても治りません。
結果「ストレス」が原因だとわかりました。

会社の上司も有給を使って休むことを勧めて下さり、しばらく休んだ時期もあったのですが、休みを終えて出勤した日のことは忘れられません。

どれだけ自分が苦しかったのかがわかったからです。
心配して声をかけてくれる女性の先輩もいましたが、ありがたいと思う反面「一人でいたい」気持ちが強く、何も言えませんでした。

それから長い時間をかけて、母は私の「うつ病」のことを理解してくれました。
時々腑に落ちないところもまだあるみたいですが、理解しようとしてくれるだけでありがたいと思います。

芝生の上に寝て、お互いの顔を見つめて微笑んでいる母と娘

最後に

今回、「うつ病」「ストレス」を持ちながら「一般就労」で働いていた時の経験をもとに、その時の苦しさなどを書いたのですが、あらためて当時の自分がどれほどつらく、苦しかったのか思い出しました。

また、仕事は忙しく大変だけれど、定年まで働く気持も十分にあった会社を退職せざる得なかったことは、未だに思い出して後悔することがあります。

もし、同じような人がいたら「焦ることはないので、自分に問いかけてみて、どうしたいのか納得するまで考えて欲しい」と伝えたいです。

目に見えない「精神疾患」の理解を得ることは大変だと思いますが、時代も「変化」変化しています。周囲の理解も、自分から伝えることによって深まるのではないでしょうか。

十数年「一般就労」で働いた会社を退職した私は就活をしたのですが、一社で長く働くことが出来ず困っていた時に、職安の方から「就労移行支援事業所」へ行くことを提案して頂き、約1年通所しました。

その時に、「障害者手帳」を取得し、「障害者雇用」で就活をし、決まりかけていたところがあったのですが、通勤時間の関係で辞退することになりました。
リクルート担当の支援員さんには、本当に申し訳なかったと思っています。

就労移行支援事業所」では、あきらめていた「障害者年金」の手続きのことを責任者の方に教えて頂きながら申請し、受給することができました。

その後、職安で「TANOSHIKA CREATVE 東町」の求人票を見つけた私は、どうしてもライティング業務がしたいと思い、リクルート担当の支援員さんに伝え、面接に至ったわけです。

今、就労継続支援A型事業所「TANOSHIKA CREATVE 東町」でライティング業務をしています。
私は、「適応障害」もあるため、4年目に入り様々な「変化」に初めは混乱しましたが、今は落ち着いて仕事ができていると思います。

様々な「精神疾患」を持っている利用者さんと話していると、「一般就労」をすることがいかに難しいのか実感しています。

それでも、「TANOSHIKA CREATVE 東町」を卒業して、「一般就労」で働いている利用者さんを見ると、すごいなと思います。
色々な可能性があることを忘れてはいけないと思いました。

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