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この度、久留米大学の学生で、難病と共に生きるYOUTH世代のコミュニティを作る団体、【いろり】を立ち上げ、挑戦する学生や若者のコミュニティづくりに奔走する、ミヤさんにインタビューする機会をいただきました。
ミヤさんは脳血管の難病『もやもや病』と、『てんかん』を抱えていますが、それでも前向きに『病気を抱えていても働くことを諦めなくても良い社会に!!』をビジョンに活動されています!
久留米大学 文学部 社会福祉学科3年
熊本県小国町出身
13〜19歳まで引きこもりと、不登校を経験。高校を2回退学後、高卒認定試験に合格し、大学へ進学。昨年度は、ソーシャルビジネスのビジネスコンテストで、難病を抱える方の働きづらさを解消するサービス『Tento』を提案し、企業賞を獲得
今回のインタビューに参加したのは、翼祈、どんはれ、Pink、ゆた、mako、島川です。
ミヤさんの言葉は太字で記載しています。
ぜひ最後まで記事をご覧になっていただければと思います!
ご自身の病気について
mako:ミヤさんの抱えるもやもや病の症状には、どんなものがありますか?
もやもや病というのは、脳の血管の病気で、脳の血管がどんどん細くなっていってしまう、血流が減っていってしまう病気です。私の場合は、左側が悪かったので、体の右側に発作が起きます。
その発作は急に起こるのではなくて、運動をしたり、過呼吸になるような行動をとったときに体に脱力、右側に脱力が起きてしまいます。人によっては頭痛がするなど、本当に人それぞれの病気です。
補足情報⒈
もやもや病は脳の血管に生じる病気です。 内頚動脈という太い脳血管の終末部が細くなり、脳の血液不足が起こりやすくなります。 このため、一時的な手足の麻痺、言語障害を起こすことがしばしば見られます。 血流不足を補うために拡張した脳内の血管、“もやもや血管”が脳底部や脳室周囲などに見られることが特徴です。
もやもや病は、人口10万人あたり6-10人程度いると考えられています。
都道府県に登録されている患者さんの人数は、平成25年度1万6086人でした。
mako:緊張していたりすると、もやもや病の発作が出やすかったりするのですか?
緊張とは何の関係もなくて条件がないです。過呼吸になることなどが主な原因ですね。
mako:もやもや病には、どんな治療法がありますか?
治療法は人それぞれなんですけど、よくみんながしていて、私もしたのが、頭を開いて血管同士を繋いだりして、血管を自分で作って血流を増やす手術をしました。今は血液がサラサラになる薬を飲んで、経過観察をしています。
補足情報⒉
もやもや病の手術について
Pink:私が初めてもやもや病を知ったのは、歌手の徳永英明さんのニュースでした。彼は、「もやもや病と闘うのではなく、一緒に付き合っていくことが大切で、病気と向き合い、前向きに人生を楽しむことが、精神的な健康にもつながる」と話していますが、ミヤさんはどのように考えていますか?
確かに、私の場合は常日頃から発作があるとか、何かに気をつけなくてはいけない病気じゃないので、たまに発作が起きたりしたときに、持病があることを感じるので「ずっと付き合い続けているけど、闘っているわけではない」という感じはすごくするので、私もその考えには、賛同します。
翼祈:私は左耳が感音性難聴で、「左は聞こえないので、右側から話しかけて下さい」と、周りの人に言っています。もやもや病は、周りの友達などに、どんな配慮をして欲しいとお願いしますか?
特にもやもや病のことで配慮してもらっていることはなくて、私の場合はもやもや病の他にてんかんを持っているので、てんかんの方で配慮文を書いて、大学の学生支援室から「私がもし倒れたりした場合、こういうふうに対応してください」という文章を、私が履修している科目の先生に渡したりしています。
友達にはもやもや病のことは一応お話はして、何か倒れたりした場合とか、どこからどう見ても今日ミヤちゃんおかしいというときはiPhoneの電源ボタンと音量ボタンを一緒に押して、「メディカルIDを開いて欲しい」と伝えてます。
補足情報⒊
メディカルIDは、アレルギー、病状、緊急連絡先など、緊急時に重要になる可能性のあるユーザの情報を提供します。iPhoneとApple Watchでは、緊急電話中にメディカルIDを自動的に共有でき(米国およびカナダのみ)、応急手当てにあたってくれる人(ファーストレスポンダー)にも直接伝えることができます。
翼祈:交流会で、ミヤさんは「小学生の頃運動できたのに、もやもや病の発症で、運動ができなくなった」と言われていました。私も薬害で、糖尿病となり、制約の多い日々が常にあります。昨日までできていた事が今はできないことを、どうやって受け入れましたか?
