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前回、日本人が洋服を着るようになって②という記事を書きました。
今回はその記事の続きとなります。
戦争が終わったことによって、少しずつ女子の格好に変化が現れるようになります。しかし、地方や田舎では戦時中の格好をして過ごす期間が、都会よりも長く続いていたのかもしれません。時代が進んで、女子の格好にもおおきな変化が現してきます。
そこで、戦後の女子の服装の変化について書きたいと思います。
終戦(1945年)から1950年代の頃・・・手づくりが主流だった
戦後の混乱の中で、女子は物資が乏しい中で手元にある物(着物・帯・ゆかた)などを使って、ワンピースやブラウス、スカートに再利用していました。
手づくりができるようになったのは、洋裁学校ができて女子が洋服の仕立てを習い始めてからです。着物や帯、浴衣などをほどいて、自分流の工夫をしておしゃれを楽しみました。チェックやレースなど生地は高価だったので、アクセントとして使っていました。
戦争が終わってからしばらくは、映画を撮った後も上映の許可が必要でしたが、1952年に自由になりそれまでの映画も上映されるようになりました。1950年代後半に「君の名は」でまちこ巻きが流行して、当時の女子はまねていたようです。
ネッカチーフ、細身のパンツ、外国の洋服(クリスチャンディオール)、サブリナパンツ、
サックドレスなども流行りました。
ここに書いたのは、当時流行っていたファッションを書き出しました。
1960年から1970年の頃・・・作るから買うになる
それまで自分で作っていた服が、収入が増えるように既製服が安く買えたり、流行の洋服
(ファッション)に手が出せるようになりました。1964年(昭和39年)の東京オリンピックの日本代表の赤のブレザーと白のスカートとパンツも、日本で作られた制服といいてもいいでしょう。
ミニスカート、ホットパンツ、パンタロン、ロングスカートなどが流行って、1970年に入るとファッションデザイナーもでてきて、さまざまな衣装が発表されて女子の売買意欲は続きました。
この頃から外国のメーカーと提携をするブランドも増えてきました。
ブレザーやカーディガン、ワンピースも時代と共にいろいろ変化をしていくのです。
1980年から2000年の頃は・・・
アパレルメーカーの他のブランドが加わりいろいろと開発されて、その後も引き続いていました。が、外国から安い洋服が入ってきたり日本でも安く買えるようになり、いろんな戦略をうちだして、別のブランドをつくりあげたのです。
個人の着たいような服装を始めるのが、2000年になって街の中を歩いているのです。それまでは、ファッションリーダーがする格好をまねたりアレンジを楽しんでいたのかもしれません。
まとめ
今回の記事は戦争が終わった1945年から2000年までの洋服の移り変わりを書いています。
ここまで変動のあったことにびっくりしています。
次回の記事は2000年から2019年まで洋服の変化を書くのでお楽しみに!
参照:日本におけるアパレル産業の形成
https://www.kci.or.jp/research/dresstudy/pdf/H_FT03_KINOSHITA_Apparel%20Industory%20in%20Japan_JP.pdf
参照:ファション イン ジャパン1945-2020流行と社会|企画展|展覧会|国立新美術館THENATIONAL ART CENER. TOKYO
https://www.nact.jp/exhibition_special/2020/fij2020/
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