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こんにちは、翼祈(たすき)です。
2023年2月6日に、トルコ南部のシリア国境近くで、マグニチュード7.8の地震が起きた、「トルコ・シリア大地震」。亡くなった人は5万7000人を超え、今もなお被災者は避難生活を虐げられ、この国ではもう生活できない、戻らないーと、覚悟を決めて、トルコから離れていった人も多かったといいます。
この地震で多くの人が亡くなったのは、耐震性が不十分な建物の倒壊し被害拡大したとの意見もあって、違法建築を行った建築業者の人が、300人超も政府に逮捕されました。
そんな多くの犠牲と避難民を生んだこの地震ですが、実は日本のメーカーが製造した、日本発のテント『インスタントハウス』が避難生活に役立っていることが分かりました。
一体どんなテントなのでしょうか?今回は被害に遭った建物を離れて、多くの避難民の住処を作った日本発の災害用テントについてご紹介します。
『インスタントハウス』とは?
インスタントハウスは、「インスタント」+「ハウス」の造語で、即席で創ることのできる家を意味します。施工方法は、外形の三次元形状に加工した膜素材を膨らまし、その内側から空気含有量の高い軽量な素材を定着させます。形状や大きさも必要に応じて自由に選べ、質量が小さいことから素人でも制作が簡便で、ひとつの建屋の工期は数時間と短く、断熱性や遮音性が高く、廉価性・簡便性・速度性・技術性・汎用性にも優れた構築物です。
画像・引用:株式会社LIFULL ArchiTechが開発・設計を行うインスタントハウスが日本インダストリアルデザイン協会主催の デザインミュージアムセレクションに選出されました LIFULL(2022年)
「トルコ・シリア大地震」での多くの避難民を救った、『インスタントハウス』
テントシートに空気を送り込み、その内側に断熱性のあるウレタンを吹き付けることで、4時間以内と短時間で完成する住宅があります。名古屋工業大大学院の北川啓介教授が発案し、東京都千代田区にあるLIFULL ArchiTechが開発した、直径およそ5m、高さおよそ4.3mの、『インスタントハウス』です。その活用法に大きな期待がかけられています。
コンテナタイプの仮設住宅より格段と迅速に設置ができます。発案した北川教授自身は、2011年の東日本大震災で味わった悔しくて涙を流した経験が、『インスタントハウス』の開発に繋がる原動力だったとします。
2023年2月に発生した大地震で、避難生活が続いているトルコ南部に位置するアンタキヤで『インスタントハウス』3棟が2023年4月中旬、設置されました。コンクリート片が散乱する市街地を通っていくと、かつて駐車場だった場所に円すい形の白い『インスタントハウス』が設置されてました。
「4月中旬から『インスタントハウス』に住み始めて2週間経過しました。快適で天井も高くて、雨音も全く気にならないです」と、トルコ農業農村整備支援機構の職員の男性Aさんが室内を見せてくれました。ソファを改良したベッドが2つ設置され、「同僚と2人で住むには丁度良い大きさです」と言いました。
外は30度超えの毎日が続き、へびの侵入や日中の暑さに悩んでいた現地の避難民の女性Aさんは「室内は涼しくて快適で、外からの危険にも安心して眠ることができます」と喜んでいたといいます。厚さ10cmのウレタンによって夏は暑くならず涼しく、冬は寒くならず暖かく快適に過ごせるといいます。耐風性や耐震性も完備されています。
『インスタントハウス』の金額はサイズで異なり、1棟110万円~258万円となります。今回は「トルコ・シリア大地震」の被災地をサポートする日本の非政府組織(NGO)が購入し、トルコ側に送りました。現地で施工を指導した同LIFULL ArchiTechの代表取締役COOの幸田泰尚さんは「施工スタッフが集まり、資材を現地で調達できればコストも抑えられ、被災地の雇用創出にも結び付きます」と確かな手応えを口にしました。
