能登半島地震を受けて、行うことの重要性が増した避難訓練。子ども達が体験。 

災害 避難訓練

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こんにちは、翼祈(たすき)です。

令和6年能登半島地震から1ヵ月以上が経過しました。避難所に避難していた人も、自宅避難に切り替えたりとしていますが、余震がこれまでに1000回以上起きていることから、まだまだ予断の許さない状況だと思います。

元旦に起きた地震を受けて、これからより大事になって来るのが、避難訓練ではないかと思いました。ある程度経験がないと、どこに避難して良いか難しい、特に私みたいな車を運転できず、自分の足でしか避難できない人の避難の難しさを感じています。

今回は主に2023年のものとなりますが、子ども達の避難訓練の様子と、そこから学んだことをお伝えしたいと思います。

子ども達が学校で避難訓練in神奈川県

神奈川県大磯町は2022年9月2日、町内在住の子ども達がほとんど全員参加した「幼・保・小・中・高一斉避難訓練」を実施しました。2022年から大磯町内にある県立、私立の高校二校も加わり、高校生も含んだ体制に拡充していきました。避難訓練を実施する日が前後する学校もありますが、この時期に毎年避難訓練して改善点や課題を蓄積させ、防災意識を上げていきたい狙いです。

この避難訓練に参加したのは公立、私立の認定こども園や幼稚園、認可外を含んだ保育所、小中学校、高校の合計16園・学校です。午前11時に地震が発生して、津波から避難する想定で各園・学校でそれぞれ避難訓練を実施しました。避難場所はそれぞれ参加する園・学校現場で予め決めています。

この中で町立大磯小学校の1年生は①押さない②駆けない−などの注意点を学習し、避難訓練に臨みました。地震発生しましたの校内放送と同時に机の下で身体を丸め、揺れが収まると防災ずきんを被って廊下に整列し、全員揃っているかを確認しました。

児童たちは「持ってきた物より命が大事です。教室に忘れ物をしても取りに行かない」などと言いました。

参考:園児から高校生、一斉避難訓練 津波想定し大磯町で初 児童「持ち物より命が大事」 東京新聞(2022年)

子ども達の避難訓練in北海道

10万人以上が犠牲となった関東大震災が発生して100年となる2023年9月1日、北海道函館市にある認定こども園で大規模な地震が発生し、津波を想定した避難訓練が実施されました。

地震の発生を知らせる非常ベルが園内に鳴り響くと、園児たちは机の下に潜って身を守る体勢を取りました。それから、園内放送で津波の危険が迫っていることが呼びかけられ、園児たちは先生に抱っこされたり、誘導されて歩いたりなどしながら、認定こども園のすぐ近くにある、函館市の「指定緊急避難場所」の小学校の校舎3階まで避難しました。

4歳の女の子は「『おはしも。押さない、走らない、しゃべらない、戻らない』を合言葉に頑張って避難訓練をしました」と述べました。

函館大谷短期大学付属港認定こども園の園長の女性は「ベルの音に驚いて大泣きする園児もいましたが、不測の事態にも対応可能にするために避難訓練を積み重ねていきたいです」と語りました。

参考:関東大震災から100年 函館のこども園で津波想定の避難訓練 北海道 NEWS WEB(2023年)

子ども達の避難訓練in千葉県

「防災の日」である2023年9月1日、千葉県内各地で避難訓練が一斉に実施されました。袖ケ浦市では小中学生を対象に初となる登校時の避難訓練を行いました。東日本大震災で被災して福島から移住した女子中学生が、「子ども議会」で登下校時の地震に備えた避難訓練の重大性を主張したことが登校時の避難訓練の始まりでした。

午前7時半、防災行政無線のチャイムが千葉県内に鳴り響き、「登校中の児童・生徒の皆さんは訓練を始めて下さい」とアナウンスされました。蔵波小学校近くのイチョウ通りでは、通学途中の子ども達は一瞬、間をおいて頭をバッグなどで守りながら全員座り込みました。集団登校でなく、1人で登校していた子ども達も同じ様に座れました。

この避難訓練は、2023年7月に開催された「子ども議会」で昭和中学校代表で登壇した中学3年生の女性生徒の呼びかけが始まりでした。

女子生徒は市長など市政の関係者を前にして、こう続けました。「12年前に東日本大震災で被災し、避難訓練を積み重ねて福島から袖ケ浦市へ引っ越してきました。兄は大震災発生当時小学1年生で、1人で下校している時だったといいます。激しい揺れに恐怖を感じ、どうすることもできず、フラフラよろけて、ガードレールに頭をぶつけて泣いていたところを、偶然見つけてくれた方から助けて貰いました」。

