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いつもAKARIの記事をご覧頂き、ありがとうございます。
TANOSHIKAでは、6月から「社外の人のインタビューを活発にしよう」と企画が立ち上がって、私は1つの交流会に参加し、声をかけました。
それが、この記事の、『エニワンプロジェクト』様でした。
今回は、代表理事の狐崎さん(※ここではこんちゃん)、理事の田積さんにインタビューを行いました。
インタビューの参加メンバーは、
翼祈、ゆた、salad、mako、島川です。
この記事が、交流会を積極的に行なっている、『エニワンプロジェクト』様の想いが届く様に、【前編】、【後編】に渡り、お届けします。最後まで、一読して下されば、と思います。
~お二人の経歴はこちらからご覧になれます~
https://eniwanproject.org/member/
『エニワンプロジェクト』について

翼祈:こんちゃん達が、『エニワンプロジェクト』を立ち上げるまでには、どんな経緯がありましたか?
こんちゃん:私は2014年に「多発性硬化症」という難病を診断され、翌年に、多発性硬化症と視神経脊髄炎の患者さんとご家族のみが入れる患者会『M-N Smile』を立ち上げました。今日現在、全国に666名のメンバーがいて、様々な交流をしています。
そして、今から3年前に病気がある人もない人も参加できる『エニワンヨガ』を立ち上げました。
患者会「M-N Smile」は多発性硬化症と視神経脊髄炎、MOGAD抗体関連疾患の患者さんとご家族だけが入れますが、エニワンヨガは、ヨガが出来る方、ヨガに興味がある方なら誰でも参加出来ます。
エニワンプロジェクトについては、立ち上げる一年以上前から、「患者会やエニワンヨガの皆さん以外にも困っている人がたくさんいる。そういう人たちのために何かできることはないかな」、という想いがありました。
私はこの10年間当事者として様々な活動する中で、「病気があるなし関係ないよな」と思うようになり、「病気の有無に関わらず、当たり前に生きられる世の中にしたい」という想いでこのプロジェクトを立ち上げました。
最初は、団体でやるのか、それとも個人事業主でやるのかを考えずに始めたんですが、周囲に「こういうことをやりたいんだ」って話していくうちに、アドバイスをもらって、一般社団法人という形を取ることに決めました。
私が「エニワンプロジェクトをやります」って発信した時に、それに共感してくれた田積が、「活動を宣伝させてください」って突然メッセージをくれて、もうその時には宣伝のたたき台を作ってくれていました。
「ここまで作ったので、間違いないか見てもらってもいいですか?」と
下手に発信してはいけないからと、ちゃんと私の許可を取ってくれました。
もうこちらとしては「ありがとうございます」ってお願いして、1回オンラインで話しましょうってなったんです。
話した時に、すごく想いが一緒で、共感してもらえるところがたくさんあって。
私が彼女の能力は素晴らしいなと思ったので、「一緒にやりませんか?」って声をかけたら、「やります」って言ってくれたので、まず2人で始めました。
もう一人の理事は、昔から同じ病気の知り合いで、私のやりたいことに関して、アドバイスをくれたりしていたので、彼女にも声をかけて、3人で始めることになりました。
翼祈:『エニワンプロジェクト』の運営メンバーは、多発性硬化症の方が、多いのでしょうか?