多分今も受け入れられてはいなくて、私の場合、中学生のまだいろいろ成長段階で変動があるときに運動の制限がかかったので、しょうがないというか、ある意味その生活が普通にならざるを得なかったから受け入れられただけです。多分これが20歳とか、それこそ25歳のときにもう今日から運動できないよって言われたら、それは苦しかったなと思います。
私はそもそもソフトテニスをしたくて中学校に入って、入学後すぐ病気が発覚して運動ができなくなったんです。
だから、それを受け入れられるまでにはすごく時間かかって、大学生に入ってからも「やっぱりテニスをしたい」って思いましたが、「自分の体が大事だよね」ということで、諦めるというか、それを何かにチャレンジする方向に転換させたというのが自分の受け入れ方だったのかもしれないって今は思います。
翼祈:てんかんは、もやもや病を発症してから、起きる様になった症状ですか?
もしかしたら関係があるかもしれないけど、まだ関係性はわかっていないです。
mako:てんかんについては、どのくらいの頻度でどんな症状がありますか?
激しかったときは週に2、3回ちょうど朝4時とか5時とかに右半身がしびれたり、ろれつが回らなくなる症状が2、3時間続きます。私の場合は気を失う症状がなくて、右半身が痛いぐらい痺れます。
今は薬を飲んでだいぶ抑えてるので、発作はほぼゼロに近いです。
どんはれ:私はてんかんの発作が起きている人を見たことがあり、かなり衝撃的でした。
てんかんや難病によって、周りから見る目や態度、扱い方が今までと変わったことがありますか?いいこともあれば悪いこともあると思います。それを教えてください。
私の場合はてんかんで痙攣が起きるとかではなかったので、本当に見た目は普通で、てんかんがあることは私だけがわかっている状態なんです。
喋ったときにろれつが回らなくなるぐらいが唯一見てわかる症状なのですが、てんかんの発作が起きていることは私が周りに言わない限り本当にわからなくて、それによってひどいことを言われたことはありませんが、発作が起きたことを周りに伝えられないことは困っています。
Pink:知り合いにてんかんを持っている人がいるのですが、常に不安を抱えています。ミヤさんは、てんかんだけでなく、もやもや病も持っているということですが、どのようにして気持ちに折り合いをつけていますか?
折り合いはつけてないですね。
朝晩寝る前と3回抗不安薬を飲んで生活していて、これはもやもや病がわかって発作が起き始めた頃から、日常的に発作が怖くて仕方がなくて、私はてんかんもあったので、てんかんの発作なのか、もやもや病の発作なのかがわからない日々が続いたせいで、怖くて学校に行かなくなって、そこから中学2年生から19歳まで引きこもっていたんです。
「てんかんの発作が怖い、もし外で起きたらどうしよう」とか、そういう不安が常にあって、そのときはまだ自分がてんかんだとわかっていなかったので、薬がなかったんですよね。
18歳のときに、「もしかしたらてんかんかもしれない」ということで調べてくださって、それでわかってやっと薬を飲み始めて、ちょっとず「今日は発作が起きなかった。今日も発作が起きなかった」という、小さな積み重ねを自信に変えていくしかなかったです。
不登校だったことから社会復帰がすごく大変で、勉強もゼロから始めて、高卒認定をとって、それを自信に変えていく。「今日も発作が起きなかった、勉強ができた。昨日よりもちょっと自信がついた」という日々を毎日繰り返していくというのが自分の中の整理のやり方でした。もちろん今も学校に行って、「発作が起きたらどうしよう」って急に思うことの方が断然多いんです。だけど「生きていかなくちゃいけないから、今日大丈夫だったんなら明日も大丈夫だろう」と生きている感じです。
どんはれ:ひきこもりや、不登校を経験されてから高卒認定試験を受けられるまでいろいろな葛藤があったと思いますが、自分を奮い立たせるきっかけは何かあったのでしょうか?思春期の頃はどんな気持ちだったのか知りたいです。
奮い立たせるのは「周りや地元の友達、周りの環境を見返したい」って気持ちだけでやってきた感じで、それは今も変わってなくて、たまたま17歳の時に孤独死と私が出会って、「この問題を解決したい」と思うようになったことがきっかけですね。
この問題を解決するには学術的・学問的な知識が要るので、そのために大学を目指し始めたのが大きな転機でしたね。それで引きこもりをやめたというのはすごくあります。
ミヤさんご自身について
翼祈:同じく交流会で言われていた、「ミヤはミヤだよ」とご友人にいっていただいた話が印象的だったのですが、どんな時にかけられた言葉だったのですか?
