羽毛布団を災害時に、寝袋にリユース。三重県の老舗寝具店『眠り屋ヒラマツ』の活動。

羽毛布団で寝ているうさぎとくま

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こんにちは、翼祈(たすき)です。

能登半島地震発生から、7ヵ月が経ちました。

2024年6月は、能登半島にとって、また一歩前進したことがありました。

能登半島地震で海底が隆起するなどが起きた石川県輪島市にある輪島港は、船を出すことができず、海女による素もぐり漁もできない状態となって、漁の再開に向けて海底を掘り下げるしゅんせつ工事が実施されていました。

そして工事が進んだことを受けて輪島の海女が所属する組合は、2024年7月、素もぐり漁を解禁することに決定し、波が落ち着いた2024年7月12日に再開を果たしました。

午前5時すぎから海女130人が港に集合し、漁船に乗り込んで沿岸部の漁場に向けて出発しました。

そして港に戻るともずくが入ったカゴを次々と船から運び出し、漁協の職員たちが荷さばき場で重さを計測していました。

輪島の海女が所属する組合によりますと、地震の影響で冷蔵設備や水槽も被災したことなどを受けて、アワビやサザエではなく管理しやすい、もずくから漁を再開する運びとなりました。

当面は収穫量を一人15kgに制限した上で、海中の調査も行いながらアワビやサザエの漁の再開も検討していくといいます。

海底の隆起に関しては、地震が発生した時から気がかりなニュースでしたので、少しずつではありますが、漁が再開できたことを嬉しく感じます。

この記事の本題は、災害発生時に羽毛布団をリユースして、役に立てようとする、三重県のとある寝具店の取り組みとなります。

災害発生時に備えて、羽毛布団を寝袋にリユースしませんか―。三重県伊勢市宮町1にある老舗の寝具店『眠り屋ヒラマツ』が、使用しなくなった羽毛布団を災害発生時に使用できる寝袋にして備えることを提案しました。

眠り屋ヒラマツ』の店長の男性は、「羽毛は限られた資源で、手入れをすることで100年使用できます。押し入れの羽毛布団を寝袋にリユースすることで自然環境に優しく、押し入れも片付いて、災害発生時にも役に立てることができます」と発信しています。

今回は、寝具店の店長の男性が、羽毛布団のリユースを思い付いた理由について説明します。

『眠り屋ヒラマツ』の店長の男性が、羽毛布団のリユースを思い付いたきっかけ

『眠り屋ヒラマツ』の店長の男性は元日に発生した能登半島地震だけではなく、日本各地で災害が発生した時の避難所生活を報道で見る毎に、「避難所に届く寝具は良くて毛布ぐらい。少しでも快適に生活するにはどうしたらいいだろうか?」と思い続けていました。そんな中、取引先が寝袋の外側の生地を扱っていると知って、羽毛布団のリユースとして寝袋へと再生することを考えました。

リユースされた寝袋は、広げた大きさが横150cm、縦210cm。3辺に付いているファスナーを広げれば、簡単な掛け布団や膝掛けに、閉じれば寝袋などとして使えます。専用の収納袋に入れれば、持ち運びしやすい大きさになります。

使わなくなった羽毛布団を解体し、三重県明和町にある羽毛素材メーカー「河田フェザー」で羽毛を洗浄し、キレイになった羽毛を、『眠り屋ヒラマツ』の店長の男性が、羽毛充填(じゅうてん)機でナイロン製の寝袋の生地に入れ込んで仕立てます。シングルサイズの布団なら、2、3枚の寝袋に作り替えることが可能です。

参考:羽毛布団を防災寝袋に 伊勢の老舗布団店 伊勢新聞(2024年)

寝袋は1枚3万8280円で、2枚目からは2万7280円での販売となります(共に税込み)。

お問い合わせ先は『眠り屋ヒラマツ』(0596-23-3591)まで。営業時間は10:00~19:00、水曜日が定休日。(全国どこでも受け付けます。送料は別途)

私は以前、

2022年にnoteの方に、「兵庫県に住む、リサイクル業を営む親子が、廃棄される枕や布団などの寝具を、リサイクルする、SDGs的にも良い取り組みをしている」との記事を書きました。

今回の三重県の取り組みも少し似ていると思います。

ですが、少し違うのは、三重県のは同じリサイクルでも、災害発生時に役立てようとする取り組みです。

実際に能登半島の被災地では、あの頃は冬で避難所の床が冷たかったり、避難所で枕などが無いことで、眠れず、疲れが蓄積し、大きなストレスがかかっているという話を耳にしました。