こんちゃん:今、理事は3人とも多発性硬化症の患者ですが、それはたまたまで、多発性硬化症だから選んだわけではないんです。なので、今後一緒にやりたいっていう方がもし出てきたら、もちろん検討します。
むしろ、いろんな病気の方がいた方がいいのかなって思っています。別の難病の患者さんとか、ご家族・支援者の方など。これまでのプロジェクトにはいろんな方が参加してくれているので。
理事は3人とも多発性硬化症ですが、お母さんが病気の学生さんもいれば、学校の先生とか、いろんな方が今つながっています。
こういう方たちが今後、仲間になるっていう可能性も十分あると思っています。
翼祈:『エニワンプロジェクト』が掲げる、「OTAGAISAMA(お互いさま)」の精神と「ON-OKURI(恩送り)」の心など基本的理念について、教えて頂きたいです。
こんちゃん:なぜ「お互いさま」という言葉を掲げたかというと、まず私が患者当事者として、最初に患者会を立ち上げて、今年で10年になるんですが、その中で何百件もの相談を当事者の方やご家族から受けてきました。
私自身は、最初から自分の病気を公表しています。
多分、隠すのが苦手なので、隠していてもいつかバレちゃうだろうなと思って。だから、あえて最初から職場でも友達にも「病気なんだ」っていうのを明るく伝えていました。
重く話すと相手も深刻になってしまうので、「こういう症状もあるけど、これはできるよ」とか、職場では「多発性硬化症の症状の1つに高次脳機能障害があり、自分では気付けないこともあるので、もし物忘れが多いなどあった時には遠慮なく教えてください」と事前に伝えておくことをしていました。
明るく伝えることで、自分の話を打ち明けてくれる方も多くいます。
「実はね、私の家族も病気を抱えてるんだよ」とか、「私も実はこういう難病を持っててね」って打ち明けてくれる人がいたり、大切な方を事故や災害でなくされた方、お子さんを病気で亡くされた方、親の借金を何億も背負わされて、一人で返された方など、本当にいろんな方に出会いました。
その中で、「病気がある人だけが大変なんじゃない」ということをすごく実感したんです。
もちろん、病気の人が普段健康な人よりも助けが必要な場面が多いのは確かです。
でも、この人が「助けられてばかり」かというと、決してそうでもなくて。
その人がちょっとでも元気のある時に、本当に小さなことでもいいので、例えば話を聞いたり、SNSの投稿にコメントしたりするだけでも、相手の役に立つこともあるし、相手が喜ぶこともある。とにかく「お互いさま」だなって、そこで思いました。
自分が弱っている時には、手を差し伸べてくれる人の手を「ありがとう」って言って借りればいい。逆に、自分に少しでも余裕があって周りで困ってる人がいたら、手を差し伸べる。それが「お互いさま」だと思っています。
どちらかが助ける側で、どちらかが助けられる側であるべき、ということではなくて、お互いが助け合う関係なんですよね。そういった思いで「お互いさま」を掲げました。
そして「恩送り」については、私が摂食障害で入院していた時に、本当につらい中でいろんな人が温かい言葉をかけてくれたんです。それがすごく励みになって、「私はいつかこの人たちに、元気になって恩返しするんだ!」って強く思っていました。
「元気になったら恩返しします!」って言っていたら、ある女性が「私に恩返ししなきゃって思わなくていいよ。また元気になった時に、周りで困っている人を助けてあげればいいのよ」って教えてくれたんですね。
なぜかというと、恩返ししようと思った時に、その人がその場にいるかどうかわからないじゃないですか。人間って何があるかわからないから、その方が生きているかもわからないし、遠くに引っ越してしまってもういないかもしれないし、人間関係でいろいろあって疎遠になってしまうかもしれない。そしたらそこで恩返しができないから終わり、じゃなくて。
もし困ってる人がいたら、まず手を差し伸べる。
そしてその人がまた元気になった時に、私に返すのではなくて、また周りで困ってる人を助けていく。それがつながっていくのが「恩送り」なんだ、と。
これがすごく素敵だなと思って、この二つの言葉を掲げようって決めました。
ご自身の症状について
翼祈:多発性硬化症の症状は人それぞれだと聞いています。こんちゃんと、田積さんには、それぞれどんな症状がありますか?
