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こんにちは、翼祈(たすき)です。
障害者、LGBTQ、ジェンダーなど多様な社会になって来た中で、そんな現代だからこそそれぞれ悩みがあると思います。私も大人になって、障害者として悩む事が増えました。今「誰一人取り残さない」を理念に、重度の障害のお子さんを抱えた女性が立ち上げた、障害児モデル専用事業『華ひらく』が注目を集めています。
今回はそんな『華ひらく』の会社のこと、立ち上げた経緯などを発信していきます。
『華ひらく』とは?
2015年に国連が発表したSDGsの理念は「誰一人取り残さない」です。貴社が考える「誰一人」の中に、障害者は含まれていますか? 日本ではいまだに、障害者に関するビジネスは良く思われていません。企業が障害者を支援する取り組みを行うと「障害者を売り物にしている」というマイナスなイメージを持たれる為、 日本には約1,000万人の障害者がいるにも関わらず、障害者は顧客見込みリストに入れてもらえませんでした。障害者に目を向ける企業が増える、その日が1日でも早く来ることを心から願っています。
引用:株式会社 華ひらく
下記は『華ひらく』が現在挑戦されているクラウドファンディングのページです。
「障害があってもこんなにステキな笑顔で毎日懸命に生きている子たちがいる」
その事を多くの方々に知っていただく為、この夏にモデルは障害児な写真コンテストを開催されます。
よければご支援宜しくお願い致します。
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こちらは既に障害児写真モデルを導入されている実績のページです。
どんな会社が使われているか、よければこちらもご覧ください。
障害児がモデルとして活躍出来る場所
障害があるか無いかの相違を認め合える、誰もが一生懸命生きられる未来へ—。障害児モデルの支援事業に携わる民間企業『華ひらく』(東京都新宿区)の経営者の女性が、障害を抱えた子どもが企業広告などの障害児キッズモデルとして活躍して貰うマネジメント事業を設立しました。
経営者の女性自身も障害を持つ息子の母親。観て、理解して頂くことこそが誰もが認め合う未来になると信じてやみません。経営者の女性は「そのままの障害児モデルの魅力を、より沢山の人に知って頂きたいです」とそう願いました。
雨傘に、紫やピンクのカラフルな雨粒が降り続いていました。とある千葉県鴨川市の一軒家の窓ガラス。『華ひらく』に所属する障害児モデルの女の子の2人は窓の外の雨を観て、チョークで自由気ままに色んな絵を描きました。
日本理化学工業(神奈川県川崎市)が開発した、窓ガラスなどつるつるした面に使用出来て、簡単に落とせるチョーク「キットパス」。その「キットパス」の広告写真の撮影現場で、同日本理化学工業の商品企画部の女性は「誰にでも、沢山の人に使って頂きたい商品。多様性考えるメッセージに『華ひらく』がぴったり」と手応えを確かめます。
軽度の知的障害と自閉症と診断される女の子の初仕事を優しい眼差しで立ち会った父親は「娘は絵を描くのが大好きで、普段通りの姿を写真に切り取って頂きました。こんなに嬉しそうに撮影出来るなんて。本当に今回撮影に来て良かったです」と感動してました。
参考:障がい児の「広告モデル」事業、立ち上げた理由 ガラスの壁に危機感 withnews(2022年)
経営者の女性は「モデルの親たちは決してわが子を芸能人にさせたいわけではない。障害を一度公表すれば、2度と削除できないかもしれない。それでもモデル登録を決めるのは、障害を知り、理解してもらうきっかけをつくりたいからなんです」と話します。
『華ひらく』を立ち上げた経緯
『華ひらく』の経営者の女性の長男が生まれる前は、アメリカのカジノホテルのレストランで接客の仕事に勤務していました。帰国後の2010年、得意の英語を生かし、当初はメインで飲食店向けの英会話のレッスンを手がける事業の『華ひらく』を展開していたころ、長男が2歳になった約5年前、重度の知的障害、自閉症だと診断を受けました。
経営者の女性は目の前の景色が色を失い、戸惑い、絶望したと言います。障害児を育てる別の両親からは「我が子を可愛いと感じない」と悩みを打ち明けられました。長男がどんな風に育つのか、不安と恐怖に襲われました。経営者の女性は「障害について何1つ知らなかった。無知だったので、それまでは障害者に対して偏見もあった」と振り返ります。
何年も思い悩んだ末、「多くの人は、障害者に接するきっかけがないから、どう対話したらいいのか分からないだけ。観て頂くきっかけを増やそう」と、知的障害児の「広告モデル」事業を2021年7月に設立しました。「キッズモデルの知的障害児版」と位置付けました。
2010年に設立した『華ひらく』に所属する障害児モデルは、現在、0歳から18歳までの21人。今まで、フォトスタジオやトランポリン施設などで依頼が届きました。
「障害児だからと、完成されたポーズをするのではなく、その場所に居るありのままの姿を、より多くの人に届けて欲しいです」と経営者の女性は言います。シナリオ、演出をなぞった難しさがあるため写真の仕事のみに限定し、企業側から「障害児モデルと理解されないのではないか」と懸念されることもあるといいますが、どんな障害かなどを写真に追記して頂く様にお願いしています。
参考:障がい児「広告モデル」事業、絶望から立ち上げ 「炎上」の懸念に… 朝日新聞デジタル(2022年)
経営者の女性によれば、障害児の親と繋がる中で気が付いたことは、障害者をとりまく世界と健常者の世界には「ガラスの壁」があるということでした。「一方で、健常者側からは、障害者を取り巻く世界がよく見えていないと思うのです」ならば、見える存在に――。そう考えた上での実践が「広告モデル」事業でした。
私が子どもの頃にはなかった概念。
私は障害があってもまだ発達障害の概念もない時、障害も左耳の感音性難聴にしか分かっておらず、変わっている子ではあったと思いますが、それなりに学校生活は送れていました。今の方は生きやすさはあるかと思いますが、私は左耳が聴こえなくても、普通に一杯喋れるので、障害者への無意識な差別は子どもの頃はそれ程感じませんでした。
今は障害も多様化の1つだと言われていますが、今だからこそ悩む話もあるかと思います。顔出しにおいても懸念されることもあるかと思いますが、多様化となった今だからこそ出来る、障害児モデル事業だと信じて応援していきたいです。
noteでも書いています。よければ読んでください。
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