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1.イギリスの取り組み
所得の差や住んでいる地域や雇用形態、家族構成の違いで病気になったり、寿命が短くなってしまうという「健康格差」の問題。この問題は、日本だけではなく、世界各地で問題になっています。しかし健康格差の抜本的な解決に向けて成果をあげている国があります。
ここでは、わずか8年間で心筋梗塞と脳卒中の死亡者数を激減させたイギリスの、健康格差解消に向けた取り組みを紹介します。
イギリスでは、2003年から2011年のわずか8年間で、心筋梗塞と脳卒中の死亡者数が4割も減少したことで、世界中の注目を集めています。心筋梗塞と脳卒中は、低所得の人ほどかかりやすいとされており、健康格差の問題が典型的に現れる疾病だとされています。
一般的に、貧困層は健康リテラシーが低いため、個人の意識や行動に変化をもたらす啓蒙活動の効果が及びにくいといわれていますが、はたしてイギリスはどんな方法を駆使して心疾患と脳卒中の死亡者数を減らしたのでしょうか。
イギリスが目をつけたのが食塩でした。2003年時点のイギリス国民1人当たりの塩分摂取量は1日10g弱。この量は、日本や韓国、タイほどではないですが、アメリカやフランスに比べるとかなり多い数字でした。
食塩の過剰摂取は、胃がん、高血圧、循環器疾患、脳卒中などの発症リスクを高めるといわれています。しかしイギリスは、ある取り組みをした結果、国民1人当たりの塩分摂取量を15%も減らすことに成功することができました。
2.ターゲットはパン
このプロジェクトの中心となったのが、イギリスの食品基準庁(FSA=Food Standards Agency)です。2006年、食品分野におけるイギリスの公衆衛生の維持を責務とするFSAは、パン、ケチャップ、ポテトチップス、チーズ、ソーセージなど85品目に、4年間で減塩する目標値を設定して、食品メーカーに自主的な達成を促しました。なかでも、食品基準庁がターゲットにしたのがパンでした。
パンは食塩を大量に含む食品とされており、イギリス国民の塩分摂取源の実に18%が、パンによるものであることがわかりました。これは、ベーコンやハムなどの食品と比べても高い数字で、単一の食品としては最大の摂取源になっていました。そこで食品基準庁は、国内のパン製造業者に減塩を強く働きかけたのです。
ところが、多くのメーカーはパンの塩分量を減らすことに懸念を示しました。食塩の含有量を変えれば、パンの味も変わってしまうからです。減塩したことで売り上げが減ったらどうしてくれるのだという懸念が、協力の大きな障壁となっていました。
そこで、大きなきっかけとなったのがある提案でした。医学や栄養学を専門とする科学者たちによって組織されたCASH(Consensus Action Salt and Health 塩と健康に関する国民会議)という団体が発した斬新な減塩方法です。
3.減塩をゆっくりと進めていく
それは、「減塩は、一気にするものではなく、ゆっくりと塩分を下げていこう」というものです。消費者に気づかれないよう、時間をかけて塩分を減らせば、売り上げを減らすことなく、パンの味を変えられるという考えでした。
実は、CASHはこの提案を成功させるため、根拠となる研究結果を持っていました。まず2つのグループをつくり、それぞれ6週間パンを食べてもらいました。片方は通常のパンを食べてグループ。もう一方は段階的に毎週5%ずつ減塩していったパンを食べるグループで、最終的には25%減塩したパンを食べてもらいました。
この条件で、6週間後、味の違いについて感想を聞いたところ、塩分量が同じパンを食べたグループはもちろんのこと、段階的に25%まで減塩したパンを食べたグループも、「味は変わらない」と答えたのです。
このことから、一見、繊細に思える人間の味覚は、意外と中長期的な味の変化には鈍感になることがわかったのです。こうした特性を利用して、消費者に気づかれないよう、塩分をこっそり減らしていけば減塩は可能と、CASHは判断したのです。
この提案を受けて、大手パンメーカーでつくる業界団体が、「それなら協力できる」と動き出しました。これまで食塩の過剰摂取がもたらす健康被害に警鐘を鳴らしてきたCASHの粘り強い研究活動が、政府やメーカーを動かし、野心的な減塩プロジェクトが始動しました。取り組みは、最初の年は2%の減塩から開始したものの、その後7年かけて、最終的には塩分を20%まで減らすことに成功しました。
こうしたイギリス政府の国を挙げた減塩政策は、目覚ましい成果をあげました。2003年から8年間で、国民1人当たりの1日の塩分摂取量は1g以上も減少。また虚血性心疾患や脳卒中の患者にいたっては、実に4割も減少しました。これによって、イギリスは年間15億ポンド(約2300億円)以上の医療費が削減できたとされています。
現在、イギリスでは、このような減塩プロジェクトの経験を活かして、砂糖の消費量を減らす試みが行われています。砂糖の摂取は虫歯の原因となるだけなく、肥満につながるとされています。肥満は生活習慣病にも深く関わっているため、砂糖の消費量を減らすことができれば、医療費のさらなる削減ができると期待されているわけです。イギリスの挑戦はまだまだ続きます。
参考
NHKスペシャル取材班(2017)『健康格差 あなたの寿命は社会が決める』講談社.
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