世界人権宣言70周年! その成立過程や、歴史について学ぼう

世界人権宣言

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1.世界人権宣言70周年

 今年12月10日は、世界人権宣言が第3回国連で採択されてから、ちょうど70年目にあたります。そして、毎年12月10日は、国連によって「国際人権デー」とされています。

 20世紀には、世界を巻き込んだ大戦が二度も起こり、とくに第二次世界大戦中においては、特定の人種の迫害、大量虐殺など、人権侵害、人権抑圧がありました。このような経験から、人権問題は国際社会全体にかかわる問題であり、人権の保障が平和の基礎であるという考えが主流になってきました。

 そこで、1948年12月10日、パリで開かれた国連第3回総会において、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として、「世界人権宣言」が採択されました。

 世界人権宣言は、基本的人権の尊重の原則を定めたものであり、それ自体が法的拘束力を持つものではありませんが、初めての人権の保障を国際的にうたった画期的なものでもあります。

 世界人権宣言は、すべての人々が持っている市民的、政治的、経済的、社会的、文化的分野にわたる多くの権利を内容とし、前文と30の条文から成り立っており、世界各国の憲法や法律に取り入れられるとともに、さまざまな国際会議の決議にも用いられ、世界各国に強い影響力を及ぼしています。

 さらに、世界人権宣言で規定された権利に法的な拘束力を持たせるため、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)」と「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」の2つの国際人権規約が採択され、その後も個別の人権を保障するためにさまざまな条約が採択されています。

 今回は、そんな世界人権宣言についてまとめてみました。

2.国際的人権保障の歴史

 今日の国際的人権保障の枠組みは世界人権宣言に始まります。しかし、それ以前にも人権を国際的に保障しようとする活動はありました。

 歴史的に古いのは、「奴隷取引の禁止」です。この問題は、ヨーロッパでは、すでに17世紀から問題にされ、18世紀中頃には、「奴隷取引抑圧条約」が結ばれるようになりました。ただし、「奴隷の人権」という観点では、まだ不十分でした。国際連盟(1919年~1946年)の時代にはいると、「奴隷制度」一般を禁止する「奴隷禁止条約」が、1926年に作られます。

 人権保護を謳った歴史的な条約で、先駆的と見なされるのは、1878年の「ベルリン条約」です。これは、同条約に基づき、オスマントルコから独立を与えられた、セルビア、ルーマニア、モンテネグロに対して、住民の人権と自由の保護を義務づけたものです。その権利の中心は、「宗教的自由」でした。

 1929年10月12日、国際法学会は、「人間の権利の国際的宣言」を採択しました。これは、「世界人権宣言」に先立つ、国際的な人権宣言でした。そこでは、「文明世界の法的意識が、国家によるあらゆる侵害から自由な個人の権利の承認を要求する」と述べられていました。

 世界人権宣言に思想的につながるものとしては、1944年5月10日に「国際労働機関の目的に関する宣言」として採択された、「フィラデルフィア宣言」がとくに注目されます。そのなかでは、「すべての人間は、人種、信条、性別に関わりなく、自由と尊厳、経済的保障、そして機会均等の下で、物質的進歩と、精神的発展を追求する権利を有する」と書かれてあります。

3.世界人権宣言成立の経緯

 のちに世界人権宣言となるこの文書案は、1946年の第1回国連総会で審議されました。総会は、この「基本的な人権と自由に関する宣言」案を審議したうえで、「人権委員会が・・・国際権利章典を策定する際の参考」として、これを経済社会理事会に送付しました。

 人権委員会は政治的、文化的、宗教的背景を異にする18カ国の委員で構成されていました。委員長を務めたのは、フランクリン・D・ルーズベルト米大統領の未亡人であるエレノア・ルーズベルトでした。

