どんはれがTANOSHIKAでライターになるまで

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物語が好きな幼稚園児

私はおもちゃで遊ぶより、絵本を読んでいる方が好きな子どもでした。

人気のおもちゃはすぐに誰かに取られてしまいます。おもちゃは取られたらそれで終わり。でも、絵本は取り上げられても読んでしまった物語は私から取られません。

頭の中でその物語を思い出したり、物語の続きを自分で考えたり、いくらだって楽しめます。

初めて書いた童話

小学生のとき、「春の妖精」という童話みたいなものを書きました。春の妖精が冬眠しているクマを起こすという物語。クマがねぼすけでなかなか起きない様子を書きました。私自身が寝起きが悪いからこそ生まれた物語でした。先生に褒められました。

この頃は「銀河鉄道の夜」の宮沢賢治や「はてしない物語」のミヒャエル・エンデのような童話作家になりたかったです。

作家インタビュー

高校生の頃、スポ根漫画で有名なA先生にインタビューに行ったことがあります。A先生はその頃テニスにハマっており、週に3回か4回プレイしているそうでした。

私が弓道部だったので、次回作は弓道を舞台にした物語を書いてみてはと言ったら、「弓道は動より静のスポーツだから難しいね」と言われました。では、今ハマっているテニスを舞台に物語を描いてみてはと言ったら、「テニスはテニスでいろいろな人が描いているから難しいね」と言われました。「先生、テニスやりすぎ、今は漫画描く気ないな」と思いました。

このときのインタビューを元に記事を書きました。友達に良く書けていると褒められました。

ただ、出来上がった冊子を見たら、他の人が書いた記事では「A先生」と表記していたのに、私だけ「Aさん」と表記し、なんだか馴れ馴れしく浮いた感じになっていることに気づき、焦ったことをよく覚えています。

締め切りに追われる日々

その後、編集プロダクションに就職し、新聞のテレビ・ラジオ欄の記事を書く仕事をしました。私は料理番組担当で料理のレシピや食べ歩きのレポート記事を書いていました。毎日、締め切りがあって大変でした。

この頃、ものすごく都会のゴミゴミした場所に住んでいました。近所にはスナックやらカラオケボックスなどがあり、深夜でもうるさくて困りました。

日中、神経をすり減らしながら記事を書いていたので、夜うるさいと全く眠れなくなってしまいました。身体も変な微熱が止まらなくなり、体中が赤くかぶれだしました。

体調不良を起こしてわずか2年で辞めてしまいました。

面接

都会から田舎に引っ越すことになりました。どうにか働かないといけないと面接を受けまくりました。

ある雑誌の面接に行きました。裸の女性が掲載されている雑誌を見て立ちくらみがした。

面接官に「ここは女性も働いているけど、あなたそんなタイプじゃないでしょ。履歴書はちゃんとお返しするからもう一度よく考えて、それでもここで働きたいと思ったらまた来てください」と言われました。

ここでもいいから働こうと一瞬思いましたが「母さん泣く、母さん泣く」と思い直して帰りました。

文章を書く仕事で食べていくのは諦めました。

断る

女性の社会進出についての講義を受けました。そこでフリーペーパーを立ち上げた女性社長さんと会う機会がありました。私が昔ライターをしていることを話したら、「ウチで働きませんか?」と言われました。私はそのとき、社会福祉士になろうと授業料を払ったばかりでした。「社会福祉士になるのでできません」と断りました。

その社長さんがどこまで本気で言ってくださったのかわからないですが、そのようなチャンスを掴むためにいろいろと勉強してきたのにいざ、チャンスが来たら断らなければならないなんて。人生って皮肉なものだなと思いました。

TANOSHIKAにて

現在、TANOSHIKAでこうしてライターとして書ける場をいただいて幸せに思っています。TANOSHIKAで書けなかったら趣味で個人的にいろいろ発信しようと思っていました。自分の今までの鬱屈した思いを書くことによって成仏させてもらっています。

私の記事が読んでくださる皆さんの行動を促す勇気づけに少しでもなればいいなと思っています。

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