学校給食での食べ残し、ふりかけ持参論争勃発?~給食のこれからについて考えてみた~

討論

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こんにちは、どうも、ゆたです。

最近、中学生の頃の記憶を遡り、記事を書くことが多くて、なんとなくノスタルジックな気持ちになってしまうことがあります。

よく怒られていたなとか、給食は案外美味しかったなとか。

勉強の記憶は全く残ってないですが、ふとしたひとときが思い出になっていますね。

先生、本当にごめんなさい笑

さて、話は変わり、更に時間も遡り、時は2023年4月。

兵庫県川西市の中学校にて、市長と学生の意見交換会が行われました。

その中の一つの題材として、生徒から給食の食べ残しを防ぐために「ふりかけ持参を認めてほしい」との要望がありました。

教育委員会は同年9月から条件付きでふりかけ持参を認めました。

具体的には各家庭から1人1袋、友達などと交換、譲渡は禁止などを条件としています。

これだけ聞くと、ハッピーエンドだったのですが、事態は思ったよりあらぬ方向に舵を切っていきます。

今回は実際に起こりました「ふりかけ持参論争」について記事にまとめていきます。

給食はただ作っているだけではない? 栄養の問題。

まず、ふりかけ持参をOKにした後、実際どれくらいの生徒がふりかけを持ってくるようになったかをお伝えしようと思います。

教育委員会が実施したアンケートによりますと、ふりかけを「ほぼ毎日持ってきている」と答えた割合は7.4%、「ときどき・何度か」が16.1%に対して「持ってきたことはない」は77%で現状は多数を占めています。

そもそもですが、ほとんどの生徒は給食を食べれないということはありません。

私が学生の頃も給食に文句を言いつつ、食べたら美味しくて毎日、おかわりをしていました笑

文句言いながらおかわりまでするような不届きものは少ないにせよ、多くの生徒は残すことなく時間内に食べ終えていました。

がしかし、逆に少数派ではあったものの、いつまでたっても食べきることができない生徒もいました。

昼休みまで潰して、泣きながら一人で食べていた子もいました。

私は当時、空気を読むのが苦手で、「おい、なんでさっさと食わないんだよ、昼休みなくなるぞ!」と少し強い口調で言っていました。

後々、その子とは和解し、先生に隠れて、勝手におかずやら牛乳やらを貰うほどの仲になりましたが。

それはさておき、事実、どうしても給食が食べられない子はいます。

なので、私的にはふりかけで残さず食べれるならいいのではないか、と思ったりもしていましたが、川西市議会では反対の声が上がっているようなのです。

2023年9月、黒田美智市議は「給食は栄養バランスと衛生管理・食中毒などの事故が起こらないよう管理されている。家庭から違う食べ物を持って入ることがスムーズに行われてしまったことに危機感を持っている」と述べました。

調べてみますと、給食って、凄く厳しい管理のもとで作られています

色々ルールがありますが、有名なところでいうと『栄養バランス』についての部分です。

給食は栄養士が献立を考えるのですが、学校の給食は学校給食法の学校給食摂取基準を守って作っています。

そのため、栄養バランスをギリギリにまで突き詰めて献立を作っています。

その中でも、塩分が一番難しいとされていて、一食につき3g以下と定められています。

0、1g削るのがやっとのことなのに、ふりかけは平均0、3gほど塩分が含まれていて、あっという間に基準値を超えてしまうというのです。

ただ、このルールは栄養士に課されたものであって、生徒や地域の実態に合わせ弾力的(その場に合わせて)に活用すべきとされています。

ですので、教育委員会はふりかけ持参の許可を出したのだと思われます。

栄養士としては全力をかけて給食のバランスを緻密な計算をもとに考えているので、子どもたちにはしっかり食べてほしいと願う気持ちも痛いほどわかります。

なので、食べ残しに関して、先生が厳しくなるのは仕方ないようにも思えます。

それは大人のエゴではなく、子どもの成長のことを思って言っていることだと私は思いました。

ただ、ふりかけに関しては残さないように食べたいという子どもの気持ちがわかります。

残すべきではない、だけどお米を味もなく食べるのは辛い、その間での折衷案のように思います。

私はお米が大好きなので、お米が食べれない人との気持ちはわからないですが、私が通っていた学校では、米はパンの時以外、ほぼ決まって献立にありました。きっと、他県でも同じかなって思います。

お米が苦手だったら、給食に毎日のように苦手なものがある状態です。

それはあまりにも憂鬱です。

たまに私が苦手なきゅうりが給食に出てきていましたが、あれはたまにだから、どうにか牛乳で流し込んでいましたが、米は量が多いですし、牛乳でどうにかなるような食べ物でもないと思います。