こんちゃん:今、私、下半身が足の裏から太ももまで、24時間365日ずっと痺れっぱなしなんです。正座した時に痺れるじゃないですか?それが常に続いている状態で、これはもう発症前からなので、13年くらいになりますかね。一瞬たりとも消えることはないんです。
今も全然痺れていますけど、これが私の当たり前なので、もう慣れましたね。
再発と寛解を繰り返す病気なので、ある日突然、握力がなくなって、包丁も持てなくなったり、ペットボトルも開けられなくなったりした時もありました。
あと、股関節に再発が出た時は、家の中でも杖がないと歩けなくなってしまって、4年くらい杖をついて生活していました。
他にも、再発すると目が急に見えにくくなって涙が止まらなくなったりとか、顔に痺れが出たり、お尻が痺れたりしたこともありますが、ステロイドパルスっていう点滴を受けると、元に戻る。というのを繰り返している感じです。
ただ、握力と股関節の症状は、回復するまですごく時間がかかって。
血漿交換治療なども受けたんですけど、股関節に関しては、治らなかったんです。
それでヨガを始めて、2年か3年くらいやった時に、ようやく良くなりました。
田積さん:私は12年前、23歳の時に多発性硬化症を発症しました。その時は、左足の感覚が鈍いっていうのと、ちょっと力が入らないっていう症状がありました。幸い、早めに診断が下りたので、ステロイドパルスという治療で、大きな後遺症もなく生活できています。
その後、今までで2回再発を経験しました。
その時は、他の場所に感覚の障害が出たり、脳に炎症ができた時は頭痛がひどくて、集中力が続かないといった症状もありました。でも、これも早めに「再発してますね」って診断してもらえたので、すぐに治療を受けて、こちらも特に何も残らずに回復しました。
今から2年半くらい前に、多発性硬化症の再発予防薬を変更したんです。その薬がどうも体に合わなくて、再発はしないまでも、すごく疲れやすさやだるさが出やすくなってしまって。
その頃、ちょうど子どもが2歳か3歳くらいで、もう一番大変な時期だったんですよね。
まだ幼稚園にも行ってなかったので、一日中子どもと向き合いながら、その疲れやだるさが本当につらくて。
再発はしてないので、しばらくその薬を続けてたんですけど、さすがに生活がしんどすぎて、精神的にも参ってしまって、治療薬を前のものに戻しました。
今年に入ってから薬を変えたので、少しずつ体調が安定してきたなと感じています。
今、子どもは5歳になりましたけど、なかなか体がついていかないなって思いながら、なんとか子育てに奮闘している状況です。
ゆた:YouTubeのほうでは難病より、摂食障害のほうが辛かった、とお話していましたが、どのようなことが辛かったのでしょうか?
こんちゃん:摂食障害だった頃、最初はそういう病気があることすら知らなかったんです。ただひたすら食べ吐きを繰り返したり、あとは拒食の時は本当に何も食べない時期もあったりしました。
「こんなことするのは世界中で私一人だけだ」って思っていました。
「食べ物を吐いちゃうなんて、私はなんて悪い子なんだろう」「これは自分の弱さだ、だらしない人間だからこんなことするんだ」って、ずっと自分を責め続けていて、恥ずかしいことだと思っていたから、誰にも言えなかったんですよね。
本当に昔のことなので、今みたいにネットもなくて情報も入ってこなかったし、ずっと一人で抱えていました。ある時、たまたまネットで調べてたら「摂食障害」って出てきて、それが精神的な病気で原因が家庭環境とか、会社のストレスとか、そういうところにある人もいることを知ったんです。
それでもまだ、やっぱり自分が悪いって思ってました。
だから親にも隠してたし、本当に仲の良い友達にも誰にも言わずに。
外ではいつもの元気で明るい自分でいて、家に帰ってきて一人になるとそういうことを繰り返して。「私はなんてダメなんだ」って毎晩泣いていましたね。
人には見えないつらさというか…。
摂食障害だとわかってからも、入院して治療を受けることになっても、私は病名を隠していました。やっぱり恥ずかしい病気だと思っていたから。「入院して治療を一度受けます」とは言ってたけど、病名はずっと伏せてました。
ただ、難病に関しては「自分が悪いわけじゃない」っていう思いがあったんです。
悪いことして難病になったわけじゃないっていうのがあったから、オープンにできました。
この違いだと思います。
翼祈:多発性硬化症と向き合って生きていく上で苦労した点や、こういう配慮があれば生活しやすいのにと、思ったことは何かありますか?
