わたしはアダルトチルドレン(AC)なの?〜機能不全家族とAC〜

アダルトチルドレン

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アダルトチルドレン、通称ACという言葉を知ったのは、妹の1回目のアルコール依存での入院のときでした。

私だけ妹の主治医に呼ばれ、今後の入院について説明を聞いている時でした。

「妹さんは、アダルトチルドレンだね。つまりお姉さんもだよ。」

と妹の主治医に言われたときは、ビックリしすぎて何も言うことはできませんでした。

アダルトチルドレン …大人なのに子どもってこと?そして私も??と最初は戸惑いました。私は妹とは別の心療内科にかかっていたし、安定剤なども服用していたので、精神病なのはわかっていましたが、長年通っていた心療内科では一度も言われたことはなかったからです。

アダルトチルドレン は、1970年代にアルコール依存症の親を持つ子どものことだと提唱されていました。

現代では、アルコール依存だけではなく、依存症や機能不全家族など、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、大人になった時に“対人関係の問題”や“生きづらさ”に悩み苦しんでいる人たちのことをいいます。

引用:アダルト・チルドレンってなに

調べてみると、「たしかに、我が家は機能不全家族だな。」と納得してしまいました。

我が家は機能不全家族

父がアルコール依存症だと薄々気づいていたのですが、本人が認めていなかったのと、依存症の診断の前に、飲酒が原因で静脈瘤が破裂して死にかけたので、強制的に断酒する結果となったからです。後々にわかったのですが、これは『底つき体験』といい、依存症患者が「どうしても飲めなくなってしまった」という体験をして、依存症を克服するという方法だったようです。

いいのか悪いのか、死にかけた(2回心臓が止まりました)ことで、父はお酒をやめることができたのですが、重度のアルコール性肝障害を患い、別の問題を抱えてしまいました。

母は多発性硬化症という難病を患い、わたしが17歳の頃に寝たきりとなっていまい、最終的には喉の呼吸器と胃瘻を入れて、自宅での完全看護状態でした。

看護は父がしていたのですが、上記のとおり父も身体がボロボロだったので、家族に多くの負担がかかりました。

私の10代は、母が体調を崩すたびに、救急車で搬送され、病院で余命宣告をされるという日々。

それにプラスして、精神的に不安定な妹が、リストカットやODをするので、またしても救急車で搬送されるのですが、当時は昼夜関係なく常にアルコールが入っているような状態の父だったので、対応できるはずなく、私や弟が病院に付き添うことになるのです。

ひと月に何回も救急車が来るので、関係ない救急車のサイレンに過敏に反応していまい、眠れなくなってしまう時期もありました。

リストカットとジェットコースターな日常

私は高校は定時制に通っていたので、昼間はアルバイトをしていました。しかし、そんなジェットコースターのような家庭環境で、まともに仕事ができるはずなく、ミスが多く、毎日のように怒られてばかりでした。

私自身も、10代の頃から日常的にリストカットするようになっていました。妹のように深く切ったりできなかったので、すり傷のような感じでした。

私が初めて心療内科に行ったのは、20歳の頃です。

リストカットもやめられず、ボロボロになっていた私を心配してくれた高校時代の先輩が、心療内科の案内を持ってきてくれ、連れて行ってくれました。病院では、詳しい病名はつけられず、複雑な家庭環境が原因だと言ってもらいました。

最初に書いたように、通院していても病名がなかったので、妹の入院がなければ、「アダルトチルドレン」という言葉も知ることもありませんでした。

しかしアダルトチルドレンの特徴を調べるうちに、当てはまる項目が多くて驚きました。

アダルトチルドレンの特徴

ACOAの特徴(ジャネット・ウオイテッツ)

自分の考えや行動が「これでいい」との確信が持てない

物事を最初から最後までやり遂げることが困難

本当のことをいったほうが楽なときでも嘘をつく

自分に情け容赦なく批判を下す

楽しむことがなかなかできない

まじめすぎる

親密な関係を持つことが大変難しい

自分には、コントロールできないと思われる変化に過剰反応する

常に、他人からの肯定や受け入れを求めている

自分は、人とは違うといつも感じている

常に責任をとりすぎるか、責任をとらなさすぎるかである

過剰に忠実である

衝動的である

他の行動が可能であると考えずに1つのことに自らを閉じ込める

参考:アダルト・チルドレンと家族―心のなかの子どもを癒す

やはり妹の主治医に言われたように、私もアダルトチルドレンになるのでしょうか?

悩みました。自分自身に病名をつけられるのが怖かったのです。

穏やかになった日常で思うこと

妹の主治医と話をして何年かたった頃、両親が相次いで亡くなり、妹も依存症で何度かの入院を繰り返し、施設に入所しました。

ジェットコースターのようだった生活も、速度を落とし、ゆっくりと自分のことを考えることができるようになったのです。

今思うことは、「私はアダルトチルドレンなんだ。」ということです。

当時の私は、怒涛のような日々の中では、ACであることを認めたら、自分を保ってられなくなりそうだったのです。

辛いことに蓋をして、辛くないと言い聞かせていました。

しかし、ふとそんな日々を振り返り、素直にACであることを認めてみたら、「あの時は辛かったねえ。」と自分で思えるようになりました。

はじめて自分を大切に思えたような気がします。

アダルトチルドレンだから、うつだから。と考えると、当時の辛かった記憶が思い出され、塞ぎ込んでしまいそうになります。

そんなときは、深く考えることをやめて、「辛かった!悲しかった!腹たった!」とシンプルに感じることにしています。

こんなに辛かったんだ。と認めることができると、少しだけでも私は救われた気がします。

シンプルに考えることで、今まで大切にできていなかった自分を、少しでも大切にすることができるようになりました。

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ABOUTこの記事をかいた人

TANOSHIKAライター。うつ病、AC(アダルトチルドレン)、機能不全家族育ち。現代詩を勉強中です。セクシャルマイノリティ当事者。読みやすい、わかりやすいをモットーに様々な記事を書いていきます。