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はじめに
ロボットと認知症〜アトムの心(前編)〜
前回は「ロボットと認知症〜アトムの心(前編)〜」をご紹介しました。今回は、その記事を踏まえてロボット開発と自閉症児の教育についてご説明します。
皆さん、ご存知でしょうか?
実は、ロボット開発と自閉症児教育はお互いに親和性があるのです。
自閉症児の特徴
- 視線が合わないか、合っても共感的でない
- 表情が乏しい、または不自然
- 名前を呼んでも振り向かない
- 人見知りしない、親の後追いをしない
- ひとりごとが多い、人の言ったことをオウム返しする
- 親が「見てごらん」と指をさしてもなかなかそちらを見ない
- 抱っこや触られるのを嫌がる
- 一人遊びが多い、ごっこ遊びを好まない
- 食べ物の好き嫌いが強い
- 欲しいものを「あれとって」と言葉や身振りで伝えずに、親の手をつかんで連れて行って示す
などがあります。
ヒトかモノか
共同注意とは、
乳児は、母親が見る第三項(例えば猫とか)に視線を合わせ、母親と猫に何度も視線を合わせることによって第三項を理解し、社会性を身につけていくことをいいます。
弱いロボット⁉︎〜人とロボットとの共存〜
「弱いロボット⁉︎〜人とロボットとの共存〜」の『ロボットのお世話をする幼児たち』でも以下のように書きました。ゴミがあることを知らせるゴミ箱ロボットとそのゴミを拾う幼児たちの様子です。
ロボットは拾ってくれた人を見上げてちょっと会釈します。バネをうまく使ってヨタヨタ歩くようにし、人が近付いたり人に触られるとビクッとします。人が視線を向けると視線を向け返す仕草もします。
人とロボットが「ゴミを拾う」という行為を共有すること、お互いにゴミに視線を向け、この後どうするか調整し合う。生き物同士なら自然にやっていることです。それにより、人とロボットの距離が近づくことができます。
この場合、第三項はゴミに該当し、ロボットと幼児がアイコンタクトをすることによってお互いの気持ちや行動を調整し合い、社会性を身につけている様子がよくわかると思います。
自閉症児は、この調整が困難であり、多面的で複雑な感情を持つ他者よりもヒトとモノの中間であるロボットの方がコミュニケーションを取りやすいことがわかってきています。
自閉症児はモノをシステムとして理解し操作することを得意としており,モノとヒトの両方の性質を併せ持っているロボット とのやりとりが,コミュニケーション発達支援に役立つと考察している。
フレーム問題
自閉症児の特徴としてこだわりが強いこと挙げられます。私が聞いたある自閉症児のお話では、彼は公衆トイレのすべての個室で水を流さないと用が足せないそうです。
このように自閉症児には独自のルールが決まっており、それをこなさいことには次の行動に移れません。これは、ロボットがある決められた動作は順番通りにこなせるが、イレギュラーなことが起きると対応できないこととよく似ています。
この点も分かる通り、ロボットと自閉症児には共通点があるようです。
般化困難
我々が送っている日常生活は「複雑」かつ「あいまい」であり、そのような事柄から取捨選択してその環境に適応した行動を起こして暮らしています。
しかし、自閉症児にとってそのようなあいまいな環境に適応することが一番難しいのです。
自閉症児は人間から発せられる多元的で複数の情報から不可欠な情報のみ抽出するフィルタリング能力にかけるため,他者と注意を 共有することができない。
パーソナルスペース
愛知万博でアテンダントとして活躍したロボットに対して、子どもたちが別れを惜しんで泣き出したという言った事例が多数あったそうです。心理的な絆が強まりロボットが人間に近い存在となり、定型発達児にとってロボットの擬人化は一般的な反応であると推察されました。
自閉症児がロボットをヒトと認識しているのかモノかと認識しているのかを対人距離から検討する実験も行われいます。
人間が他者と相互作用する際には、親密さに応じて距離を取る空間行動がみられます。あまり親しくないにも 関わらず相手との距離が近すぎると不快に思い、距離を空けます。
自閉症児がロボットをヒトとして見ていれば時間が経つにつれ、空間的距離が縮まり、逆にモノとして見ているのならば空間的距離は変化しないだろうと仮説が立てられました。