私は登下校中の避難訓練の実施することを千葉県でも提案します。登下校中や外にいる時に地震が発生したら、多くの人が兄の様に何もできずにただ立ちすくんでしまうでしょう。場所や時間を限定せずに、一人ひとりが自分の身をしっかりと守るために避難訓練を重ねて、安全・安心な袖ケ浦市という場所をみんなの力を借りて創り上げていきたいです」と主張しました。袖ケ浦市は「中学生の提案ですが、大事な提案です」と登下校中の避難訓練の実施を決定しました。

参考:小中学生の登校時の避難訓練 福島で被災した女子中学生の提案で実現 朝日新聞デジタル(2023年)

この日、女子生徒も友達と歩いて通学途中でしたが、頭を守ってしゃがみました。

避難訓練を終えて、袖ケ浦市が自分の提案を実現に移してくれたことを喜びながらも、「袖ケ浦に住むと被災の経験が持たない人は防災リュックなどに備えをするといった、被災は他人事の様に感じている人が多いと思いました」と説明しました。

「一人ひとりが防災の知識、意識を避難訓練を通じて増やして頂けたら」と述べました。

子ども達の避難訓練in宮城県

宮城県多賀城市では災害時に自力での避難が困難な幼い子ども達を地域の人たちと連携して安全・安心に避難させる訓練が、2023年10月11日に実施されました。

この避難訓練は、多賀城市が子ども達を預かる幼児施設などを対象とし実施したもので、多賀城市内にある認定こども園の0歳から5歳までの子ども達や保育士、それに郵便局や町内会の関係者など合わせて約150人が避難訓練に参加しました。

避難訓練は、マグニチュード9.0クラスの地震が発生し、大津波警報が発表されたという想定で実施し、まず園長が遊んでいる子ども達に「地震です」と叫ぶと、全員が園庭の中心に集まってしゃがんで身を守っていました。

この後、地域の人たちが合流し、子ども達に車に気を付ける様に呼びかけたり、手を繋いだりしながら高台にある指定避難所の小学校まで誘導しました。

避難所まで到り着くと、子ども達が来るのを待っていた多賀城市役所の職員から備蓄倉庫に乾パンや水などの非常食が置いてあることを教わりました。

参考:震災12年7か月 多賀城で子どもを守る避難訓練 宮城 NEWS WEB(2023年)

能登半島地震が遺した爪痕

学校が再開された場所もありますが、再開できていない学校も多くあります。

学校びらきという、1時間だけ登校する形式を取っている学校もあります。

多くの学校がその後の学校生活に大きな影響を与えました。日本航空高等学校石川では、生徒は新年度から系列校の山梨県の学校で、学校生活を再開します。

それ以外にも学校そのものが使えないところでは、集団避難という、希望者を募って、希望者が県外の学校に移るというものです。

2024年1月12日までに、250人が集団避難に同意しました。

「その後の人生を災害で左右されて欲しくないから」と息子さんの集団避難を受け止めるご家族もいますが、「集団避難をして、もしそこで大きな災害が起きたら、娘は戻る家がなくなってしまう。それを考えると、集団避難はして欲しくない」と母は訴え、娘さんも「家の片付けもあるし、家族と離れたくない」と話し、集団避難を希望しないご家族もいました。

今回の災害では多くのものが変わってしまいました。街並みにしろ、置かれている環境にしろ、過去の災害、どれにも当てはまらない様な、色んなものが狂わされました。地震だけではなく、広範囲の津波観測、火事が起きて焼失したことも、大きな爪痕となりました。

元々子ども達の避難訓練の記事は2023年に書く予定でしたが、能登半島地震が起きて、改めて避難訓練の持つ意味や重要性に気付かされました。2024年は避難訓練の果たすべき役割が求められる年となるでしょうね。

noteでも書いています。よければ読んでください。

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左耳感音性難聴と特定不能の発達障害(ASD,ADHD,LD全ての要素あり)、糖尿病、甲状腺機能低下症、不眠症、脂漏性皮膚炎などを患っているライターです。映画やドラマなどのエンタメごと、そこそこに詳しいです。ただ、あくまで“障害”や“生きづらさ”がテーマなど、会社の趣旨に合いそうな作品の内容しか記事として書いていません。私のnoteを観て頂ければ分かると思いますが、ハンドメイドにも興味あり、時々作りに行きます。2022年10月24日から、AKARIの公式Twitterの更新担当をしています。2023年10月10日から、AKARIの公式Instagram(インスタ)も2交代制で担当。noteを今2023年10月は、集中的に頑張って書いています。昔から文章書く事好きです、宜しくお願い致します。