「双極性障害」で20年間働けなかった私が就労支援A型で、新たな一歩を踏み出す。#2 〜ここに辿り着くまで〜

就労支援A型

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「TANOSHIKA」に辿り着くまで…。

 

前回のブログの自己紹介で軽く触れましが、私はひきこもり癖があり、
働く事に自信もなく不安がありました。
(障害をお持ちの方なら少なからず一度は抱く思いかもしれませんね、、、)
今回は「TANOSHIKA」で働く前までの私の状況をお話します。

病気が発症した頃と仕事に対する思い…。

私が最初に働き始めたのは中学卒業してすぐでした。経済的事情により高校進学を諦めて働く事になりファーストフード店にバイト入社しました。(自分で働いて貯めたお金で高校進学を考えていたので正社員での就職は考えていませんでした)しかし15才で社会に出て、バイトも掛け持ちをしながらの生活や人間関係や社会の厳しさも重なりストレスから「うつ病」を発症しました。その後、薬の関係や私が10代の頃まじめに精神科に通院しなかったこともあり、「双極性障害」になりました。いつからか分かりませんが病名を知ったのは後々です。

なので、気分が上がっている時は後先考えず、「自分ならどんな仕事もできる!」と過信して少しでも時給が高く稼げる所を探し働き出します。。。もちろん家計の手助けをしたいという思いもあってですが、(今考えれば自分の体調に見合っていない無理な働き方をしていましたね)当然仕事内容もきつく家に帰って来ては家族に八つ当たりし(暴れてた)その仕事を選んだ事をいつも後悔していました。

そんな状況が続いたので病状が段々悪化してきているのが自分でも分かっていたのです。ですが、そのことを職場の人に言う事もできず(病気の事は隠して就労していたこともあり)仕事に行く前に急に体調が悪くなり精神異常も来たして、そのまま仕事に行けなくなる状態が多々ありました。その時は電話も出来ない状態なので、母が会社に事情を話して辞める旨を連絡してくれていました。職場の方は突然辞められた事と、私がそんなそぶりを見せなかったので困惑した事と思います…。(当時の職場の方々には大変ご迷惑お掛けしました 汗)
その後はしばらくうつ状態になり引きこもり生活に…。…その繰り返しが20年近く続きました。

仕事に対するトラウマ

気分の変調のサイクルが大体3ヶ月から半年位なので、仕事を辞める羽目になるのもそくらいの期間です。それは、トラウマとして私を苦しめる経験にもなりました。さすがに「もう自分には働く事ができないんじゃないか?」と思う様になり気分が上がった時も過去のトラウマから、段々と仕事に就くことに二の足を踏む様になりました。

「でもお金がどうしても必要」という時は、派遣のバイトに登録していたので期間を限定して短期で働いたり、単発の仕事などをしていました。頭のどこかでは「いつかはちゃんと働かないといけないなぁ」とは思いつつ先延ばしにしてたことも事実です。

そんな事を考えてた矢先に…。

今年の1月に父を病気で亡くしました…。
この出来事が私の考えを変え、
また働く勇気を与えてくれた一番の理由です。
父の死を乗り越えて精神的に強くなったのだと思います。

この続きは次回のブログにupしますね!
最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

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