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好きなこと、やりたいことを、やりたいだけやる。
そのためには1日の何と短い事でしょうか。
あなたはそのようなことを考えたことはありませんか?
何を隠そうツワブキは、年がら年中、「1日はやりたいことをやるには短すぎる」「勤務時間だけそのままで、暇な時間がめちゃくちゃ伸びてくれないかな」と考えています。
働きたくないというよりは、遊ぶ時間が大量に欲しいというだけの話です。
今回は、そんなツワブキの、どうしようもない日記の一ページを公開するような気持ちで、記事をお届けします。
やりたいことはやるべきことをやってから。でも…
ツワブキはそもそも大前提として、遊ぶことがとても好きです。
私が働いているのは、主に遊ぶためのお金が必要で、欲しいから。
そして、働いている方が自分の体調や心の調子が安定しやすいと感じているから。
体調が安定していないと出来ないことが、世の中にはいっぱいありますよね。例えばゲームとか。
つまりツワブキは、概ね趣味のために働いているという訳です。
うーん、文字で書くとなんともどうしようもない。
そんな私ですが、一応、やるべきことが終わってからやりたいことをやるように心がけてはいます。仕事が終わって帰宅したら、まず曜日ごとに決まった家事をし、それが終わってからゲーム機の電源をぽちり。趣味の時間を始めます。
そして、晩御飯を作るべき時間が近づいてきたら、ゲームの止めどころを探して終わらせます。そのくらいの理性は私にもあるつもりです。
しかし、日々生活していて、こうも思うのです。
あれ? やるべきことをやってから、いざ、やりたいことをやろうとすると…時間が、ない。
やりたいこと、今日はもうやれないのでは? と。
やるべきことをやる。すると、疲れる。
例外を除けば、引きこもりは大体体力には恵まれていません。それこそ、筋トレでも趣味にしていない限りは。
ツワブキの趣味がそんな健康的なものであるはずはなく、仕事こそしていますが、私の根本は引きこもり出不精ゲーム好きのインドア派。体力が貧弱である自信しかありません。
任天堂が誇る、運動が出来ると話題のゲーム、リングフィットアドベンチャーは我が家ですっかり埃を被っています。ち、違うの、暇が出来たらやりたいんです…体力に余裕がある時に……。
つまり、そんなタイミングは存在しないというだけの話なんですけど……。
閑話休題。
悲しいことに、やるべきことをやって、さあ時間が空いたぞ! という時になって、もう疲れた…ちょっと横になりたい……という場合が結構ある訳です。
当然、横になるとその分時間が過ぎてしまい、やりたいことは出来なくなります。
しかし人間は疲れには勝てません。それに、疲れている時にゲームなど無理にしようものなら、疲れがミスを誘発して却ってイライラする羽目になります。
疲れている時は素直に寝るべき、と私は考えているのです。
だから横になります。そして体力回復のために時間は過ぎ、やりたかったことは出来ないのです………。
無限に『やりたい!』が湧き出る、趣味の泉
ツワブキは現在、就労継続支援A型の作業所に通ってお仕事をしています。
そのため、勤務時間は一般的な社会人に比べるととても短くなっています。
なので、私はむしろ、時間には余裕がある方なのです。それは重々承知の上で。
時間管理が下手なのか、はたまた疲労の管理が下手なのか、あるいはその両方なのか。
やりたいことを満足できるくらいやっていますか? と聞かれたなら、私の答えは残念ながらNOになるのです。
傍から見ればゲームをやっているように見えても、ゲームの中で日課をこなしていることも。
本当にやりたいことはその日課の後にやっと出来るようになるけれど、忙しかったり疲れていたりで、日課を終えるのが精いっぱい、という時もあるのです。いやまあ、遊んでいることに変わりはないのですが………。
そして例え、本当にやりたいことまで手が届いて、きちんとそれが出来た日も、「次はあれをしたいな」「あっ、これもやっておきたいな」と際限なく湧き出てくるのです。
趣味というのは本当に恐ろしいもので、底なしの沼なのです。
やり尽くした、やりきった! そう思う瞬間が一瞬訪れたとしても、次の瞬間にはまた別の「これやりたい!」が頭を占めるのです。
やりたいこと、無限。時間と体力、有限。ままならないものです。
やりたいことがなかなかできない、でも…
さて、ここまでお話して、もしかしたら「ツワブキ、めちゃくちゃストレス溜まってる? 抑圧されてない?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。なのでその誤解は解いておこうと思います。
先に挙げた通り、時間の余裕は一般的な社会人に比べればある方です。
それに、やりたいことが多すぎて、ひとつやりたいことをやっていると、別のやりたいことにまでは手が回らない。そういった状態が続いている、というだけの話です。
つまり、やりたいことの一部自体は日々何かしらやっているし、出来ています。なのでとても充実しており、そのことによってストレスが溜まっているというようなことはありません。
しかし、時間の余裕はある方だとはいえ、それでも足りないのです。
もしくは自分の体が複数あればいいのかもしれません。
そんな突拍子もないことを考えるくらいには、やりたいゲーム、見たいアニメ、読みたい漫画はいくらでもある訳です。
しかし、考え方を変えてみると、これはとても幸せなことであるように思えてくるのです。
やりたい!がままならない、だから明日も頑張れる
これだけやりたいことが多いと、一日を終えて眠る前に、今日やった楽しいことを思い出して幸せになれます。そして、今日やれなかった、やりたかったことを思い浮かべて、明日こそはと考えることができます。次の日が平日なら、明日も仕事かぁ、と少し落ち込みますが、「終わったらあれをしよう」「帰ったらこれをしよう」と考えるだけで頑張れるような気がしてきます。
思い返せば、私が人生の中で一番ふさぎ込んでいたころ。
大学に行けず、引きこもっていたあの頃は、明日何がしたいかなんて考えていませんでした。
やりたいことが湧き出る泉は枯れていて、特にやりたいことは思いつかず、明日だって別に来なくていいと思っていました。
それを思えば、やりたいことが溢れかえっていて、首が回っていないというか、溺れかけている今の方が、よほど健全なような気がしてなりません。
だって、今の方が、まだ見ぬ明日、まだ見ぬ未来に目が向いているのだから。
やりたい!がままならない、満足にできないから、だからこそ、明日はこれがしたいなと頑張れる。そういう面が、確かにある気がするのです。
やりたいことをやる。そのために生きる。
例え時間管理が上手になっても、例え簡単には疲れないだけの体力がついても、私のやりたいことはきっと増え続けるでしょう。きっと、やりたいことはやり尽くしたと満足する日はいつまでも来ないのだろうな、とすら思います。
しかし、きっとそれで良いのです。
漠然とですが、やりたいことの為に長生きしないとなと思っていますし、やりたいことが溢れているうちはそうそうボケないような気もしています。
日々色々なやりたいこと、したい遊びのために生きていく。
それもまた、十分立派な、生きていく理由になるのではないでしょうか。
だから私は今日もまた、考えるのです。
さて、今日はどの「やりたいこと」に手をつけようか、と。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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