こんちゃん:正社員で医療事務の仕事をしていた時は、入院休暇とかがあればいいなって、あとはやっぱり金銭面で困りましたね。
1ヶ月の入院を何回も経験していたので、有給がなくなっちゃって、使えなくなったり。
傷病手当も当時は、使わなくても、使い始めてから1年半経ったらもうそれ以降使えなくなる仕組でした。(現在は累計1年6ヶ月になっています)
難病は一生付き合っていかなきゃいけないのに、同じ病名だと1回しか使えなくて、給与保証がないというのが大きな問題でした。
会社は「休んでいいよ」と言ってくれるし、「また戻ってきてね」とみんなも言ってくれるんですけど、給与保証がないから、もう辞めて失業保険をもらうしかないという時もありました。
もし手当があれば、私は本当に自分がやりたい仕事ができていたし、そこで一生働くと思っていたから、会社に残っていただろうなって思ったりします。でも、それがあったからこそ今のエニワンプロジェクトがあるので、それは別に後悔はありません。
そういうケースを抱えている方は他にもたくさんいらっしゃいます。
医療費の助成があるから、限度額があって、「それでいい」って思われがちですが、決してそうではありません。
病院に行くのも仕事を休まなきゃいけないし、入院でも休まないといけない。
その間、子どもをどこかに預けなきゃいけないとか、お金がたくさんかかるんですよね。
給料は入ってこないのに出ていくお金が増える。
医療費がかかるだけじゃ済まない、生活費がないというところが一番苦労しました。
salad:私の母も多発性硬化症でした。難病という診断を受けて、どのように思われましたか?
こんちゃん:整形外科に行っても、整骨院に行っても「何でもない」って言われて、ビタミン剤を出されて終わりでした。
「どこも悪くないのに、なんで痺れてるんだろう?」っていう疑問がありました。
数年かけてふくらはぎ、太ももと、どんどん広がり、下半身全部が痺れるようになりました。
「どこも悪くないのに、痺れがどんどん広がっているのはなんでだろう?」という気持ちがどんどん募っていきました。
だから、病名がわかった時は正直ホッとしました。それが難病であったとしても、「私は多発性硬化症っていう病気のせいで痺れがあるんだ」って分かったからです。
当時の先生は、その場で「難病です」とは言わなかったんです。
「点滴治療をするので、1ヶ月入院が必要になります」って言われて、病院を出てすぐに携帯で調べて、多発性硬化症が難病であることを知りましたが、私は「治療ができるんだ。治るんだ」って思えたので、ショックを受けることはその時はなかったです。
salad:私の母もやっぱり足のしびれの初期症状だったのですが。やはり足のしびれという症状が多いのでしょうか?
こんちゃん:そういうことはなく、人それぞれです。目に症状がでる方もいるし、全身が痛いって方もいます。歩きづらいとか。ただ、しびれがある人が多いかなと思っています。
田積さん:私の方はしびれよりは感覚が鈍い感じと、力の入りにくさがあって、脳に炎症ができると、私なんかは頭痛もありましたし、さっき言っていた集中力が続かないとか、言語障害が出る方もいますし、もう本当に人それぞれなので決まりがないというか。
翼祈:先日の交流会で、こんちゃんが「自分も難病になる前は、障がいのある人の気持ちが分からなかった。なって、その人に寄り添う気持ちが生まれた」と言われていましたが、そう思える様になるまで、どのくらい時間がかかりましたか?
