本音と建前がわからない〜どんはれの枕草子〜

本音と建前

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美容室で髪を切りにいった時のこと。

毎回その美容室で髪を切っているので、「何ヶ月ぶり切りに来られたのですか?」と聞かれたので、本当にわからなかったので、「わかりません」とこたえた。そうしたら、その美容師さんはなんか怒っていた。

美容師さんにとっては2ヶ月ぶり、とか3ヶ月ぶりとかそのような回答を期待したのだろう。私はその期待を裏切ってしまった。

私は、私なりの誠実さで正確に回答しただけなのだが、それでは円滑なコミュニケーションとして成立しなかったことを後から気づいた。嘘でも、2ヶ月ぶりですかねーといわないといけない場面だったのだ。

病院で

病院の診察の終わりに「他に悪いところありますか?」と医者に聞かれた。「あれ悪いこれ悪い」と言っていたら、呆れられた。医者は「もう大丈夫」という返事を期待して言ったのだった。その期待を裏切って、あちこち悪いと言い出した私にイラつきを感じたらしい。私は私で、具合が悪いから病院に来ているのに、だったらそんな質問しなければいいのにと思ってしまう。

このように、本音と建前の違いがよくわからないことが多い。

市役所で

市役所でマイナンバー書かなければならない時があり、カードを作っておらず、郵送された紙を見て書いた。そうしたら、市役所の人にまだカード作ってないんですかと言われた。まるで、カード作っておくのが当たり前のように。

しかし、蓋を開けてみれば、世間一般にカードを作っている人はあまりおらず、その後、カードを作るとポイントがつく政策が採られた。

あの市役所の職員の態度はなんだったの?って思う。

市の職員としてはマイナンバーカードを作ることが建前上当たり前と言わなければいけない立場で、実際はそんなに普及していなかったのだ。

それも本音と建前の違いの問題だろう。

心の理論

心の理論というものがある。説明すると、




サリーとアン課題

サリーとアンが部屋で遊んでいます。

サリーはボールをカゴの中に入れて部屋を出ました。

サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。

サリーが戻ってきてボールを探すとき、どこを探すでしょう?

この問題の答えは当然ながら「カゴの中を探す」になります。

なぜならサリーはアンがボールを移したことを知らないため、先ほど自分が入れたカゴの中にボールがあると思っているからです。

問題を出された人は、アンがボールを箱に移した一連の流れを俯瞰して知っています。

しかしながらこの問題はあくまで「サリーはどこを探すでしょう」というサリーの視点に立って考える必要があります。

サリーとアン課題のような心の理論に関する問題を「誤信念課題」と言います。

誤信念とは文字通り誤った信念を指します。

サリーはボールが本当は箱の中にあるにも関わらず、カゴの中にあると思い込んでいました。

これは客観的に見ると間違っていることですが、サリーの視点に立てばそう思うのも仕方ありません。

こういった他者のご信念を読み取れるか否かを問われるのが誤思念課題です。

心の理念の理解には誤信念の理解が必要となります。


引用心の理論をわかりやすく簡単に解説|誤信念の理解やサリーとアン課題

このように、自分と他者の立場によって心の動きの違いがあることを私は理解しにくい性格なのかもしれないと最近思うようになってきた。

当然、私はサリーがカゴの中を探すという答えを理解しているが、相手の立場に立って本音と建前を見極めることが私には苦手であるように思うのだ。

私は人に共感しにくい性格なので、馬が合う友達というものができにくい。ツーといえばカーと答えてくるような関係になりにくい。

「察してほしい」女友達たちに幾度となく、イラつかれた態度を取られてきた。

「心の理論」とは、この状況では相手はこんなふうに思っているはずだ、とか、こんなふうに言ったら相手はこう思うだろう、というような、常識的な「読み」です。

引用「空気が読めなくてもそれでいい。」漫画家・細川貂々/精神科医水島広子

この「常識的な読み」がよくわからないことが多い。

私は、自分と他人とは異なった物差しを持っているものだと思っている。だから、同じものを見ていたとしても、違う意見になるのはよくあることだと思う。

しかし、特に女性同士だと全く同じ価値基準でないと安心できない人間が数多くいるように思う。

「常識的な読み」というものは似通った物差しでなんとなくこうだよねと察し合い、共感し合うコミュニケーションである。

共感できない相手とは仲良くなりづらい。それで、私には友達が少なく、むしろ相手を怒らせてしまうことの方が多い。この「常識的な読み」ができなかったから心の病気になってしまったところがあると自己分析している。

しかし、

現在は、多様性の時代だというが、「常識的な読み」や「正論風」を押し付けられて実際に起きていることを捻じ曲げていることも数多くあるのではないかと思う。

 

noteでも書いています。よかったら、読んでみてください。

TANOSHIKA どんよりと晴れている | note

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2 件のコメント

  • 記事を読ませていただきました。
    人それぞれだけど、貴女の記事で思ったことがあります。個人の状態をわかってくれる人が少ないときつい!なぁと思うし、話をしっかり聞いてくれたらよかったですね。
    貴女のいいところをもっとのばしていけるように願っています。
    頑張ってください。

    • ミーアキャット様、最後まで記事を読んでくださりありがとうございます。
      私は「常識的な読み」がわからないことも含めて個性と受け止めてくれる人が周りにいたらよかったなと思うことがあります。私は私で良いところもきっとあると思うので、ミーアキャット様の応援を糧に頑張っていこうと思います。

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