管理教育と多様性について~どんはれの枕草子~

黒板のある教室に机と椅子が並んでいる風景

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ある校則

先日、Twitterを見ていたら、こんな投稿があった。

小学生の体操服の下にアンダーシャツを着てはいけないという校則があるという。

私も小学生の頃、教師に体操服の下にアンダーシャツを着てはいけないと指導された覚えがあるなぁと思い出していた。

なぜ、アンダーシャツを着てはいけないのかというと、体育の授業で汗をかいたアンダーシャツの上にそのまま服を着て、風邪をひく児童がいるからだと教師は言っていた。

アンダーシャツを着るのならば、替えのアンダーシャツを持ってきなさいと指導された。

しかし、いちいち着替えをもってくるのは面倒なので、誰も着替えのアンダーシャツを持ってこず、体操服の下にアンダーシャツを着ないで体育の授業を受けるのが定番になっていった。

それから、何十年もの時が経ち、体操服の下にアンダーシャツを着てはいけないという事だけがルールとして残り、なぜ着てはいけないかという理由がすっぽりと抜けていると投稿を読んで感じた。

そのルールが始まった当時は合理的な理由があったのだ。

しかし現在はユニクロのエアリズムなど、汗をかいてもすぐ乾く商品もあるので、体操服の下にアンダーシャツを着てはいけないというルールはなくてもいいのではと思う。

昔からある校則もだが、今日の社会情勢を見ても本当に合理性があるのか疑わしいと感じる事案が多い。

紺と白色の体操服

柔軟な選択

例えば、今回のコロナワクチンのように、なるべく多くの人がワクチンを打った方が大勢の人が助かる確率が高い場合、科学があまり進歩していないころだったら、大勢が助かる方法が良しとされ、全員が強制的にワクチンを打たなければならなかったのだろう。

しかし、現在は科学技術が大きく発展し、中には重篤な副反応を起こしてしまう人もいることもわかってきている。「ワクチンを打たないことを選択する権利」もある。

ワクチンを打つか打たないかは、正しいエビデンスに基づいて、各々が選択できる世の中になったのだ。

話を元に戻そう。校則はなるべく大勢の人間が安心安全に学校生活を送るために作り出されたものが多い。しかし、それで弾かれてしまう少数派は無視してよいのだろうか。

注射器とワクチンの薬瓶のイラスト

誰一人取り残されないために

誰もが取り残されないルール作りが大切であり、多様性を受け入れるならば柔軟な対応も求められる。管理教育でがんじがらめになりがちな校則も誰一人取りこぼしがないように変えていかなくてはならない時代に突入してきていると思う。

校則は法律ではないので、いつでも変えることができる。生徒一人一人が校則というものと向き合い、真の民主主義とはなんぞやと考えながら新しい校則を作り出して欲しいと思う。

5人の制服姿の男女が大机に座って会議をしている様子のイラスト

社会に出る前に

今から思えば、学校とは閉鎖的な社会だったなと思う。狭い教室に気の合わないクラスメイトたちと閉じ込められ、窮屈この上なかったと当時を振り返る。

学校で習った勉強は、社会では役に立たなかったり、コミュニケーションが苦手な私には接客業ではまったく通用しなかったり、いきなり社会に放り出されて壁にぶつかり、失敗したことだらけだった。

どのような教育を受けていたら、よかったのだろうか。

例えば近年は、自分達で校則(ルール)を考えて作る取り組みをしている青楓館高等学院という学校がある。

青楓館高等学院の教育方針には、このようなものがある。

自分らしく生きていく3ステップとして、

  1. 自分を知る
  2. 社会を知る
  3. 社会とつながる

がある。

自分らしく生きていく3ステップの表

画像引用:青楓館の教育 – 青楓館(せいふうかん)高等学院 (seifukan-gakuin.com)

まずは、自分の強みを知ること。いろいろなバックボーンを持つ大人、先輩、同級生とかかわることによって自分の好きなこと、得意なことを見つけ出す。

人と自分を比べることによって自分自身の個性を磨いていく作業が出来る。

一人ひとりに寄り添った教育が今求められている個の時代になった現代では、悩みや学ぶスピードも、やるべきことが違うのも当たり前。心理学やコーチングの技術を用いてフェイストゥフェイスの教育を受けることができる。

次に、社会を知るこ

自分が知っている世界の外にいる人や情報に触れることで自分の「ワクワク」に気づけること。

在学中に最低1人だけでもいいので、憧れの人物に取材しに行き、直接話を聞くことでキャリアの視野を広げることを目的とする。

最後に社会とつながること。

座学だけでは学べない「生きていく力」を実際のビジネスの現場に参加し、高校生だからこそできることを見つけ出し、価値を企業や地域に提供すること。

そのために、高校生が高校生として必要な環境を洗い出し、校則や学校のPR、制服や校歌を決めることができる。そのような、動きをしている学校も出現し出している。

とても良い、教育方針だなと思う。

座学だけでは学べない社会的なスキルの大切さ

あるホテルの就職面接を受けた人の体験談を知り合いから聞いた。その人の結果は不合格であった。それはなぜかというと、筆記試験の点数が悪かったわけではなく、筆記試験を受けた際に消しゴムのカスを床へとパラパラと落としていたからだった。そのあと、掃除をする人のことまで考えていない行為に不合格を突き付けられたのだった。

私は気の毒な話だなと思った。その人は今まで、ペーパーテストで学力を競い合わされて育ったに違いない。そこに来て、社会的スキルを学ぶ機会がなかったのだろう。

社会に出てそんなマナーを知らず壁にぶち当たった典型的な例である。

その人も先述のような社会とつながる教育を受けていればそのような失敗はしなかっただろうと思う。

年配の面接官の男性と、その面接をうけるスーツ姿の女子学生が対面に座っている様子のイラスト

おわりに

学生の本分は勉強であり、学力が高いにこしたことはないだろう。しかし、そればかりでは社会では通用しない場面が多々ある。校則一つとっても、これから社会を担う子どもたちのニーズに合った教育をしていく必要があると感じる。学校はもっと開かれたものになっていかないといけないと私は考える。

参考サイト

髪型や服装「古い校則廃止」後に学校で起きたこと | 東洋経済education×ICT | 変わる学びの、新しいチカラに。 (toyokeizai.net)

中学生に直接聞いた不登校理由、国の調査と大きな隔たり / 不登校新聞 (publishers.fm)

青楓館の教育 – 青楓館(せいふうかん)高等学院 (seifukan-gakuin.com)

noteでも書いています。よかったら、読んでみてください。

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