こんちゃん:いつからかははっきりしないのですが、最初に摂食障害で入院していたとき、いろんな病気を抱えている方がいらっしゃって、例えば躁うつ病の方とか、本当にさまざまでした。
そのとき約3ヶ月間、一緒に食事をしたりプログラムを受けたり、長い時間を共に過ごす中で、今でも仲の良い友人ができました。
その子は躁うつ病で、調子がいい時もあれば、落ち込んでしまう時もあるんです。
調子がいい時は、元気に話せますが、うつの時期に入ると、声も小さくなってゆっくり話すようになる。
そういうときは、彼女に合わせて、私もゆっくり静かに話すようにしていました。
私が大きな声で話すと、彼女は話せなくなってしまうだろうなと感じたからです。
そうしたことを通して、相手に合わせることの大切さを学びました。
その後、多発性硬化症の車椅子の友人ができたんですが、「大丈夫?」って聞かれると、みんなつい「大丈夫」って答えてしまう。
それよりも「ボタン押しましょうか?」とか「荷物持ちましょうか?」「ドア押さえておきますよ」といった具体的な提案をされた方が、受け入れやすいし、頼みやすい。
そういうことも教えてもらいました。
それ以来、漠然と「大丈夫ですか?」と聞くのではなく、具体的な言葉がけをするよう、意識するようになりました。さらに、難病を経験してから「ユニバーサルマナー検定」の2級と3級を受けて、視覚障害の方の生活についてや、様々な障がいがある方が具体的にどんな生活をされて、どんなことに困るかを学びました。
例えば、白杖を使っている方に声をかけるときは、突然肩を叩いたりすると驚かせてしまうので、必ず前からゆっくり声をかけるとか。
道案内をする際も、こちらが手を引っ張るのではなく、相手に肩や腕を軽くつかんでもらうようにする。こうすることで、相手が自由に動けるし、話したいときに話せるんです。
こちらが強く握ってしまうと、避けたくても避けられなくなってしまうので、そういう配慮が大事だと学びました。
ピアカウンセラーの資格を取る中で、話の聞き方も学びました。
特に、自分の考えを押し付けないこと。
「私が正解」と思うことを伝えてしまうのではなく、人それぞれ正解は違うし、相手にとって本当にいいことは、本人が導き出すものだと学びました。
だからこそ、相手が何に困っているのかをしっかり聞き出すことが大切で、それを患者会やエニワンプロジェクトの交流会でも活かしています。
翼祈:自分の障害を認めたくない、そんな人もいますし、私もかつてそうでした。そういう人が自分の障害を受け止めるには、どんなことをしたら、受け入れることができると考えていますか?
こんちゃん:よく『受け入れる・受け入れない』っていう話がありますけど、私は受け入れる必要はないと思うんです。『受け入れなきゃ』って思った瞬間に、病気を敵として構えてしまう気がして。
病気って、私の中にあるものであって、戦うべきものじゃないんですよね。
インタビュー記事とかを見ると、『乗り越えた』『闘っている』みたいな表現がよく使われるんですけど、私は別に闘ってないし、乗り越えているとも思ってないんです。
『闘病』って言葉もありますけど、そういう表現があると『頑張らなきゃ』『闘わなきゃ』『乗り越えなきゃ』って思ってしまう。
でも、そもそも病気を『乗り越える』必要ってあるのかなって。
『病気がある』ただそれだけ。病気とどう付き合って、どうやったら自分がよりよく生きられるか。それを考えていくのが大事なのかなって思っています。
交流会について

salad:普段はどのように交流会をおこなっているのですか?
こんちゃん:毎月、3種類の交流会を順番に開催しています。
『患者さん同士の交流会』
『ご家族や支援者の方だけの交流会』
『患者さんとご家族、支援者の方たちが一緒に話せる交流会』
この3つをローテーションでやっています。
すべてオンラインで開催していて、もちろん対面での交流もいいんですけど、オンラインなら、移動する時間や体力が必要ないから、体調がすぐれないときでも気軽に参加できるのが大きなメリットですね。ベッドの上で横になりながらでもご参加いただけます。
また、プライバシーにも配慮しています。
ニックネームで参加できますし、カメラをオフにしての参加もOKです。
チャットでの参加もできるので、入院中でも、どこからでも気軽に参加してもらえます。
話さずに聞くだけの参加も歓迎で、「自分のことは話したくないけど、人の話は聞いてみたい」という方にも来てもらえたら嬉しいですね。
毎回テーマを決めて話すようにしていて、何を話せばいいか悩む方もいるので、1つのテーマに沿って進めていく形をとっています。
そして、話したことに対して、お時間の許す限り「どう感じましたか?」っていうのをみんなで共有していきます。そこでアドバイスをもらったり、新しい気づきを得てもらったり…。交流会が終わった後に『私もがんばろう』とか『話せてすっきりした』『一人じゃないんだ』って思ってもらえたらいいなっていう気持ちで運営しています。
基本的にはオンライン開催ですが、今年の3月にはリアルイベントも実施しました。
その後、参加者同士で懇親会もやって、そういう対面の機会も大事だなと改めて感じましたね。今後も不定期ですが、リアルでの交流会も続けていきたいと思っています。
翼祈:交流会を開いたりなど、障害をオープンにするからこそできる、交流会の良さはどういうところがありますか?
