「双極性障害」で20年間働けなかった私が就労支援A型で、新たな一歩を踏み出す。#3〜父との約束〜

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父の死を乗り越えて

 

今回は前回の「双極性障害」で20年間働けなかった私が就労支援A型で、新たな一歩を踏み出す。
#2〜ここに辿り着くまで〜の続きになります。

 

最後まで世話の焼ける娘

去年の10月から年末まで派遣のバイトをしていました。年末年始物入りになると思い、
1年振りに働く事にしたのです。
期間限定と言いつつも仕事はとてもきつく、
電車での通勤も体に応えたので
父に送迎をお願いしました。
父は快く引き受けてくれ「あと少しで休みだからぼちぼち頑張れと!」と励まし、
愚痴も聞いてくれました。
帰りにはコンビニで、から揚げなど買って車で待っていてくれたのです。
ある日の朝いつものように父に職場まで送ってもらっていたのですが、
とても辛そうな表情をしていたので、
「どこか悪いと?」と聞くと
「胃が張っとる感じがする」と、父。
すぐに病院に行く事を勧めましが、病院嫌いなのは知っていたので、
兄にお願いして付き添いで連れて
行ってもらうことにしました。

検査の結果はすぐにでなかったので病院に行った次の日も父は私を仕事場まで送ってくれました。
(後に担当の先生に聞いた話だと相当痛みを我慢していたとのこと。。。)
今思えば、父は自分の事より私の心配をしてくれていたのだと思います。

検査の結果、父の病名は「悪性リンパ腫」だと分かりました。
すぐに入院しましたが、担当医から腫瘍が大きく治療は難しいと言われたのです…。
そんなに深刻に考えていなかったので、その言葉に涙が止まりませんでした。

闘病中も父は私の仕事の心配をしていて「仕事はきつくないか?」と聞く父。
父に「私の事は大丈夫やけん安心して!」。。。。
父に甘えるばかりで親孝行もろくに出来なかった自分に悔しさが募るばかりでした。

入院中は出来るだけ面会に行き、父に仕事の事や家の事たわいも無い話を沢山しました。
父に余命の告知はしていなかったので(完治する可能性が0ではなかった為)
調子が良い時は安心してもらうため将来のビジョンを話し、
握手をして父の「車の運転気を付けろよ」の言葉を背に受け病院を後にしました。

派遣のバイトは考えた末に父の面会や家の用事をする為、先方に事情を話し辞める事にしました。
父には母のリハビリに連れて行く為にと理由を説明して、
「お父さんが退院して落ち着いたらまた仕事を探すね。」と約束しました。


その後、父は3ヶ月間の闘病生活を終えて
今年の1月31日には息を引き取りました…。

父が亡くなり改めて存在の大きさ、偉大さに気が付きました。
亡くなる直前まで心配をかけてしまったことに心苦しく辛かったですが、
その後父が何時も見守ってくれていると心強く感じるまでになりました。

 

亡くなってからの親孝行

 

それからは父が、喜んでくれるだろうなと思う事を前向きにやるようになりました。
母に優しくする事、炊事に洗濯(家事全般)家計のやりくり、買い物、車の安全運転、
体力をつける為プールにも通いました。自然と外に出る機会も多くなり、人としゃべる事にも慣れてきてたので、
ずっと避けてきた就労にもチャレンジしようとハローワークに通い、
そこでここ「TANOSHIKA」と出会いました。

父が生きていたらきっと「いい所見つかってよかったな!」と喜ぶ顔が目に浮かびます。
父が巡り合わせてくれたといったら大げさかもしれませんが、
私は「TANOSHIKA」に出会えて良かったなと思っています。
とても働きやすいですし自分の居場所がここにはあると思わせてくれます。

そして何より父との約束をひとつ果す事が出来たからです!

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

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