〈実験の結果〉
自閉症児は時間が経つにつれ、段階的にロボットとの空間的距離を縮めていました。
さらに、実験に参加した自閉症児には、ロボットにお礼の言葉を述べたり、ロボットの動きに合わせて一緒に踊るなどの反応が報告されています。
たとえば、ロボットが子どもをダンスに誘った際一度断った子どもが、ロボットが拗ねるような動作を見せると「踊ります」と発言しました。
自閉症児がロボットの視点を取って心情を理解しようとしたと推察されます。
パーソナルスペースについては「傾聴する技術」をご覧ください。
傾聴する技術
問題点
我が国における教育現場でのロボットの使用はまだまだ実験段階であり使用率が低いです。
これは、ロボット技術の教育現場への応用自体が新しい試みであることと、ロボットを購入するコストが高額であるからです。
ロボットの種類にも、ロボット自身がある程度自立した行動の取れるものと、操作者を必要とするものがあります。操作者を必要とするロボットには操作知識やロボットに関する専門知識を有した者が不可欠となります。後者の場合、設置場所や稼働数がどうし ても限られます。
自閉症児は、環境の変化を嫌うという傾向が強く、ロボットを療・教育現場に投入したとしてもロボットに慣れるのに時間がかかります。
訓練を行うにあたり自閉症児がロボットを脅威に感じたり、興味を示さなかった場合の対処も、各、療・教育機関・療育者の臨機応変な対応や根気強さに頼ることになります。やはり、従来の訓練技法とロボットによる教育を併用して対応することが求められるでしょう。
さらに、子どもの予測のつかない行動は時に思わぬケガに繋がる可能性もある上、子ども同士でロボットの取り合いになるなどのトラブルも予想されます。
トラブルに対する対処を考慮すると、複数人のいる部屋ではなく一対一の環境で用いるのが望ましいと考えられます。また、操作者の有無に関する問題は、今後の ロボットの改良が期待されるでしょう。
自閉症スペクトラム障害児童とロボットの親和性は高い。しかし、それゆえに、自閉症児と同じく「複雑」で「あいまいな」社会に適応できないロボットを使用することで、むしろ自閉症児の「般化困難」を強め、より機械的な言動にしてしまうのではないかとの批判も予想されるでしょう。
自閉症児がロボットをヒトとして見ているのか、モノとして見ているのか、そこに定型発達児と違いはあるのかを検討する必要があります。
まだまだ、乗り越えるべき課題は多いのが現状です。
アトムの心
自閉症児に接する療育者やそれに携わる研究者達は「彼ら ( 自閉症児 ) を ロボットように,言われたことしかできない冷たい人間にしてはいけない」と考え,一方,1980年代の人工知能ロボットの開発者たちは「操作者の言う通りにしか動かない鉄人 28号ではなく人間と同じ心を持つ鉄腕アトムのようなロボットを作りたい」と考えていたとされる。一見真逆のように見えて,実は彼らが同じく「心」というものを探ってきたことがこれらの言葉に示されている。ロボットと自閉症は,人間の心のあり方を探るという意味においては,重要な接点を持つのである。
と、このように手塚治虫先生が創造した鉄腕アトムが日本のロボットに大きな影響を与えているといって過言はないでしょう。
終わりに
前編、後編に分けてお届けした「アトムの心」どうだったでしょうか?
現在、人間とロボットの関係性がここまできていることがおわかりいただけたでしょうか?
自閉症児を教育する過程で、心とはどういうものなのかを探ってきた経緯そのものが、ロボットに心を与えようとするロボット開発の過程とリンクしていると感じませんか?
前編では、ロボットに介護されることになんらかの痛々しさを感じた私ですが、このように進化していくロボットに改めて人間の心とは一体なんだろうか。根本的な問いが解明されていくようです。ロボットと人間が近づいていくうちに人間の心そのものも進化し、人と人とがどのように繋がり合う社会にしていけばいいのか。そのヒントも隠されているように思います。
参考サイト
こころの健康情報局 すまいるナビゲーター 自閉スペクトラム症とは?
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