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バイ菌あつかい
小学6年生のとき、スズキさん(仮名)というクラスメイトの女の子がいました。彼女は霊感があるらしく時々エキセントリックなことを言ったりするような子でした。クラスの男子はそこが気に入らないらしく馬鹿にしていました。とうとうそれがエスカレートし、彼女の名前のついた「スズキ菌」なるものができました。彼女の持ち物を触るとその菌がつき、早く他の人につけないと「汚い」とされました。まあ、そういうルールの鬼ごっこ、遊びの延長みたいなのが流行りました。当時、クラスメイトたちがどこまでいじめと認識していたかわかりませんが、彼女は自分がバイ菌あつかいされたことにとても傷つき学校に来なくなりました。
グループ分け
担任の先生と彼女の両親との話し合いが何回か持たれたのだと思います。彼女は再び学校に来ました。そして、先生が立てたいじめ対策はというと先生指定で班を組むことになりました。彼女はもう一人のいじめられていた男子と性格の大人しい男子、それから私の4人で同じ班を組むことになりました。
要するに私はいじめられっ子を押し付けられたのでした。
私は自分で言うのもなんですが、大人しそうで従順そうで優しそうに見えます。だからいじめられっ子を直接攻撃しないと思われました。確かに私は彼らをいじめなかったし、普通に話しかけていました。勝気なクラスメイトの男子に「あんな奴ら無視してしちゃえばいいじゃん」と言われましたけど、無視しなかった。そんなことをしたら彼らの居場所がなくなってしまうと思いました。当時の私は幼いゆえに純粋でお人好しでした。
潮目が変わる
そして、しばらく月日が流れます。私はある日クラスメイトの女子二人に話しかけられます。具体的なセリフは忘れてしまいましたが、話の内容は、「私たちはスズキさんと仲良くしています」って言われました。「えっ?あなたたちもいじめてたよね?手のひら返すように私に言うこと?」って思いました。そこから、だんだん潮目が変わってきていじめは収束していきました。
教卓のアンケート用紙
小学校を卒業間近に先生がアンケートを作りました。それはクラスメイト一人ひとりが一人ひとりの長所と短所を書くというものでした。
なぜか、書き終わったアンケートが教卓の中に置きっぱなしになっていました。クラスメイトの男子がそれを目ざとく見つけて全員分を読んでいました。
私の短所の欄は空欄にしている生徒が多かったけど、数人が鈍くさいと書いていました。それは自他ともに認める性格なので書かれても仕方がないと思いました。そして長所の欄はほとんどの子が「優しい」って書いていました。
一人の男子が騒ぎ出します。
「こいつ自分の欄。空欄にしているからアイツが書いたんじゃねぇ」
それは、いじめられていたスズキさんのことでした。彼女も私の長所を「優しい」って書いていました。それを読んで「私はちっとも優しくなんかない。優しいなんて都合がいい人間って意味だ。彼女のいじめが収束していったとき、『コイツ、とうとう自分で闘おうとしなかった。自分のことなのに抗おうしなかった』」と思いました。私が無視しなかったおかげという気持ちもありましたが、ただ、周りの生徒たちにそこまで悪い子がいなかっただけ、恵まれていただけと思いました。自分の力で能動的に道を切り開こうとしなかった。私はいじめが収束していったとき、初めて彼女を軽蔑しました。
そして・・・
私たちが高校生のとき、彼女は亡くなります。自死ではなかったと聞いています。
誤解しないでほしいのは「いじめられる側にも問題がある」ということではありません。
深刻ないじめに発展しなくてよかったと思います。
ただ、小学六年生という年頃の子どもに先生という立場の大人に追い詰められた経験はかなりキツかったです。私自身もいじめられる可能性もありました。誰にも相談できなかったですし、そもそも相談するという発想も当時ありませんでした。だから、両親も知りません。かなり大人になってから実はこういうことがあったと話しました。
もう何十年も昔の話であり、私はあのときのような非力な子どもではありません。先生だってどうしていいのかわからなかったんだと今は思います。
けれども、いまだにあのときのことを思い出すとモヤモヤした気持ちになります。あれでよかったのか?もっと何か違う対応があったんじゃないのかと考えます。
気がつけば社会福祉士なる資格を取得したのもこのような経験があったからかもしれません。
私が体験したいじめはどこにでもある話なのでしょうか?
現在も、いじめの報道を見るたびに自分のようなモヤモヤした気持ちになっている子どもたちがたくさんいるんじゃないかと思ってしまいます。そして、私は大人としてどのような対応をしたらいいのかと考えてしまいます。
終わりに
私は誰かにこの話を聞いてほしかったんだと思います。
人の優しさにつけ込まれて大人に利用されたと思っている自分がいます。
私は人に「どんはれさんは優しい人ですね」と言われるたびに、「ああ、この人は私を都合のいい人だと思っていいように利用しようと思っている」と思うようになり、素直に褒め言葉と受け止められず、かなりトラウマになっています。
また、「いやいやそれはあなたの自意識過剰でそんな事実はなかったし、あなたの妄想じゃないの?」と言われても私ははっきりと否定できません。証拠がありませんから。
人生は自分がハンドルを握るべきです。先生の策略で結果いじめは自然消滅したかもしれませんが、いじめられた彼女は自分の人生を生きていたのでしょうか?疑問が残ります。結局、彼女は何に傷ついたのかはっきりわからないままです。
そして、クラスメイトたちも人を傷つけているという意識もなく、ただの悪ふざけ、遊びの延長と思っていて、今でもそれが悪いことだと思っていないかもしれません。
先生は、クラスメイト一人ひとりと向き合い気持ちを聞き取るべきだったと思います。
「いじめについてどう思うか」「自分たちの行動が彼女にどんな影響をもたらしたのか」「お互いの気持ちを大切にするにはどうしたら良かったのか。」
それが出来たのは大人である先生だけです。
それが教育だと私は思います。
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