結論からいうと、『食べないのならどのみち栄養のバランスは壊れてしまうので、ふりかけ持参は仕方ないのではないか』と個人的には思いました。

と、結論づけたけど、とある動画を見て。

参考:【ふりかけ論争】なぜ持ち込みを拒絶?塩分の過剰摂取も?生徒主体の学びとは?反対する地元市議と考える学校給食の形|アベプラ

まずは上の動画を視聴していただければ、全てわかることかも知れませんが、ふりかけを持ってくることで栄養が崩れる、というよりは、『食育』としてどうなのか、という部分が問題点として大きいようです。

ひろゆきさんは「出された料理の味を変えるのはすごく失礼で下品。そのまま残さず食べるのが人としてあるべき姿だよねと教えるべき」と主張しています。

タレントの田村淳さんは「生徒自身が残食があるからふりかけをやってみたいと提案があって、教育委員会がそれを通したことに意義がある」として、「自分自身で何を食べ、何を感じたかを考える場を作ることが食育につながる」としています。

私はずっと、なぜ給食は完食すべきか、という点で栄養バランスのことばかり考えていました。

ただ、それだけではなくて、食べないということは残食することに直結していて、そうなると食品ロスがあったり、環境問題にまで繋がるのです。

子どもからしたら「嫌いな食べ物を少し残しただけなのに」と思うかも知れませんが、そのちょっとしたことが重なると、多額なお金が無駄になると共に処理するときに環境破壊につながります。

もしかしたら、ふりかけを提案した中学生はそのことまで視野に入れて今回のことを教育委員会に訴えていたのかも知れません。

だとすれば、あまりにも賢く、ある意味、食育は成功しているようにも思われます。

食育の定義に関しては、難しいかも知れませんが、単純に健康的な食事をしようね、というだけではなく、食にまつわるルールやこういった食品ロスについても学ぶ必要があるようです。

動画を見ていると、黒田市議は大人として子どもにはしっかりとした教育をすべきだ、という思いがひしひしと伝わってきます。

黒田市議は今回は教育委員会がふりかけ持参を許可したことにこれからの食育が壊れてしまう恐れがあると危惧しています。

それに対し、淳さんはそういったことを生徒たちが自ら考え、行動することにこそ意味があると語っており、お互いの正義がぶつかって、高次元の討論をしておりました。

更に、栄養士の松丸さんは「食べ方の指導もしていくべき。おかずだけ食べて白米を残してしまう子どももいるから、交互に口へ入れるなど家庭や学校で教えていかなければならない。私たち栄養士も、よりご飯に合うメニューや味付けを変えていくつもりだ」といっています。

ここまで誰も間違ってないと思える討論は珍しく、視点によって正しさは変わってしまい、私自身、揺れ動いてしまっています。

ただ、教育現場にそこまで教える余裕がないことも、今まで学校や学生に関する記事を書いていて理解できるのです。

ふりかけを持ってるのはありか、なしか。

そんな話を突き詰めていくと、ここまで色んな思いがあって、多くの大人が子どもの教育に対し、真剣に変えていこうと思っていることを知りました。

参考:給食ふりかけ持参で生徒と市議会が対立「食べ残しの問題がふりかけに集約されてしまった」「決め方に危機感を持っている」

終わりに。

私は気持ちの部分ではかなり淳さんの意見に共感できます。

食育しかり、教育も含めですが、どう感じて、どう成長していくのかは、個々人に決定権があるように思います。

ただ、黒田市議のおっしゃる通り、間違った方向に行かないように予め、大人がレールを引いてあげること、一定のルールを設けることも間違いではないと思うのです。

私は幾度となく、先生に怒られてきました。

その度、なんだよ! とイライラしたり、物に当たったり、そしてまた怒られたりと、今思うと本当にワガママな子どもでした。

しかし、あの時のお叱りのおかげもあってか、大学を卒業し、社会に出て、褒められたもんではないけど、日々生活できるような人生を送れています。

そうやって、大人が子どもの間違いや社会の暗黙のルールを教えていく必要があるのです。

とはいったものの、結局のところ何が正しいのか、それは大人でも、何なら国の偉い方々ですら、迷っているのかも知れません。

例えば、ご飯を食べない子どもに対し、好き嫌いせず、食べなさいと教育するのは、果たして良いことでしょうか?

お米を食べれない生徒に、ふりかけをかければ食べられるという解決策は本当に正しいでしょうか?

沢山の疑問は浮かぶけど、全てを丸く解決させることは難しいと私は思います。

なので、どこかで諦めなくてはなりません。

その諦めの部分が栄養バランスなのか、マナーなのか、子どもたちの未来なのか。

全てを解決するのではなく、そこは諦めるしかないよね、といった結論にしか、私は至ることはできませんでした。

中途半端な結論になってしまい、申し訳ありません。

皆さんの中でも何か考えるきっかけになってくれれば嬉しいなと思います。

今回はここまで。以上お相手はゆたでした。

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