そのことで、下に書きました記事の中で、寝具の協会や、ある都道府県が長い時間を要して、被災地に製作された新しい布団や、座布団などを届けてきました。

この三重県の取り組みも、そんな能登半島地震を受けて始まった取り組みです。

普段、「枕が変わると眠れない」とか、悩みがありますが、災害が起きた時は、日々生きるのに精一杯で、そんなことをなかなか言えません。

『眠り屋ヒラマツ』の取り組みは、そんな人たちに温かい布団を、と睡眠の質が解消されたり、寝具だけでも、心落ち着ける時間を持つことができるかもしれない。

非常に心強い社会福祉だなと、心に響きました。

2024年6月上旬までの能登半島のニュース

2024年6月2日、石川県穴水町にある穴水陸上競技場に建設された穴水町内最大の能登半島地震の仮設団地「由比ケ丘団地」に、被災した方たちとボランティアの交流拠点「ボラまち亭」がオープンしました。愛知県名古屋市にある災害救援認定NPO法人「レスキューストックヤード」が、被災した方たちの居場所として孤立防止に役立てたいとします。

「ボラまち亭」という名前は穴水町のシンボル「ボラ待ちやぐら」にもじって、ボランティアと町民が接点を持つ居場所という意味が託されています。

食料品・日用品などの支援物資を陳列して無料配布する「おすそわけコーナー」や無料喫茶を備えた昔ながらの「駄菓子屋コーナー」、色んなイベントに活用できる「交流スペース」を用意しました。交流スペースは各種イベント・講座や被災した方たちの困り事相談会に活用して頂くことが想定されています。

旧管理棟にはシャワー室もあるので、残りの部屋は浄化槽が修繕され次第、簡易ベッドを配置し、ボランティアが最大30人寝泊まりできる宿泊所とします。

 

富山県黒部市の宇奈月温泉にある「ホテル黒部」などで、元日の能登半島地震が発生してから、保湿効果のある成分が増加したなどといった温泉成分が変化していたことが判明しました。

異変に気付いたのは地震発生から2日後。お湯に浸かると、全身が包まれる様なとろみを感じ、その数日後には大浴場のタイルが急に茶色くなり始めました。

同じ頃、源泉を管理する黒部観光開発宇奈月管理事務所には各旅館から、「お湯に色が付き、様子が変だ」との問い合わせが相次いで報告されました。

宇奈月温泉の旅館は、黒部川上流の黒薙温泉からおよそ7kmの引湯管を繋ぎ、温泉を引いています。所長の男性Bさんによりますと、源泉は今まで通り無色透明で温度も量も同じ。配管の損傷も無かったとし、「どうして旅館では変色したのか不思議でした」と回顧しました。

そこで黒部観光開発宇奈月管理事務所は県衛生研究所に成分調査を依頼しました。旅館への湯の分配ポイントで2024年1月31日に取水し、解析した結果、温泉水1km当たりのマンガンイオン含有量が前回調査(2014年)の75倍の0.3mgになってました。茶色に変色したのは、消毒に使用する塩素とマンガンの化学反応が原因と想定されています。

調査では、保湿効果があるため化粧水などにも活かされている「メタケイ酸」の数値も、2014年の26.9mgから4倍超の120.1mgに上昇していたことが判明しました。

「ホテル黒部」の女将は、「地震が発生した後は宿泊のキャンセルが相次ぎましたが、明るい材料。お湯が止まることなく新たな宣伝材料が誕生し、少し気持ちが前向きになれました。PRして温泉街を盛り上げたいです」と意気込みました。

 

福島県いわき市にあるシルバーリハビリ体操指導士会の8人が2024年6月5日、6日、七尾、珠洲、志賀、能登の4市町を回り、体操で使用する座布団トータル500枚を贈呈しました。

座布団は、いわき市で寝具店を経営する男性Cさんと従業員たちが、能登半島地震が発生した後、5ヵ月を要して作りました。男性Cさんは東日本大震災が起きた時に、避難所で床の冷たさがツラかったと感じた経験があり、座布団での支援を思い立ちました。

男性Cさんから善意を受け取ったシルバーリハビリ体操指導士会は、6月5日に志賀町、6月6日に七尾市と珠洲市、能登町を巡回し、各地の体操指導士に座布団を届けました。

noteでも書いています。よければ読んでください。

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左耳感音性難聴と特定不能の発達障害(ASD,ADHD,LD全ての要素あり)、糖尿病、甲状腺機能低下症、不眠症、脂漏性皮膚炎、右手人差し指に汗疱、軽く両膝の軟骨すり減り、軽度に近いすべり症、坐骨神経痛などを患っているライターです。映画やドラマなどのエンタメごと、そこそこに詳しいです。ただ、あくまで“障害”や“生きづらさ”がテーマなど、会社の趣旨に合いそうな作品の内容しか記事として書いていません。私のnoteを観て頂ければ分かると思いますが、ハンドメイドにも興味あり、時々作りに行きます。2022年10月24日から、AKARIの公式Twitterの更新担当をしています。2023年10月10日から、AKARIの公式Instagram(インスタ)も担当。noteを今2023年10月は、集中的に頑張って書いています。昔から文章書く事好きです、宜しくお願い致します。