大学に入学して1週間後ぐらいに仲のいい友達ができて、「多分今後一緒にいることになりそうだから、もやもや病のことを一応話しておこう」と思って、誰よりも早く病気のことを伝えました。
伝えた時に「ミヤはミヤだし、何も関係ないよ」って言われたのが始まりで、その後私がいろいろ活動してるとどうしても隠しきれなくて必然的にどんどん他の友達にも打ち明けたり、知られていったのですが、その時も「ミヤちゃんはミヤちゃんだし!」と言ってもらいました。
翼祈:ミヤさんの前向きな明るさはとても羨ましいです。どうしたら、私も前向きになれるでしょうか?
私の場合は、根がポジティブではなくて、すごくネガティブなんです。昔は不安障害に分類されるような感じで、その薬を飲んだりしていたりしました。
何か一つ言えるとすれば、『つらくても笑ってないと、良いことって起きない』と思っています。だからつらくても自分を楽しむことを第1優先して、『どれだけつらくても毎日笑っていよう』、というのが自分の方針で、どんな状況でも楽しむことが我が家の教えとしてあります。
翼祈:ミヤさんの進学した社会福祉学では、どんな勉強をしますか?インスタで拝見した、六法授業とは、どういう内容ですか?
社会福祉学科は、簡単に言うと『誰しもが大切にされる社会をどうしたら叶えられるか』ということを学術的・学問的に学んだり、それを実践・演習という形で学ぶ学科です。
友達との対話形式で練習したり、先生から助言をいただいたり、私の場合は社会福祉士という資格を取らないので、演習をやるというよりは、社会福祉というものを学術的・学問的に習っています。1年生のときは、社会福祉について大まかに学びました。
2年生のときは障害者福祉や医療福祉などいろんな各論を学んで、3年生の今は権利擁護とか、社会的弱者と言われる方たちの権利が侵害されないためにどう擁護できるか、どう私達がサポートできるか、その人たちの自己決定により、その人らしい人生がどういうふうに歩めるかというのを習っていて、それに憲法や民法などの六法がすごく関わるから、学ばないと、実践できないよねということで、週に1回六法を持っていって学んでいます。
mako:ミヤさんの思う、社会福祉ってどんなことなのか、具体例を教えて下さい。
私は「福祉という言葉そのものがなくなる社会になってほしい」と思っています。誰しも、いつかお世話になる、触れるものだけど、『福祉』という言葉があるがゆえに、特別なものになってしまっていると思っています。
福祉はある意味普通のことなので、みんなが生きていく上で、福祉が普通になって福祉っていう単語自体がなくなるというか、そういう社会になっていってほしいと思っています。
翼祈:インスタの投稿で、初めて海外に行かれたのを拝見しました。行くまでの準備や対応など、大変だったところ、海外に行って良かった点などを教えて下さい。
アントレプレナーシップっていう、起業家育成のために九州・沖縄・山口の各大学から1人ずつ行けるような制度があるのですが、久留米大学もたまたまそれに参加していて、私は台湾を選択して、3泊4日で行ってきました。
準備については、まずパスポートを取って、それから主治医に英文で診断書を書いてもらい、薬の詳細を英文でもらいました。でも英語だから合っているのかがわからなくて、英語ができる主治医を頼って、病院の主治医の方から薬をもし、税関で聞かれたときにどうすればいいかなどを全部習って、薬と一緒に証明書を入れるなど、万全の体制で行きました。
引率の先生が6人ぐらいいらっしゃったのですが、一人の先生に事情を全部お話しました。福岡空港で集合で、初めましての状態で行くので、引率の先生に事前に電話でお話して、不安なこととか、発作の時の対処法とかも全部聞いてもらって台湾に行きました。
台湾に行ってからは、朝8時から夜の19時まで研修でした。3日間の研修で、その後は自由時間なので、みんな観光に行くんですが、私はそんなスケジュールこなせないので、その先生とも相談して休みながらというか、みんなが観光に行っている時間は私はホテルに帰る独自のルールというか、体調や研修を大優先で行きました。めっちゃ楽しかったです!