田積さん:私自身の話になりますが、こうやって話すことで、自分の気持ちが少し楽になるなって感じることがあります。やっぱり、健常者の方や、昔からの友達に病気のことを話そうとしても、『気を遣わせたくないな』とか、『逆に嫌な気持ちにさせてしまうかも』って考えてしまって、本音を話せなかったりするんですよね。
でも、病気や障害があっても、それぞれ違うけれど、同じような経験をしている仲間だからこそ話せることがあるし、患者のご家族同士でもそういう部分はあると思います。
家族のことを悪く言いたくないっていう方も多いけれど、やっぱり抱えているものはあって…。そんな中で、ご家族同士だからこそ『こんなことがあったんだよ』って話せたり、それに対して誰も否定せず受け止めてくれる、そういう場があることが、本当に素敵だなって感じています。
こんちゃん:私からも補足で、まず最初の三つの交流会で、患者だけの会、家族だけの会、両者が交わる会があるんですけど、両者が交わる会っていうのは、患者と家族が一緒に参加してくださいというものではなくて、むしろ『一緒に参加していはいけません。』と言っています。
なぜかというと、血が繋がっていたり、家族だと、感情的になってしまったりとか、逆に気を遣って聞きにくいことがあるだろうから。どこまで正直に言ったらいいのかなとか、どこまで助けたらいいのかな?ということを、違う患者さんや家族に聞いてみる。
「ここまで言ったら、つらい?」とか、「こういうこと先生に私が聞いたら嫌だ?」とか、本人には聞きづらいことを他の患者さんに聞いてみることで、自分の家族に持ち帰って、こういうやり方が良かったんだとか、何かヒントにしてもらえるといいなと思って、交流会をしています。
病気がある方で「なんで自分だけがこんな病気に」となってしまう方が多いんですけど、疾患を超えて繋がることで、「辛いのは自分だけじゃなかったんだ」「世の中にこれだけたくさん病気があって、いろんな困りごとがあるんだ」と、視野が広がる。
頑張っている人の話を聞くことで、「私も頑張らなきゃ」って思えたりすることがエニワンプロジェクトの良さだなと思います。
翼祈:交流会を主催する上で、参加者が多ければ、運営スタッフは賛同するだけで、参加者の声を聞くために、参加はしないという、参加者の話に耳を傾けている姿が印象的でした。交流会を行う上で、注意していることや、意識して行っていることはありますか?
こんちゃん:まず重いテーマを先にして、明るい話題でおわらせるよう心がけています。
全員が話せるように、そして否定はしない。偏っていそうな話の時には、さりげなく軌道修正する。話したくなさそうな時にはムリに聞かない。
話したいけど言葉が上手く出ない時にはゆっくりフォローする。ということを意識しています。
翼祈:「ありがとうの会」など、障害当事者やその家族の交流の場を積極的に設けられている印象がありますが、終了後のアンケート実施などで、印象に残っている、参加した方の言葉はありますか?

