この記事は約 5 分で読むことができます。
こんにちは、地平線です。
前回の障がい者アートの現在地では法律と行政などの取り組みを中心に障がい者アートの今とこれからというテーマから見ていきました。第一回は下のリンクからどうぞ。
今回は私自身の、創作する側に立っていた者としての視点から見てきた物事をお伝えできればと思います。
障がいの有無と創作活動
私の持論ですが、創作とは自分を形にする事だと考えています。
人によってテーマや手法は異なりますが、自己表現こそ創作の本質だと考えました。
ただ、創作論とも言えるこの思考は今もまとまっておらず、私の、あるいは多くの創作者にとって永遠のテーマだと思うのでここら辺で止めておきます。
とにかく、自己表現ができれば創作活動ができると私は考えています。
その一点において、平等であることが芸術に人を繋ぐ力がある理由でしょう。
私が専門にしていた写真においては、カメラを扱えれば写真を撮れる、という一点において平等でした。
大学のクラスメイトには障がいを抱えた人が何人かいて、中には目に障がいのある人もいましたが全員が前向きに写真と向き合っていました。クラスでも助け合う意識はとても強かったように思います。
そして、今振り返って何より重要だったと思うのが平等に評価されたことです。
作品を提出し、講評を受けると平等な視点から評価されました。ある意味言い訳ができず厳しいともとれますが、このことが私にとっては良い作用をしたと考えています。
自己表現の痛みと昇華
自己表現をする上では個性が重要になってきます。
他人とは違う経験、思い、哲学などの個性がより良い作品を生み出す鍵であることは間違い無いでしょう。だからこそ障がいを個性として捉えることが出来れば、作品制作においてとても強力な武器となるのだとこれまで感じてきました。
ただし、この制作方法は痛みを伴う方法でもあります。
自己表現をすることはすなわち自身を見つめ直すこととも言え、障がい者の場合は障がいとそれに伴う痛みや苦しみと向き合うこととも言えるでしょう。
私の場合、双極性障害とそれに関する自身の辛い過去と向き合うことになりました。
しかし、私はこのことを悲観していません。
なぜならばその傷を癒すのも創作活動だと感じてきたからです。
痛みを作品に変える過程を通して、向き合い、再構成して形に変えてしまう。
そうすることで傷を癒すような、体の外に出してしまうような感覚があり、痛みを薄れさせることが出来た気がしています。
創作を通して痛みを作品に昇華する。簡単なことでも良いので試してみてはいかがでしょうか。
作品を通した理解と共感
障がいを個性として作品制作をすることについてもう一つ感じていることがあります。
それは周囲の理解や共感を得られるという事です。
障がいは当事者以外にとって理解が難しいものだと言えるでしょう。そこで作品を見せたり、それを前にして解説したりすると理解や共感をしてくれることがありました。
私も友人の作品を見ることで、その友人のことを私なりに理解しようとしたり、共感したりしてきました。
自分の作品を見せること、それは自分自身を見せることと同じであると私は思います。
そして作品を通して理解や共感を得ることは、より良い関係を築く手助けとなるのではないかと私は考えています。
余談ですが今回のアイキャッチ画像は私自身で撮影しました。時折にはなるかと思いますが撮影した写真も載せていきたいと思っていますので楽しんで頂けましたら幸いです。
作品制作論 痛みを乗り越えるための創作
創作活動に心の傷を癒す効果があるのではないかという事を書かせて頂きました。
もし、創作をしてみようと思ってくださった方が居たのならば一つだけ私なりのアドバイスを。最初は辛いことを覚悟してください。なぜならば大なり小なり痛みと向き合わなければいけないからです。
ただ、それを形に出来た時、痛みが作品となった時にその痛みが癒させる感覚と出会えるのではないでしょうか
この辺りで第二回を終わらせていただきます。第三回では障がい者アートの未来をテーマにこれから先の障がい者アートに対する期待と不安を書かせていただく予定です。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。また次の記事でお会いしましょう。
地平線でした。
第三回
→HOME
コメントを残す