台湾旅行

台湾旅行
もやもや病の団体やビジコンについて
mako:ミヤさんは、もやもや病の団体を作りたいと言われていますが、団体を立ち上げたら、してみたい活動は何がありますか?
もやもや病って子どもたちの方がかかりやすい傾向があるんですけど、子どもたちに向けた団体が今のところなくて、やるならば、やっぱり病気のせいで日々活動が制限されるので、1日だけでも「お医者さんとかがそばにいるから、思いっきり自由に遊んでいいよ!」みたいな空間を1回は作ってみたいと思います。
Pink:ミヤさんの、「もやもや病の団体を作りたい」という考えはとても素晴らしいと思います。私の母も特定疾患なのですが、それを感じさせない程心身ともに元気にしています。ミヤさんのその力は、どこから来ているのでしょうか?
元々感情にすごく波があるタイプで、落ち込むときはめちゃくちゃ落ち込む体質なので、やっぱり友達とか家族とかの存在が今は大きいと思います。特に久留米で出会った方々が「ミヤちゃんのことを応援しているよ」というか、何があっても助けてくれる人がいらっしゃって、その方たちがいるから私は活動できたり、こういうふうに生きることができてるって最近めちゃくちゃ思います。
mako:ミヤさんが掲げる、「みんなが働ける社会」の実現は、TANOSHIKAが掲げるvisionの、「生きづらさ、働きづらさのない、社会を創る」に似ていると感じました。この考え方が決まった経緯を教えて下さい。
本当に似てると思っていて、ぜひ私も働きたいんですけど、実はですね、母親が乳がん、父親が透析を受けていて、脳梗塞になって左側が若干の麻痺があるんですよね。
乳がんの母親は完治して働いてるんですが、父は今働いてなくて、父のことを見ていて生きていて楽しいのかなと思い始めたんですよね。
透析でベッドに寝たきりになって鬱状態の日々を見ていて、反抗期もあって「この人は何が楽しいんだろう、何を楽しみに生きてるんだろう」って考えた時に、私の中で一番大きいのはやっぱり『お仕事で誰かに頼られることが大事』ということが私の中でわかったんですね。
当時私もひきこもりだったけど、親からの頼まれ事ってすごく自分の中で大きくて、そこから働いてみたいと思ったのですが、働くことができなくて大学に進学することにしたのですが、進学後にバイトを始めようと思って受けたバイトを病気が原因で3個落ちているんですよ。
病気があるからシフトを減らさないといけないので、週に1回からのところに応募したのですが、「週に1回からだとシフトに入れられないよ」って言われて落とされちゃうんですよね。
ちょうど1週間前にちょうど3回目の不採用を経験して、「やっぱりこの世の中って病気がある、働きづらさを抱える人のことを受け入れようとやっているけど、蓋を開けるとすごく大変だ」と思って、それをどうにかしなくちゃいけないって自分の身ですごく感じたので、そこをどうにかしていきたいと思ったのがきっかけですね。
翼祈:ミヤさんにとって、「ふつうを作る」ためには、社会がどうなっていくべきだと思いますか?
やっぱり『相手のことを尊重すること』だと思います。私は社会福祉学科にいて、私の学年は優しい子たちが揃っていて、相手の話をすごく聞けて、1回相手の話を飲み込んだ後に「自分はこう思う」と言える人が結構多くて、それがなんか逆に言うなら普通になりつつあるんですよね。
でも、学科から一歩足を出すと、相手のことを尊重していない言葉が飛び交っていて、それじゃ、傷つく人も増えると痛感します。まずは相手のことを尊重する相手の考えとかを批判的じゃなくて、それすごいねって第1に言えるような人に自分がなっていくことが大切だと思っています。そして自分たちの認識を変えていくことが一番なんかなっていうふうに思ってます。
Pink:難病を抱える方の働きづらさを解消するサービスを考えられて、ソーシャルビジネスのビジネスコンテストで「企業賞」を受賞されたとお聞きしたのですが、それはどのようなサービスなのか教えて頂くことは可能でしょうか?