田積さん:『ありがとうを伝える会』には、患者さん本人だけでなく、ご家族や友人、さらには製薬会社や支援団体の方など、幅広い方々がリアルとオンラインの両方で参加してくださいました。
当事者の方が登壇された方の言葉に共感したり、『自分も改めて感謝を伝えたいな』って考えるきっかけになったという声をたくさんいただいて、それがとても嬉しかったですね。
支援団体の方から『障害があるかないかは関係ない』という声を聞けたのも印象的でした。
病気や障害があるからといって“かわいそう”な存在ではないし、病気や障害があっても笑顔で生きられる。誰もが対等なんだということを、改めて認識してもらえたのが、本当に嬉しかったです。これはまさに、エニワンプロジェクトが目指している偏見のない社会への一歩になったなと実感しました。
また、交流会では、ご家族が集まる場があって、そこでの声もとても印象的でした。
『話せて気持ちがすっきりした』『同じように悩んでいる方がいることで、一人じゃないと思えた』といった声を聞いて、ご家族同士だからこそ共有できる悩みがあるんだなと感じました。
でも、そういう相談の場が少ないからこそ、抱え込んでしまっている方も多いんですよね。
だからこそ、こういう場があってよかったんだなと改めて思いました。
こんちゃん:『ありがとうを伝える会』は、本当に温かい会だったって言ってもらえたのがすごく嬉しかったですね。オンラインでも『温かさが伝わった』『いろんな方の思いが感じられて、心が温かくなった』という声が多くて、それが何より嬉しかったです。
また、『ありがとうを伝えるきっかけをもらえた』とか、『家族に改めてありがとうを伝えられた』という声も多くて、それは当事者、ご家族、支援者関係なく、みんなが周りに感謝の気持ちを伝えられた証なんじゃないかなと思います。
他の患者団体の方も『このテーマがすごくよかった』って言ってくださって、中には『そのまま真似するのは申し訳ないけれど、「感謝を伝える会」にしてイベントをやりたい』と言ってくれた方もいて、本当に嬉しかったですね。こういうテーマが広がっていくことで、『病気があるなしは関係ないんだ』っていうことを改めて考えるきっかけになっていくんだなと感じました。
『ありがとう』の言葉の大切さを、みんながしっかり受け止めてくれたことが、本当に嬉しかったです。
翼祈:『エニワンプロジェクト』があったからこそ、生まれた出来事や、交流などはありますか?交流会に参加した後でも、その参加者の方同士で交流しても良いのでしょうか?
こんちゃん:エニワンプロジェクトを始めてから、本当にたくさんの交流が生まれました。
参加者同士のつながりだけじゃなく、代表理事をしていると、『こんな活動があるよ』って声をかけてもらうことも増えて、できるだけリアルな場に参加するようにしています。
懇親会があると、いろんな団体の方や、団体の代表の方、医療をサポートする製薬会社の方ともつながることができて、そこから応援してくれる人が増えたり、『一緒に何かやりましょう!』と動いてくれる方もいたりして…。すごく世界が広がったなと感じています。
交流会で参加者同士がつながるのは、もちろん大歓迎です!
ただ、エニワンプロジェクトが関与していない場でのやりとりについては責任を持てないので、そこは自己責任でお願いできればと思います。でも、どんどんつながりを増やして、それぞれが広がっていってくれたら、本当に嬉しいですね。
mako:交流会は『患者同士の交流会』『家族(友人・支援者)同士の交流会』『両者が交わる交流会』と3つの交流会があるようですが、実際にどんな年齢層の方がいらして、どのような病気や障がいの悩みをお持ちの方がいらっしゃるのでしょうか?
こんちゃん:エニワンプロジェクトの活動には本当にいろんな方が参加されています。
身体的な疾患だけではなく、例えばご主人がうつの症状や適応障害を抱えている方、娘さんが発達障害を持っている方など、精神的な障害のある方もいらっしゃって、本当に幅広いですね。
年齢層も20代から60代くらいまでとさまざまですが、年齢まで詳しく調査はしていません。ただ、『ありがとうを伝える会』のイベントでは、田積の子供が5歳だったので、参加者の年齢層は5歳から80代までと本当に幅広かったんです。
病名も年齢もバラバラですが、それでも共通点がひとつあれば、その場が心のよりどころになれるのかなと思っています。

〈交流会参加疾患リスト〉 ※ご参考にしてください。
NMO・強皮症・皮膚筋炎・MS・全身性強皮症・皮膚筋炎・間質性肺炎 急性脳症、ウエスト症候群、ダウン症(モザイク型)、てんかん等、様々な疾患を抱えている もやもや病・全身性エリテマトーデス・浸潤性小葉癌・サルコイドーシス疑い・化学物質過敏症 左耳感音性難聴と特定不能の発達障害(ASD,ADHD,LD全ての要素あり)、糖尿病、甲状腺機能低下症、不眠症、高眼圧症、脂漏性皮膚炎、右手人差し指に汗疱、軽く両膝の軟骨すり減り、軽度に近いすべり症、坐骨神経痛
夫がてんかん・夫、妻、子どもがMS・夫がALS・子ども自己免疫疾患
子どもが視神経脊髄炎関連疾患(最初はNMOだったが、mog抗体に近いものだと言われている)
夫が適応能力・不安神経症によりうつ症状、娘が発達障害
→後編へつづく!
【インタビュー後編はこちら】
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