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こんにちは、ゆたです。
私は中学2年生から精神疾患を患っています。
今までの人生で、学校の友人、先生、家族、いろんな方達に支えられて生きて来れました。
沢山迷惑をかけたし、わがままにも付き合ってもらいました。
感謝してもしきれない、今になってそう思います。
そして、私には姉が1人います。
とても優しく元気一杯な姉ですが、私が入院していた当時、彼女はちょうど大事な受験を控えていました。
1秒でも時間が惜しいこの時期に、姉は入院している私のところに、何度も見舞いに来ていました。
優しい姉ですが、その時のストレスは尋常ではなかったようで、家に帰ると寝る間もないほど勉強をしていたり、周りがどんどん受験を終える中だったので、非常に荒れていた、と母は言っていました。
そんな姉ですが、障害を抱えている私を当事者とするのであれば、姉は「きょうだい児」になります。
これは仮に私が兄であったとしても、または姉妹であったとしても、同じように「きょうだい児」と総称します。
この記事を読んでいる方の中には、聞き馴染みのない言葉だ、と思った人も多くいると思います。
私も全く知りませんでした。
残念ながらこの言葉は、あまり多くの人には知られておらず、情報もかなり少ないです。
しかし、「きょうだい児」という大変な苦しみを経験した方々について、私は知ってもらいたい、そう強く思ったので、今回はリアルな声も含め、記事にしていこうと思います。
きょうだい児は愛が貰えない? 誰にも言えない悲しい気持ち。
きょうだい児は、障がい者の弟兄妹姉を持つ、弟兄妹姉のことです。
実はきょうだい児の多くは、子どもの頃、親からの愛情不足に悩みます。
もしかしたら、弟妹がいる人ならわかるかも知れませんが、下の子ができるとその子ばかり親が構い、自分を見てくれなくて寂しい思いをした、こういった経験をしたことがある方もいらっしゃると思います。
それに近しい寂しさ、つらさがあると私は思います。
ここではとある1人のきょうだい児の方について話そうと思います。
その方は現在、兵庫県精神障害者家族会連合会の理事を務め、就労継続支援A・B型事業所を経営する株式会社ジルベルトの代表取締役としても活躍しています。
名前は福田裕士さんです。(以下福田さん)
福田さんには4歳年上の重度知的障害の兄がいます。
福田さんは子ども時代を振り返りつつ、兄について、赤裸々に話しています。
「現在兄は、障害者雇用で清掃業をしています。子どもの頃は兄のことでそんなに悩んでいたわけではありません。兄のIQは低いですが、愛嬌のあるでかい6歳児のような感じなので、扱いやすいです」
幼少期は特にそこまで悩まなかったと言います。
兄の障害を理解し始めたのは小学1年生頃だったようです。
福田家の父は単身赴任中なので、家では兄と母と3人で暮らしでした。
そんな中、母は兄に対してかなり過保護だったと言います。障害のこともありますし、私の母親も私に対して過保護な部分があるので、その状況は容易に想像が付きます。
それに加え、母は福田さん本人に対しては厳しい態度だった、といいます。
その厳しさは、一般的な家庭でいう、いわゆる厳しい家庭とは少し異なっている様子です。
「習い事も全然させてもらえなかったです。中学生になっても、夏祭りは危ないからと行かせてもらえなかったんです。それと、子どもの時って塾に通って友だちと勉強したいと思うじゃないですか。でも、母は金をかけて高額教材を買ってきて、家で勉強しろと言うんです。きっと、常に目の届くところに置いておきたかったのでしょうね」
福田さんの母は福田さんを監視しておきたい、そう思っていたのかもしれません。
そんな状態だと、やはり心配し過ぎて過保護になっているように思います。
そのような環境下で、福田さんの兄に対する思いは変化していきます。
思春期になると兄といることが恥ずかしく感じ、外食するときは住んでいるエリアから離れた場所に行って欲しいと頼むようになっていたそうです。
兄の存在を隠したかった。徐々にそう思うようになっていきました。
「高校は、地域外の学校に進学しました。それまで、常に兄に紐づけられていたので、ノビノビとしていました。周りが僕個人のことを見てくれると感じましたね」
親元を離れるだけではなく、兄とも距離を置くことで見えてくるものがあったのだと思います。
そんな福田さんは大学卒業後、会社の社長になりたいと思い、様々な仕事の経験を積んできました。そして、現在の会社を立ち上げたと言います。
後々振り返ってみると、無意識のうちに親が亡くなった後のことを考えてしまい、兄と自分の2人が十分に生活できるだけの収入を得ようとしていたことに気づきました。それだけ兄の存在は福田さんにとって、当たり前だったけれど、重い存在だったということです。
このように、きょうだい児の多くの方が、私が頑張らないと、いっぱい稼がないと、そんな思いに駆り立てられます。
直接誰かに言われてなくても、このように思ってしまいますが、両親からプレッシャーをかけられることもあります。
統合失調症の兄を持つ20代の女性は、母親から「お兄ちゃんの今後をよろしく、と言われてしまった」と語っています。
特例ではない限りは、両親は先に亡くなる場合が多く、その後障がいを持った方をきょうだい児が世話しなくてはならないこともあります。
これが本当にしんどいところだと思います。
今後をよろしくと言われても、自分の人生があるのに!!
