夏目漱石『草枕』からひもとく「物語の力」

物語

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生きづらさをフィクションに

私は生きづらさをフィクションに昇華させることは健全なことだと思っています。

智(ち)に働けば角が立つ。情に掉(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。
引用:草枕/夏目漱石/ https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html

の冒頭から始まる夏目漱石の「草枕」がいい例です。

住みにくい人の世にはそうした物語が必要です。今回はそんな物語の力について書いていきます。

知り合いの話(漫画家を辞めたわけ)

以前、知り合いのお子さんが漫画を描いていたけどやめたそうです。それはなぜか。出版社主催の漫画イベントでペットボトルで火炎瓶みたいなものを作って投入れる輩がいたからだそうです。その出版社に原稿が採用されない腹いせにやった犯行でした。

また、異臭事件で被害に遭われた人を実際に見たことがあります。赤の他人からのわけのわからない理不尽な暴力を受けたときのなんとも言えない後味の悪さ、にがにがさは絶望的な気分にさせられます。

その話を聞いて私は「そんなに気が強いのはクリエイター向きなのにね。なんでその情熱を作品にぶつけないのだろう」といささか気持ちを持ち直すために冗談まじりに世間話として話していました。

 

そんな話をしていた2、3年後、ある事件が起きます。

京都アニメーションの事件

京都アニメーションでの事件の報道を知ったとき激しいショックを受けました。私は前述のようにその事件の萌芽になるような出来事を知っていました。本当にそんなことをする人がいるんだと非常に驚きました。

犯人の動機は未だ解明されていませんが、報道で知る限り、身柄を確保される際に「小説を盗まれた」「俺の作品をパクった」と叫んでいたとされています。「京都アニメーション大賞」にその犯人が投稿したと思われる作品があったことも判明しています。

実際に「盗用された」事実があったとしても抗議すればいいだけのことなのになぜ36名もの命が奪われなければならなかったのか理解に苦しみます。

 

京都アニメーションの作品は「聲の形」しか観ていませんが、少年少女の「生きづらさ」を見事に表現された素晴らしい作品でした。厳しい現実を洗い流すようなカタルシスを感じました。このような作品を制作された京都アニメーションが世界中から愛されている理由がよくわかります。

チェンジリング

私は地元の駅前で行方不明になった娘を探すビラを配る母親を見たことがあります。それは新潟で9年間にわたり監禁された少女が発見された事件の報道直後のことでした。

その母親は言っていました。「新潟の事件があったように自分の娘は生きていて見つけてくれるのを待っているかもしれない。」

微笑みながらビラを配り続ける母親を見て、私はそのとき友達と「いや、もう死んでいるんじゃないか」と言い合っていました。

その母親の希望はなんだか残酷なことに思えて仕方がなかったです。

 

演劇療法というものを学んだことがあります。演劇療法の中では、実際には天気が悪くて見えなかった富士山を見えたことにして再現して演じます。起こってしまった事実は絶対に変わりませんが演じることによって心が癒されるという療法です。

のちに、クリント・イーストウッド監督の「チェンジリング」という映画を観ました。私があのとき感じていたモヤモヤの答えがわかったような気がしました。あの地元の駅で見た母親は、母としての誇りを持って娘を探し続ける物語を生きていくことを決めた人なのだろうと思いました。

今を生きるために希望の物語を

京都アニメーション事件の犯人は恨みがあったと言っていましたが、私には強烈な皮肉にしか見えません。生きるために物語を作るのです。なぜ、たくさんの人を殺す?本末転倒も甚だしい。彼は学園ものを書いていたらしいけど、どんな話を書いていたんだろう?私には理解できません。

私には彼が創作そのものを大事にしていると思えずその先にある副産物、例えば名誉とか、印税とか、承認欲求とかを得たかった気がしてなりません。

創作者とはどんなに盗用されようと書かずにはいられないものです。そこからオリジナリティのある物語が生まれるものです。

想像力は、諸刃の剣なのかもしれません。ときに被害妄想になり、人を死に至らしめるものになれば、人を生かす希望にもなるのです。

現在、世界中がコロナによる危機に直面しています。今こそ、揺るぎない希望の物語が必要なときだと思います。

結びに

冒頭の「草枕」は以下のように続きます。

住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。

引用:草枕/夏目漱石/ https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.htm

住みにくい、生きづらい人の世をのどかに、豊かにするのが芸術であります。

人の心が何をもって「美しい」と感じるのか、それが芸術の根源でもあります。

私たちは美しい物語を求め続けることでしょう。

 

参考サイト:

DIAMOND ONLINE「京アニ放火殺人事件で青葉容疑者を逮捕、捜査で動機は解明されるか」

https://diamond.jp/articles/-/238687?page=4

聲の形

チェンジリング/

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