メガネと補聴器-私の身体欠陥を補う装具-

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こんにちは、金次郎です。

 日本人は、メガネをかけている人が多い国として世界的に有名ですよね。
 テレビでプロ野球中継を見ていると、サングラスでは無く真面目に視力矯正用のメガネをかけている選手も見かけます。
 補聴器は、私の年齢ですと早すぎかもですが、父方の祖母が補聴器を着けていました。
 また、病気の為とは言え母も片耳の聴力を若い頃に失っていますので、我が家の人間にとって補聴器は必需品なのかも知れません。
 今回は、私のメガネと補聴器の事について書いてみます。

先ずは「メガネ」から

 私がメガネをかける様になったのは、高校生の時に原付免許を取得した時です。
 メガネをかけないと、視力検査の基準に達しなかったからです。

 でも、高校や大学の卒業アルバムを見てみると、私はメガネをかけて写っていませんから、当時はバイクに乗る時だけメガネをかけていたのだと思います。

 メガネを常用しだしたのは社会人になって、業務でパソコンを使い出してからです。
 あの当時は、免許更新の度にメガネを作り変えていましたから、出社してから退勤までの長時間パソコンを使用しての仕事がかなり目に負担をかけていたのでしょう。
 現在は、外出用と普段生活用の2つメガネを持っていますが、ここ15年ほどは作り変えていないので、今の視力で落ち着いているのだと思います。 

そして、聴力の低下による「補聴器」

 これは、私が度々記事に書いている様に、新卒で入社した会社で電車通勤中にパニック発作を起こし、その時に有った「めまい」や「耳鳴り」を放置してしまった事から徐々に聴力が落ちて行きました。

 パニック発作を起こして数年後に、私が「なんか最近、耳の聞こえが悪いです」と会社の保健婦さんに相談したところ、「メガネ屋さんで、補聴器を作ってもらいなさいよ」と勧められて補聴器を着け始めました。
 最初の頃は、出力の小さい軽るめの補聴器でしたが、年を重ねる毎に聴力が落ちて行き、その度に出力の大きい補聴器へと買い替えて行きました。
 でも、補聴器を着けていれば会話はできるし普通に電話で話せていましたので、そのまま一般の会社で働いていました。

 そして、補聴器を着け始めて21年、2016年(平成28年)ついに耳鼻科の先生から「検査の結果、障害者手帳を申請できるレベルまで、聴力が落ちてしまいましたよ」と言われ、障害者手帳交付の申請をしました。
 現在は、携帯電話の音量はフルボリュームで、更に「スピーカーホン」にして電話に対応しています。

お世話になっていた、お店が無くなっちゃった

 実家に戻ってからは、電車で10分ほどの所に有るショッピングモール内のメガネ屋さんで、メガネと補聴器の両方を作ったりメンテナンスをしてもらっていました。

 しかし、2年前にそのお店から突然「閉店のお知らせ」と言う手紙が来ました。

 それで手紙を持ってお店に行ってみると、店長さんから「突然の閉店お知らせで、申し訳ございません」と言われました。
 そして「当店の代わりのお店ですが、当社の久留米店に行けますか?」と言われました。
 私が「久留米店は、このショッピングモールの久留米に有るモールですね、電車で久留米まで行って、更にバスに乗りかえないといけない場所にありますから、ちょっと遠すぎだなぁ〜」と言いました。

 店長さんは「ですよね、なので貴方が居住している自治体に住んでいるお客様には、こちらのお店をご紹介させて頂いています」と補聴器屋さんのパンフレットを見せられました。

 それで、現在補聴器は紹介されたお店に変更して、メンテナンス等をしてもらっています。

参考:メガネの田中

参考:あそう補聴器

終わりに 

 メガネの項目で書いた様に、メガネはここしばらく作り変えていませんので、今は紹介してもらった補聴器屋さんに行くだけですが、何故そのメガネ屋さんが、ショッピングモールから撤退したのかは謎です。

 と言うのも、そのショッピングモールの本社は広島県で、メガネ屋さんの本社も広島県ですから、別の場所に有るそのショッピングモールには、必ずそのメガネ屋さんが有るからです。

 「私が行っていたショッピングモールでは、売上げが上がらなかったから」と言うならば、そのメガネ屋さんが撤退した後の、同じ場所に入って来たお店も別のメガネ屋さんですから、益々「?」だらけです。

 何か別の理由が有って「私が行っていたショッピングモールからだけは、お店を撤退せざるをえなかったのかも知れないな」と思っています。

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