去年のビジコンでは、『Tento』という事業プランを提案したのですが、それは『病気を持っていて働きづらさを抱えた方がどうしたら働きやすくなるか』について、解決策を見出すために始めたことでした。
簡単に言うと、会社1社と大学生5人と難病とか障害を抱えている当事者の方5人をチームにして、会社側がお仕事を依頼したときに、1時間単位の仕事を依頼してもらうことができて、当事者の方がお仕事に行くのですが、もし当事者の方がお仕事に行けなくなったときに、大学生が空きコマを活用してお仕事に行くというシステムを提案して、企業賞をいただきました。
私は障害などを抱えている方も社会に出る必要があると思っています。出ないとないとわからないし、知ることがないので、何かそういう機会を少しでも作れないかと思って考えました。企業の人も障害や病気を抱えている方が急に来ても、対応できないことがあると思います。
そのため、事前に企業側に「こういう人が来る」というお話をして理解を得るようにしました。それをうまく機能させるため、急な体調不良でも罪悪感があまり無く休めるようにチーム制にしたんです。

イベントでプレゼンをしているミヤさん
【いろり】や、今後の活動について
翼祈:2024年に、いろりを立ち上げた経緯を教えて下さい。
ビジネスコンテストを通していろいろ調べていく中で、難病の若者団体がなかったんです。
いろんな団体がある中で、お話を聞いたりしたのですが、何か若者に対しての支援がないというか抜け落ちているように感じました。それこそ集まる場所やコミュニティがなかったんですよね。これは問題だと思って立ち上げようと思ったのがきっかけですね。
mako:ミヤさんの所属しているいろりには、どんな難病の当事者の方がいますか?
私の今、立ち上げ中のいろりの方は、メンバーが3人で、立ち上げメンバーが私含めて3人で、他2人がたまたまSLE(全身性エリテマトーデス)という同じ難病です。
翼祈:いろりさんの他のメンバーの方とはSNSや交流会で出会われたのでしょうか?
たまたま私がインスタで募集をかけて、それを違うSLEの違う方が拡散してくれて、その人が私と繋いでくれたのが1人で、もう一人はXの方でこういうことをしたいってつぶやいた20分後ぐらいに連絡が来て、完全にSNS繋がりで出会ったっていう感じです。
翼祈:いろりさんという団体自身で3人が集まって皆さんで何かしてみたいイベントとか、そういう交流会とかって何か企画もされてますか。
今は地盤作りをしていて、いつかは大きなイベントをしていきたいと思っています。
Pink:ミヤさんは今、様々な取り組みをされていますが、その中で大変だと思うことは何かありますか?久留米市の協力を考えられたりしますか?何かお力になれることがないかと思っています。
人を巻き込んでいくことはすごく大変ですが、ある意味学生だからすごく巻き込みやすい立場でもあって、「ミヤちゃんが動くなら、僕たちも動くよ!!」という方もいらっしゃいます。本当に嬉しいです!!
今後やっていきたいのは、久留米にはいろんな民間団体やNPOがすごく多いので、その団体とか、障害とか、いろんな垣根を越えてイベントを起こしたりとか、どんどんやっていきたいんで皆さんも巻き込まれるというか、多分巻き込まれる覚悟をして欲しいです(笑)
どんはれ:将来、どういったようなお仕事をされたいと思っておられますか?
今就活中で、第1希望のところは、社会課題を解決するために新規事業を立ち上げて、それを解決していくような会社なのですが、そこ以外の会社がまだ入りたい会社がなくて、今職を探してる最中です。
翼祈:最後にミヤさんが叶えたい夢、AKARIの読者の方に、何かメッセージを、宜しくお願い致します。
福祉が特別なものではなく、誰しもが触れるような世界、知ってもらえるような社会になってほしいとめちゃくちゃ思っています。
誰しもが働きやすい環境は自然には生まれないので、1人1人が意識を変える必要もありますが、すぐにできることとして相手の良い部分を見てほしいなと思います。
この人はこれができるとか、この人はこれができるから雇ってみようとか、そういう気持ちで誰かを雇える世界というか、能力が評価される社会になって欲しいなっていうふうにはめちゃくちゃ思います。それも私が叶えていきたい世界だと思います。
私は、引きこもりのときや誰かに頼りたいとき、「迷惑を掛けている…」とすごく思っていました。それが故に、人に頼ることが苦手でした。
同じ気持ちの方もいるのでは無いでしょうか。迷惑は掛け合うものなのです!!(悪いことはダメですが)人に頼る事は、すごく勇気のいることですが、頼ってみて欲しいです。その相手が、私でも全然良いです!!!
