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1.はじめに
今回は、私が統合失調症で入院したときのことを書かせてもらいます。
統合失調症での入院生活がどのようなものか知りたい方がいるかなと思ったことが理由です。
少し長いですが、参考にしてください。
2.入院生活のタイムライン
2-1.入院のきっかけ
統合失調症を患ったとき、私は関東で一人住まいをしていました。
教師として働いていましたが、過労のせいで統合失調症と診断されました。
保健教諭の先生の紹介で精神科に通院していましたが、病状が回復することはなく、次第に自室で一人暴れ気味になってしまいました。
そのことを親が見かねて、私のところを訪れてきました。
興奮していた私は入院なんて絶対に嫌だと言っていましたが、落ち着いたときに入院してもいいよと言ったのを親がチャンスだと捉え、即座に入院することになりました。
2-2.入院前の診察
中程度の規模の病院を夜に親とともに訪れ、まず診察を受けました。
診察のときのことはよく覚えていません。
ただ、「自分は見捨てられるのではないか…」という不安がたったことを覚えています。
1時間程度の問診が終わると、その場で入院することが決まりました。
2-3.地獄の独房生活
最初に入れられた部屋は、牢獄のような独房でした。
部屋のなかにあるのは、簡素な布団、段ボールの机、トイレットペーパーなしのトイレだけでした。
あと、ガラス越しに時計がありました。
独房のドアにはもちろんドアノブはついておらず、しかも分厚くて強固なものでした。
この部屋に入れられた瞬間、何もかもが終わったと感じました。
金曜日の夜に入院したので、月曜日になるまで医師による問診はありません。
それまで部屋の外に出ることは許されません。
私はこの地獄のような部屋で、うめいたり、暴れまわったり、精魂尽き果てたりを繰り返していました。
まさに地獄の時間でした。
2-4.お水が欲しいです
独房の中には水道がありません。
喉が渇いたときはどうしていたかというと、「すみませーん!」とドア越しに叫んで看護師さんを呼ぶか、ドアの上の方についているガラス部分を眺めながらずっと待ってたまたま看護師さんが来た時に言うかのどちらかでした。
「水を飲む自由さえないのか…」、と本当にイラついたり落ち込んだりしていました。
2-5.追加要素の廊下
月曜日になって医師が来ると、これからのことについて説明がありました。
とは言っても、私は医師の話など聞かずに、「ここから出してください…。」と懇願し続けました。
主治医は慣れた様子で、「数日で他の部屋に移りますから、それまでこの部屋で落ち着きましょう。」と言って去っていきました。
ただ、この頃から独房前の廊下に1日に数回出ることができるようになりました。
食事や歯磨き、洗面を行うためです。
廊下に出て、初めて同じ独房に入っている入院患者を診ました。
皆、どこかやつれていて、きつそうな顔をしていました。
看護師さんに注意深く言われたことに、「今の(独房の)うちは、他の入院患者と話すことはしないように。」というものがあります。
おそらく、患者同士のトラブルをなくすためだったのだと思います。
2-6.独房に物を持ち込めるように
数日経って、独房の中に物を持ち込んでよいと言われました。
私は水の入ったペットボトルを希望しましたが、許されませんでした。
おそらく、凶器になる危険性があるためだと思います。
仕方がないので、親に家にあった本をいくつか持ってきてもらいました。
本は問題ないみたいで、廊下にいたときにたまたま見かけた他の入院患者の独房には、大量の漫画があったくらいでした。
しかし、頭の調子がおかしくなっていたせいか、本を読むことはまったくできませんでした。
読解力も集中力も欠けていて、本を読むことは苦痛でした。なので結局、部屋でぼーっとするしかありませんでした。
2-7.個室へ移動
入院して一週間くらいが経って、独房から個室に移動になりました。
薬の調整がうまくいったのか、だいぶ落ち着いてきたことが理由だと思います。
やっとこの無味乾燥な部屋を出ることができると思うと嬉しく、普通の病院と変わらないその個室が居場所になって安心しました。
ベッドがある、棚がある、トイレもトイレットペーパーはついているし、水道もある。
しかも、昼間の間は自由に廊下に出てもよい。
このときは本当に救われた気分でした。
夕食後から翌朝にかけては廊下に出ることはできませんでしたが、それでも自由に行動できる範囲が広がったことがとても嬉しかったのでした。
たかが廊下に出る程度の自由だと思われるかもしれませんが、独房は本当につらかったのです。
2-8.相部屋へ移動
入院して二週間くらいが経って、今度は個室から4人部屋に移動になりました。
4人部屋に移るときに病棟を移動するということなので、少ない荷物をまとめて軽いお引越しをしたような感じでした。
その病棟の2階には、4人部屋が6つほどあり、男女で分かれていました。
部屋の他にも、食堂、多目的室、洗濯室、物干し部屋などを利用することができ、自由度はさらに広がりました。
週に3回ですが湯船に浸かれるようになったことと、タバコを吸えるようになったことが嬉しかったことを覚えています。
こうして順調に回復しているように見えた一方で、自由度が高まったゆえのトラブルが起こるようにもなりました。
2-9.起きたトラブル
①いびきがうるさくて眠れない
相部屋ならよくあることかもしれません。
早々に看護師さんに訴えて、部屋を移動させてもらいました。
②タバコを盗まれる
鍵付きの棚もあり、そこには貴重品を入れていましたが、タバコは入れていませんでした。
すると、あるときに同じ部屋の隣人が私のタバコを盗んだことが看護師さんによって発覚しました。
このことには驚きと怒りを隠せませんでした。
③ラジオがうるさい
隣人が昼間ラジオをつけっぱなしにしていたのですが、病状の悪い私にはきつくて仕方がありませんでした。
このことは結局退院まで我慢しました。
2-10.友達ができた
多目的室にはトランプやオセロなどがあり、そこでは年頃の近い人と友達になりました。
一緒に遊んだり会話したりして、昼間の時間を楽しみました。
各々の病気のことを話したりもして、打ち解けていました。
ただ、悲しいこともありました。
友達の一人が別の病棟に移ることになり、そのときはしんみりとした雰囲気でした。
2-11.落ち着きを取り戻して退院へ
入院して一カ月半経ったころに、退院しました。
ただし、退院には条件がついており、それによって実家に帰ることになりました。
親元でゆっくり過ごしなさいということでした。
こうして関東での生活は終わり、久留米に帰ってきて、また新しい生活を送ることになったのでした。
3.終わりに
このような形で、わたしは閉鎖病棟に一か月半入院していました。
閉鎖病棟がどのようなイメージか、何となく知ってもらえたでしょうか。
けっこうつらいものだとわかってもらえたら嬉しいです。
ただ、少し前から閉鎖病棟をなくす運動があるようなので、精神科に入院するときはもっと自由なのが現状なのかもしれません。
ちなみに、退院後統合失調症を再発することはありませんでしたが、今度は適応障害になり、しかも数度再発するというような生活を経て、今のTANOSHIKA(就労継続支援事業所A型)での仕事というような感じになっています。
今でも精神的にきついときは安静のために入院したいなと思うことはありますが、もう閉鎖病棟は本当に勘弁です。
以上で、今回の記事を終わりにします。
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