 その他のメンバーには、宣言の原案を作成したルネ・カサン(フランス)、委員会報告者を務めるチャールズ・マリク・(レバノン)、副委員長を務める張彭春(中国)、国連人権部長を務め、宣言の青写真を作ったジョン・P・ハンフリー(カナダ)が名を連ねていました。しかし、人権宣言の原動力として認識されているのは、ルーズベルト氏だと言われています。

 宣言の原案は1948年9月に提出され、50ヵ国を超える加盟国が最終案の策定に参加しました。そしてパリで開かれた総会で、1948年12月10日の決議217 A(Ⅲ)により、賛成48、反対0、棄権8(ソ連、ウクライナ、白ロシア、ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、サウジアラビア、南アフリカ)、欠席2(ホンジュラス、イエメン)により採択されました。

 なお、1950年の第5回国連総会において、毎年12月10日を「人権デー」として、世界中で記念行事を行うことが決議されました。

4.世界人権宣言の内容

 世界人権宣言は、「人類家族全員が本来持っている尊厳と、平等で譲り渡すことのできない権利を認める」という前文の書き出しから始まります。前文には、F・ルーズヴェルトによる「四つの自由」の思想が反映されています。

 四つの自由とは、1941年1月16日の大統領教書に述べられた、「表現の自由」「宗教の自由」「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」です。また、国連憲章の人権条項、および、次の四原則が反映されています。

(1)人権および自由が尊重されないところには、平和は存在しない。

(2)人間は権利のみを有するものではない。人間は、その形成する社会に対して義務を負う。

(3)人間は、各自の国および世界の市民である。

(4)戦争の脅威があるところには、真の人類の自由または尊厳は存在しない。

 世界人権宣言の作成にあたったルネ・カサンはまた、世界人権宣言を教会の大きな柱廊にたとえているといいます。

 教会の前庭にあたる部分は、人類社会の一体性を宣言し、教会の建物の土台は、第一条と第二条です。回廊を支える四本の柱の第一は、市民の個人的権利と自由です。第二の柱は、外部との関係での個人の権利です。第三の柱は、精神的活動、公的自由、政治的基本権に関するものです。第四の柱が、新しい経済的・社会的・文化的権利に当たるのです。

5.最後に

 1948年に採択された世界人権宣言は、今年で満70年を迎えました。法的拘束力のない宣言として出発したとはいえ、その後の人権条約でたびたび引用されてきたのは事実です。

 1966年の南西アフリカ事件に関する国際司法裁判所の勧告意見の、反対意見のなかで田中耕太郎裁判官は、世界人権宣言の法的拘束力を認める見解を表明しています。

 代表的人権条約である、二つの「国際人権規約」、「難民条約」、「人種差別撤廃条約」、「女性差別撤廃条約」、「子どもの権利条約」などの前文のいずれもが、世界人権宣言を援用しています。このように、後続の人権条約に援用されることで、それらの条約の適用を通じて、世界人権宣言もまた、加盟国に拘束力を及ぼすことになったといえます。

 その他にも、「欧州人権条約」(1950年11月4日署名)、「テヘラン宣言」(1968年5月13日採択)、「米州人権条約(1969年11月22日採択)、「ヘルシンキ宣言」(1975年8月1日採択)、「アフリカ・バンジュール憲章」(1981年6月27日採択)でも、この世界人権宣言が援用されています。

 日本に限ってみても、1951年9月8日に署名した「サンフランシスコ平和条約の前文で、「あらゆる場合に国際憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を達成するために努力する」と約束しているほど、身近なものなのです。この機会に人権とは何か、一緒に考えてみませんか。

 参考

外務省『世界人権宣言の作成及び採択の経緯』  <https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1a_001.html>(2018年12月17日アクセス)

国際連合広報センター(2018)『世界人権宣言の歴史 -2018年は採択70周年―』<http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/28387/>(2018年12月17日アクセス)

萩原重夫(1998)『明石ブックレット6 <世界人権宣言>のめざすもの』明石書店.

法務省『世界人権宣言70周年』<http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00172.html(2018年12月17日アクセス)

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