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とある日。
電車に乗っていたら、途中の駅でおばあさんが乗ってきた。
私はイヤホンで、音楽を聴いて、窓の外をぼーっとみていた。
そのため、おばあさんに気づかなかった。
何度か声をかけられて気づいた。
「ごめんなさいね、隣、座っていいかしら」
80代くらいのおばあさんは、申し訳なさそうに私をみていた。
私は、その日、不機嫌だった。
その前の日に、めっちゃ嫌なことがあって、すごく不機嫌だったのだ。
最低だけれど、だから、そんな風にお伺いを立てるおばあさんに、「はい」と無表情で答えた。
私は、2人がけの椅子の隣に座ったおばあさんには目もくれず、イヤホンで音楽を聴き続けていた。
電車がとある駅で止まり、おばあさんが降りようとした。
降りる際に、おばあさんが一言私にこういった。
「ありがとね」
おばあさんの思いがけない言葉に、私は強く動揺した。
私は何もしていないのに。
あんなに冷たい返事をしたのに。
ありがとう??
久しぶりに人の温かさに触れて、動揺した。
そして、冷たい言葉で返事をしてしまったことを、すごく反省した。
と、同時に、たった「隣に座らせてくれた」それだけで「ありがとう」と他人に言える人がどれだけいるだろうか…とも思った。
若い人にそんな人はいるだろうか。
若い人、中年の方、それから高齢者。
区別したり、差別して、「この年代は〇〇だ」などと言うのは私は、違うと思っている。
でも、あのおばあさんの「ありがとうね」の口調は、今の時代にはない、昭和の温かさを感じた。
独特の温かさだ。
あの年代独特の、素晴らしい優しさだった。
正直、私は年配の方に今まで興味があまりなかった。
親戚にも高齢者が少なく、小さい頃から高齢の方との関わりが少なかった私。
自ずと、高齢者に無関心となった。
しかし、この「ありがとうね」と言われた一件から、高齢者の方にもっとリスペクト心を持ちたいと思った。
高齢者が生き抜いてきた、昭和の歴史とか、そこで紡いできた独特の温かさとかをもっと教えていただきたいと思った。
きっと、高齢者の積み重ねてきたものは、今の時代に足りないものでもあると思うから。
2025年問題というものがある。
2025年に、団塊世代の方々が高齢者となり、日本国内の4名のうちの1名が、75歳以上の高齢者となる凄まじい時代がやってくるのだ。
これから、日本はどんどん高齢者で埋まっていくだろう。
私は、高齢者が増えるという現実を嘆くことも大切かもしれないが、これからの時代は、たくさんいる高齢者に色々なことを学ぶ機会にもなるのでは?と思った。
今の時代に足りない、優しさ、温かさを彼ら高齢者はきっと持っている。
具体的には、彼らに色々なことを教えてもらうのもいいのではないかと思った。
昭和の料理、昭和の作法、昭和の歴史。
作法については、今の社会と合わないものもあると思うが、そこも一つの歴史としてみてみる。
それも学びがあって、面白いのでは?と思う。
高齢者も若い世代と話すことにより、ストレス発散、孤独解消に繋がるだろう。
私は、電車のおばあさんの一件から、心の底から『高齢者は日本の宝』だと思った。
綺麗事かもしれないけれど、これからは若者の一人として、高齢者の方に優しく接していきたい。
大事に接していきたい。
そして、電車に乗ってきたあの方に最後にメッセージを送る。
こちらこそ、目に見えない大切なものを教えてくれて、ありがとうございます。
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記事を読ませていただきました。人の温もりや感謝の言葉は心に染みますね。貴女の記事からも伝わってきて、私もそうなりたいと感じた内容でした。ありがとう。
パグさん、コメントありがとうございます。
今回の件は、優しい方に出会えてよかったなと思った出来事でした!
温かいコメントありがとうございました!😊