『インスタントハウス』を発案したきっかけは、北川教授によりますと、2011年4月、東日本大震災の甚大な被害を受けた宮城県石巻市で避難所の体育館を訪れた時に、小学生の男の子に言われた言葉が脳裏から離れないためだったとします。
男の子は、数ヵ月後に仮設住宅が建設される予定の校庭を指差し、「大学の先生なら早く住める家を建ててよ」と訴えて来ました。多くの被災者が氷点下にもなる凍える体育館で身を寄せて生活する姿を目の前にし、建築の専門家として仕事をしているのに、災害の前ではどうすることもできない、無力さを感じ涙が顔をスーゥと流れました。
「災害で自宅が損壊を受けた人のために家を建築したい」。この経験を境に北川教授の研究テーマが転換して、簡易住宅の開発がスタートしました。簡単かつ素早く設置が可能な様に工夫を積み重ね、テントシートは折り畳むだけでスーツケースで運べるまでに軽量化させました。およそ9年、開発に時間を要して実用化に至りました。「あの男の子の言葉が、今でも大きな私の研究への原動力になっています」と回顧しました。
日本での『インスタントハウス』の活用は、キャンプ施設での導入が最多で、被災地で設置することは今回が初めての経験でした。同LIFULL ArchiTechは目標を大きく掲げ、「人類のSDGsを向上させる」ことを挙げています。ガス管や送電線などと繋げず、再生可能エネルギーで快適なライフスタイルを送る「オフグリッド」の実証実験も継続して行われています。
参考:〝小さな家〟社会課題に挑む 「インスタントハウス」国内外で注目 産経新聞(2023年)
設置された『インスタントハウス』のその内の3棟はトルコ農業農村整備支援機構の職員の男性ら政府職員の宿舎以外にも、被災者の倉庫や住居として使用されています。
現地の被災者からは「凄く涼しいです」「こんなに早くできるのか!」と驚きを隠し切れない声が上がります。北川教授は、「言葉が通じず、説明しなくても良さが理解され、確かな手応えを感じました」と述べます。『インスタントハウス』の設置をサポートしてくれた市職員の女性Bさんも「私たちの意見に広く耳を傾けて、より良いものを提供して頂きました。感謝してもし切れません」と説明します。
被害の大きかった地域では『インスタントハウス』への期待と関心は高く、トルコのおよそ200km北の南部ガジアンテプの避難所では、地元自治体がおよそ『インスタントハウス』100棟を設置するべく、敷地の確保を行いました。トルコ災害緊急事態対策庁が活用するテントでも、内部に断熱材を吹き付ければ簡易住宅として活かすことができるからだといいます。
北川教授は「『インスタントハウス』の技術をトルコの皆さんに無償で提供して、本当の意味で現地の人がこれからこの国で暮らしていくために、自立できるためのサポートをしたいと思っています」と語りました。
「トルコ・シリア大地震」で悲しかった話。
地震が発生して1ヵ月後位の状況をニュースで観た時です。トルコの大家族が映っていました。
兄弟も多く、確か1番上の男の子だったはずですが、地震前は明るくおしゃべりで、家族想いで元気だった男の子。地震でお父さんを亡くしてから、心に深い傷を負い、言葉を話さなくなり、すぐに怒り出す様になりました。
仲の良かった下の子に危害を加え、お父さんの話をしたり、お父さんの写真を家族が観ていると、突然怒り出し、暴力を振るい、地震前とは全く違う性格になったとお母さんはいいます。
あの放送から数ヵ月経ちましたが、今トルコの大地震を取り上げるテレビはありません。その後のあの時観た家族が今どうしているか、知る術もありません。
その時のニュースで、この記事で書いた『インスタントハウス』に似たテントが使われていました。NGOが購入し寄付をしましたが、設置しやすく、テントの中に避難している人は、その後このテントで暮らしていると思います。
日本発の技術が、災害の最前線で使われてる、喜ばしい話ですね。災害はいつ起こるか分かりません。もっと沢山の国でこの『インスタントハウス』が使われて役に立って欲しいなと思います。
noteでも書いています。よければ読んでください。
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