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こんにちは、翼祈(たすき)です。
この話は本当はあまりしたくないのですが、それで心のモヤモヤが1つ消えるなら良いと思ってお話しします。
一般的に私が話しているA型事業所を知った経緯
私が実際にA型事業所に入ったのは、家の近くにA型事業所が開所された、それも合っている話です。すぐ近くにA型が出来たから、A型事業所というもので、「働く」というきっかけを作れましたし、1番最初が近場だったから少しずつA型とはこういうものなんだと慣れたのもあります。ただ、本当にA型というものを知っていたのは、そこが初めてでは無いのです…
引きこもり生活中、今は利用していない支援者のいる施設に通所
ずっと引きこもり生活だった私を見兼ねた母が「ここに行ってみたら?」と言われたのが、今は利用していないですが受給者証などを作ってもくれる施設でした。
そこでは働く為に規則正しい生活を送れる様に、A型みたいに朝から来てボールペンの分解組み立てや小テストで頭を使ったりと訓練があり、掃除などの基本的な事まで習いました。本当は週5行かなきゃならなかったのですが、引きこもり生活中だった私は、自転車を漕いでそこまで行くのが嫌で、なかなか行ってませんでした。
そこも2年間は契約、更新で1年延期、その間に就職先を見つけるという場所でした。
2年目終了し、1年契約を延期し、私もいよいよ就職の準備に
私も就職をしなければいけない時期が来て、幾つか仕事実習体験がありました。1番実習先で行かされたのが、高齢者のいる施設の掃除の仕事。私は始めからそういう所で働く希望がなく、何より職場が遠かったので、実習には決められた時は行きましたが、就職はしませんでした。
そんなある時、私にA型で働かないか、という話が持ち上がったのです。
「A型事業所って何だろう?」
この当時はまだまだA型の数も少なく、行ける選択肢も限られていました。まずこの時はA型事業所の事も全く知りませんでした。
「●さんは一般就労は無理だから、まずはA型に行って、体力とか基礎を身に付けましょう」
という話になり、今までフリーペーパーの求人でしか見て来なかった私が、初めてハローワークに行き、あるA型に面接に行く事になりました。
初めて、障害者として面接へ
今まで一般雇用しか行った事なかった私は、初めて障害者として面接に行きました。本当に初めてだったので、その時の施設の支援者とハローワークでその当時私の担当をして下さっていたハローワークの方と3人で、初めてA型事業所の面接行きました。
面接は呆然と絶望
初めて障害者として臨む面接、凄くドキドキしていました。「何を答えたら、こちらで働けるかな‼︎?」とか、緊張していました。ただ面接が始まると、
「うちは利用者の定員が一杯だから、面接をする事が出来ない」
そう、面接に来てもいいですよと言われたから、面接に行ったのに、定員に空きがないと言われ、面接すらして貰えなかったのです。
そう言われた時は呆然とし、「やっと働こうと思っていたのに…」と絶望してしまい、涙が止まりませんでした。
支援者を振り切って、、、
そこを離れた後「あれはあんまりですね」と支援者とハローワークの方が私の後ろで話し合っていました。私は泣いて、顔が上に上げられません。そしてそのまま2人を振り切り、バスに乗りました。先生に話を聞いて貰いたい、その一心で、泣き腫らした目をしながら。
通院先の主治医の元に駆け込んだ
その当時の主治医の先生は外来の日ではなく、病棟にいて、事情を話すと、普通は入れない精神科病棟に入れて下さり、先生と話が出来て、「やっと働こうと思っていたのに、とても辛いです…」と泣き付きました。
支援者は母に「●さんがA型の面接でこんな事があって、何処か行ってしまい、居場所が分からない」と連絡を入れていました。母には主治医の先生が病院から連絡を入れ、母と支援者が私を迎えに来ました。
その後、
ハローワークからは「定員が一杯なのに、面接を入れて断るとは、契約違反だから」と業務勧告がそのA型には行きました。
その後はショックが尾を引いて、又その施設に行けない日々が続き、遂に3年目の契約も終了。又引きこもり生活が始まりました。
その後数年A型も何も面接に行かず、ただほとんどの時間を家で過ごしていました。A型の存在もすっかり忘れている時期でもありました。
そんな私がA型で働き出し、今3ヵ所目のA型なので、何だか不思議です。次の記事では、何故A型に行こうというか、働こうと思ったのかを書いていきます。
noteでも書いています。よければ読んでください。
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