インタビューの感想
Pink:まず第一印象はとても明るくて、逆に力をもらっています。年齢の話をするとあれなんですけど、多分私からすると子供でもおかしくないぐらいの年齢だと思うんですよね。
でも、よほど私よりもしっかりしてるなというのがあって、圧倒されています。
今後お手伝いできることがあれば、ぜひ教えてください。
どんはれ:いろいろとお話が聞けて、参考になったというか、勉強になりました。やっぱり障害を持っていると、不安との戦いっていうのはすごく気持ちがわかるなと思いました。発作が出る病気なので、やはりそこを抑えるっていうのは、日頃からケアしなきゃいけないことだと思います。その相手に伝えるのもなかなか難しかったりするときもあると思うんですよね。海外旅行に行くのもその英語の診断書を出さなきゃいけないとか。やっぱりみんな、もやもや病とかてんかんとかを病名は知ってるけど実際はどうなのかっていうところまで知ってる方っていうのはもしかしたらそんなにいないのかなって思うときがあるので、これからTANOSHIKAのAKARIでもどんどん取り上げていきたいと思います。
mako:ミヤさんとお話させていただく機会をいただいて、もやもや病のことについて初めて知りました。大変な病気を抱えながらも、とても明るく前向きに頑張ってらっしゃる姿に、圧倒されました。これからも頑張って活動をしていただきたいと思っています。応援しています!
翼祈:ミヤさんとはやり取りをずっとしていて、その中でそのインスタの投稿で台湾に行かれたっていうことが書いてあって、台湾に行かれたんだっていうことぐらいしか分かっていなかったんですけど、それほど行く前に凄く大変って知らなくて私自身が海外に行ったこと一度もないので、そんなに大変なことなんだって思ったことが自分でも驚きました。
私自身とても病気や障害が多いので、私自身が海外に行く場合により、色んな言葉で診断書を書いてやらなきゃいけないんだろうなと思うと、自分は海外行くのは難しいのかなと思いました。
ミヤさんが最後の質問で、人を巻き込んで考えるっていう考え方もとても素敵だなと思って、私はライターさんを巻き込んでいく、なんかいい形だったってこともあると思うのでそこは凄くいいなって思いました。その交流会の時にもミヤさんが後ろの背景の文字が気になっていて、何なんだろうと思ってたんですよ。
久留米大学の団体の名前なのかなって思ってたらそういう風にビジネスコンテストのことを言われたので、そうだったんだなと思ってようやく理解できましたし、ミヤさんに私はTANOSHIKAで働いてるっていう話をした時に、凄く行ってみたい会社なんですっていう話をされてるわけで、凄く有名な会社ですよねって言って頂けて本当にありがたいなって思いましたし、見学だったり、ライティングとかデザインとか、コーディングっていうプログラミングみたいなのも体験できるので、これからもミヤさんと何か交流が生まれたらいいなと思って、今日インタビューをさせて頂きました。
島川:友達から「ミヤはミヤだよ」と言ってもらった話を聞いていて、僕たち支援員は職業柄はお相手の属性が先に立ってしまって、その人の人物というものがついつい抜けちゃうというか部分があると思うのですが、まず「その方がどんな人か」ということが、何よりも大事だということを改めて思わされました。
実はうちにももやもや病の方がいらっしゃって、こちらが症状に対して支援できることが少なくて、何かしてあげられることはないかなと思っていたところでした。
もやもや病を抱えながら活動された方がいることを、今回の記事を通して知ってもらうことで、希望を持ってもらえたり、いい影響があるといいなと思わせていただきました。
またぜひ何か楽しいことあったらまた巻き込んでいただいたり、イベントなどのお知らせをしたいことなどあったら、それも記事にさせていただきたいと感じました。
SNS情報
《メインで活動されているインスタグラム》
https://www.instagram.com/ashiato.oguni?igsh=bTR2c21kM3hjbDlu
《ミヤさんのSNS》
https://www.instagram.com/moya.moya22?igsh=MWUza3V6bzBzaWdicg==
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