障がい者アートへの持論 〜障がい者アートの在り方や問題点について〜

絵筆とパレット

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 こんにちは、地平線です。これまで複数回障がい者アートについて触れてきました。

 今後も時折触れていきたいと情報収集する中で障がい者アートに対する様々な意見を目にしました。その中で考えたことについてお話しさせて頂ければと思います。

 お付き合い頂ければ幸いです。

障がい者アートへの社会の意見

 近年、障がい者アートへの社会の関心が高まっているように感じます。

 「アール・ブリュット」や「アウトサイダーアート」という呼称も、少しずつ表へと出始めているのではないでしょうか?

 なお、この記事では障がい者アートとしてまとめて取り扱います。

 そうした関心の高まりと共に様々な意見が出ているようです。ざっと見ただけですがビジネスとしての形が歪であるというような意見が多いように感じます。

 例えば、金銭的な面において健常者で構成された運営組織が得をする販売組織の構成。

 作家個人ではなく組織単位で取り扱われてしまうことなど課題も山積しているようです。

 またアートにおいて障がい者と健常者の区分けが必要なのかという問いかけも多くみることができました。

 そうした問題点についても見ていきたいと思います。

障がい者、健常者アートの問題点

 障がい者にとって金銭面は大きな課題になっています。

 そんな中でアートの販売は新たな可能性として見出されました。

 しかし、現状は運営組織が仲介手数料のような形でアーティストへ入るお金が減ってしまう現状があります。また、運営組織が社会福祉に取り組んでいるとメディアに取り上げられることがある一方で、作家個人への注目がないことも問題点として挙げている意見もありました。

 この問題点に対して私はしょうがない面が大きいと考えています。

 そもそも、健常者ですらアートで食べていくことは厳しいのです。芸術系大学卒の立場から見ても芸術で生計を成り立たせることは難しいことだと言わざるおえません。

 そもそも芸術と金銭の関係は問題だらけだと私は考えています。

 まず、根本的な問題として一般アーティストの待遇が非常に悪いことが挙げられます。

 あくまで写真の世界ではありますが大手広告代理店の求人や説明会をみた時、信じられないほど悪条件でした。そうした会社で下積みをしてから独立する事がアーティストの道のりとなっている現状があります。

 障がい者にとってはこの道を辿る上でいくつかの問題があります。一つ目は肉体的、精神的負担です。先ほど書いた待遇の悪さは給料だけではありません。例として求人票には当たり前のようにみなし残業について書いてあったのを目にしましたし、深夜や休日出勤は当たり前だという話も聞きました。障がいを抱えている人どころか健常者にとっても負担が大きいのです。この点についてアート界は改善を急がなければならないと考えています。

 さらに独立後も問題です。独立後は自身の力で稼いでいかなければなりません。

 正直、障がいのある人が個人で仕事をこなし続けることは困難だと思います。

 作品を作るだけでなく営業なども行わないと売れることはありません。その部分を組織が代理で行なっていると考えればこうしたデメリットもやむおえないものだと思います。

 組織がアート教育や営業活動をしてくれている以上、対価としては妥当なものなのかなと私は考えています。

 アートの世界は営業やブランディング込みの実力主義で本来安定した生活には向いていません。その点を考えるとむしろ良く出来たビジネスモデルではないかとまで思えています。

障がい者アートという区別について

 次に障がい者アートとして区別する必要があるの?というお話です。

 この点に関しても商売という側面から見れば致し方ないのかなと思います。

 皆さんもなんでこの絵が1000万もするんだ?というような感想を持ったことがあるのではないでしょうか。結局、アートの世界もブランドが大事なのだと私は考えています。

 例えば匿名作家で有名なバンクシー。バンクシーが自分の作品だと言えば最低でも数千万の価値がつきます。これだけ聞くと変だと思いませんか?極端な例にはなってしまいましたが、多かれ少なかれ最終的にはブランドが価値となってしまっている現状があるのです。

 そうした中、障がい者アーティストをブランディングする上で障がい者の作品であることをアピールするのは良し悪しは別として自然な流れではあるのでしょう。

 そうして障がい者アートという概念が生まれたと私は考えています。

私の想い 〜障がい者アートの問題点を探る〜

 しかし、私からみてもこの概念は問題点が多いと思ってきました。

 まず本音を話すと私も手帳を持った障がい者ですが、noteにあげている写真作品を見てもらうと分かる通り、私が障がい者アーティストを名乗っても相手にされないだろう現実があります。

 障がい者アートはすべての障がい者の作品ではなくごく一部のアートしかカバーしてないという問題点が私からは見えています。知的障がい者の作品だったり、特殊な描き方の作品にのみ、障がい者アートという概念が集中しているように思えてなりません。

 障がい者アートという概念はもっと広範囲をカバーすべきだと私は考えているのです。

 さらにブランディングとしても問題があると思います。障がい者アートと名乗ることで作品の見方が固定されてしまい、それ以上の価値を産めなくなっていると感じるのです。

 たとえ、バンクシー以上の作品を書いたとしても障がい者アートとして発表すると障がい者アートとしての見方しかされません。これは障がい者アートが世間に知られるようになる程、顕著になっていくと思います。ある種の過剰評価とでも言うのでしょうか、障がい者には特別な才能があると持ち上げすぎた結果「障がい者ならこれぐらい出来るよね。」という誤った評価に繋がりかねないと危惧しています。

 現実として障がい者アートとして普及したイメージは障がい者による作品の極一部でしかないのです。その点は今後、障がい者とアートの関係を語る上で大きな課題になってゆくと私は考えてきました。

 その他にも課題が多い概念だと言えるでしょう。

 だからこそアートに関わる障がい者やその関係者は発展とともに見えてきた課題に対して真摯に向き合い、解決方法を模索する必要があると考えています。

ハートの絵を描く人と見守る人

 そもそも、障がい者アートという概念の存在意義を含めた根本的な議論から始める必要があるのかもしれません。そうした議論が待たれる分野だと私は考えています。

 今後もこの分野について注視していくつもりです。

 今回はこの辺りで締めさせて頂きます。

 お付き合い頂きありがとうございました。

 ゆたさんが障害者アートの普及に取り組んでいる企業の株式会社ヘラルボニーについて記事を書かれています。合わせてご覧ください。

noteで写真を中心に色々語ってます。こちらもぜひご覧ください。

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