映画『私はあなたのニグロではない』黒人差別の歴史と現在

黒人差別

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 最近大阪なおみ選手の日清のCM問題がありました。アニメキャラになった大阪なおみ選手の肌が白いということに差別だ! と問題になり、日清側が謝り削除しました。実際そのCMを見てみると、褐色の肌なのにそこまで? という反応もちらほら。

 日本人は人種差別というものと、向き合う機会が少ないと思います。自分もその1人です。そんな時、目についたドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』(ニグロ、ニガーとは黒人を表す差別用語です。)を紹介したいと思います。

 

黒人差別の歴史

 まずこの問題に触れる前にどういった歴史背景があるのかというのを簡単にですが、説明していきたいと思います。

1.なぜ黒人差別は生まれたのか?

 黒人差別を知ろうとするとまず、奴隷制度が結び付けられます。アメリカには1619~1865年という約200年もの奴隷制度というのがありました。

 植民地を支配していたヨーロッパ人たちは農業で一儲けしようと考え、赤道に近い新大陸アメリカでサトウキビやコーヒー、綿花などの生産を行おうをとしました。

 しかし遠く離れた異郷の地で誰が生産するか?という事でした。そこでヨーロッパ人が目を付けたのが熱帯環境に強い黒人奴隷で、大量の黒人がかき集められました。こうして生まれたのが黒人奴隷制度です。約200年もの制度が黒人達を苦しめたのです。

2.奴隷解放宣言後も続いた差別

 1865年1月アメリカ合衆国16代目大統領リンカーンは南北戦争中に黒人奴隷を解放すると宣言し黒人達の賛同を得て南北戦争を終結する事ができました…が黒人奴隷制度の廃止=差別が無くなるという事ではありませんでした。

 経済的な自立は難しく貧困は続くばかりで、差別は加速していきジム・クロウ法(黒人取締法)という選挙権の剥奪、人種間の結婚、夜間外出禁止などを国が認めた合法の差別まで出来てしまいます。その流れでKKK(クー・クラックス・クラン)という白人至上主義団体から公然にリンチや虐待が行われていました。

 この法令は1876~1964年約100年間にも及びます。

 こういった事柄を踏まえて『私はあなたのニグロではない』を紹介していきます。

『私はあなたのニグロではない』とは

 この映画は1900年代に活躍したジェイムズ・ボールドウィンという著者の未完成原稿「Remember This House」という原作を元に作っているので人種問題をどう考えているか?というナレーションベース(サミュエル・L・ジャクソン)に映像を付け加えたもので構成されています。

 ジェイムズ・ボールドウィンの友人であり公民的指導者であったメドガー・エヴァースマルコムXマーティン・ルーサー・キング・ジュニア3名が考える人種問題を俯瞰的に考え話は進められます。

公式サイトにも簡単に3名がどういう人物なのかが紹介されてますのでぜひ。

 

責任と決意

 1957年シャーロットという黒人女性が高校に初登校する際、唾を吐かれ嘲笑されている写真には誇りと緊張、苦痛の表情を浮かべた写真を見てジェイムズ・ボールドウィンは憤慨し同情にかられ自分を恥ずかしく思い、責任を果たすべきだとパリから発ちます。

国家

 「なぜ黒人はそんなにも悲観する? スポーツ選手も市長もCMだってやってる。」

 「1番の問題はこの国そのものです。」

 とTVのインタビューに答えるボールドウィン。

 彼は白人そのものを攻撃したり否定したりしません。非暴力主義です。なぜなら彼は白人のミラーという女性の教師に教育を受けていました。ミラーは差別なく本を与えたり歴史などを教えてもらったそうですが、警官からは黒人のように差別を受けそういう扱われ方をされていたそうです。

 「白人が差別主義なのは肌が白いからではない」とミラー先生の影響でそう思い始めたのです。「白人たち黒人を差別する事でモンスターになっている。私はそれが怖い」ボールドウィンは白人そのものを敵視しているワケではなく、差別という概念を生み出す白人と闘っている事が分かります。

 

 ボールドウィンは映画で扱われている黒人についても言及していて黒人がやる役は滑稽に描かれていたり怠け者のような描写に「同種として品を下げている」や、先住民(黒人)を迫害する映画では「英雄といえば白人、我が敵は黒人だと知らしめて住民の虐殺をまるで英雄伝説のように仕立ていると訴えます。」とメディアの印象操作による差別を批判しています。

 黒人向上委員会(NAACP)の中心人物であったメドガー・エヴァースは敵対していた白人市民会議のメンバーに暗殺されてしまいます。ボールドウィンは何にも所属していませんでしたが、同志の暗殺に次は自分かもと恐怖を覚えます。それでもボールドウィンは生き証人として歩みを止めませんでした。「警官が黒人女性の顔を踏みつけるのが文明国家と言えるでしょうか?」と国を相手に訴えるボールドウィンをFBIは、国家を脅かす危険性があるとして危険人物リストに加えられてしまいます。

恐怖と闘っていく

 「アメリカ人は精神が底なしに貧しく、人間らしい在り方を恐れるあまり、私的な自分を失っている。公的な振る舞いが白人と黒人の関係を作った。

 白人は何を持って黒人を恐れたのでしょうか?純血を守るために黒人をあえて問題化したと語るなか「黒人の憎しみは怒りだ。自分や子供が何もされなければ、憎しみは生まれないが白人の憎しみの源は恐怖だ実体がない。

 黒人はその恐怖に屈することなく白人ではなく差別と闘っているとボールドウィンは言いたいのでしょう。

 「全てはアメリカ国民ずっと敵対してきた相手と向き合い、抱き合えるかが問題です。白人は自分の胸に聞いてほしい。なぜニガーはいるのか? ということを。白人がニガーを生み出したのです。なぜかって?それを問えれば未来はあります。

 差別を生み出したのは黒い肌で生まれた事が問題になったワケではなく、白人が差別を生み出した事が問題なんだとこの一言で分かります。なので黒人が変えるのではなく白人が変らなければ、問わなければ本質は変わっていかない問題なんだと深く刺さります。

感想

 この映画を見て衝撃的な事実の連続にいかに自分が無知だったかというのを思い知らされました。

 「歴史は過去ではない。現実だ。」

 ボールドウィンの言葉の通りこの映画を見ていると今のアメリカとだんだん重なっていきます。時が経っても苦しみの根源や問題点を提議してきたのに今も変わらない、向き合わない人たちもいることの無情さを僕は感じました。

 ボールドウィンは最後まで非暴力主義、中立の立場でこの問題に取り組み、訴えている姿には胸を打たれます。目を背けたくなる現実(いま)に立ち止まって向き合う、思考する、という人間が根底にあるものを今一度、見つめ直せられる映画でした。

(参考)『私はあなたのニグロではない』 (監督)ラウル・ペック

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