そう思うのは当たり前で、きょうだい児だからって、そこまでは面倒見切れないのではないか、私はそう思ってしまいます。
福田さんの取り組みについて。
現在の福田さんはその経験から様々な取り組みをしています。
福田さんが代表取締役を務めている株式会社ジルベルトは、「障害者を納税者に」というビジョンを掲げ、神戸を拠点に事業展開しています。
就労支援A・B型事務所としては珍しく、障害者スタッフも売上を稼ぎ、自分たちで会社を大きくしていく! という大きな目標があり、それを達成するため、日々業務に当たっているようです。
障害者だからといって、できない・やらない、ではなく、自分なりの稼ぎ方を模索、実行し、社会人としての働くとは何か、そういった部分をしっかりと経験できる事業所だと思います。
詳しくは、ホームページを掲載しておくので、興味のある方は是非、見てみてください。
そして、福田さんは兵庫県精神障害者家族会連合会(以下兵家連)にて、理事長をしております。
兵家連については、公式サイトがありますので、詳細はこちらからお願いします。
参照:ひょうかれん 公益社団法人兵庫県精神障害者家族会連合会
リアルなきょうだい児会
そして、兵家連の取り組みの一環として、福田さんは2ヶ月に一度、対面にてリアルなきょうだい児会を開いていました。
しかし、対面よりオンラインでのきょうだい児会の方がより本音の声が届くという特徴がありました。
(この先、かなり本音の部分が強く、言葉も強く、見る人によってはショッキングな内容になっています。しかし、私はあえて、濁さず、そのまま伝えようと思います。ご理解のある方は続きをお読み頂けるようお願いします)
オンラインでの一文に「親は子育てがどんなに大変か、そんなことを言うけれど、きょうだい児である私だって、産まれた時から自分の境遇を選べなかったじゃんって思うんです」とありました。
そして、「兄弟姉妹を殺してしまいたい」といった過激な発言もあったそうです。
家族を殺したい、たまにはそんなことも考えてしまうかも知れません。
しかし、それは喧嘩してしまったり、何か嫌なことがあった場合だと思います。
でも、きょうだい児は、毎日がしんどいのです。
勿論、精神に障がいのある方の家族といっても、知的障害者と精神障害者の家族では、その深刻度が異なるかとは思います。
しかし、福田さんのように知的障害のきょうだい児は、母親が面倒をみているせいか、緊急性が低いと判断され、グループホームなどの受け入れなども遅れるのだと言います。
その間にもきょうだい児の方々のストレスはどんどん溜まり、殺意まで湧いてしまう。
そして最悪、共倒れになってしまうこともあり得ます。
ただ、きょうだい児の方々はそんな状況でも「自分が折れたら終わりだ」と疲れた身体に鞭を打って、日々を過ごすのです。
福田さんの話やリアルな声を知り、きょうだい児のつらさは、もちろん当人にしかわからない部分はあるとは思います。
しかし、私は自分が障害者である立場のせいか、胸が締め付けられる思いでした。
身近に障がいを抱えた方がいない方でも、この記事を読むときょうだい児について興味を持たれた方もいるかも知れません。
その方は、是非、こちらの記事を合わせてお読みください。
参考:「兄が暴れて全裸で外に…」兄弟姉妹が重い障害を抱える“きょうだい児”の苦悩と葛藤
サポートは当事者だけでは間に合わない。
この記事を書いていく中で、私の担当医であるM先生の言葉を思い出しました。
「精神病の治療は君1人の問題じゃないんだよ、家族や周りも一緒になって治療するんだ」
どんな病気でも、その当事者さえどうにかすればいい、というわけではなく家族や周りにもサポートの手を向ける必要があるのではないか、私はそう思います。
勿論、病気によってしんどさに差はあるし、人によっては心に余裕を持ってサポートしている人もいるかも知れません。
しかし、そうじゃない方もたくさんいます。
国、医療、市町村、企業、色んな方向からサポートできるような体制を整えていく必要性があるように思います。
そして、そういった方々の声に耳を傾け続けている福田さんを月並みの表現ではありますが、かっこいいな、と私は思いました。
私は情報を発信することしかできませんし、今はサポートしてもらっていますが、いずれは誰かのサポートをできる存在になりたい、そう強く思いました。
以上、お相手はゆたでした。
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障がいのあるきょうだいのある人々の会が結成されたのは、1963年のことです。https://kyoudaikai.com/activity/
生活の糧を賄うこととともに、結婚問題も重大であり、ドラマとして押し出した作品では、2002年にNHK で放映された『抱きしめたい』が秀逸ですが、再生可能な映像がありません。https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=dakishimetai
映画『ワンダー』では、難病を抱える弟の面倒に両親がかかりきりなので寂しく思うとともに、遺伝を心配して恋人選びにも躊躇する姉の葛藤が描かれています。https://eiga.com/movie/88159/
ありがとうございます。今後の記事の参考にさせて頂きます!