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私は、久留米が嫌いだった。
立ち並ぶ飲食店に、久留米の人々の文化、風習、格好。
全てが本当に嫌いだった。
私は、子供時代を他の県で過ごした。
歴史や自然に溢れているところ。
何より、その街のあたたかい人々。
友達もたくさんいた。
私はその街が大好きだった。
小学五年生の時に私の人生は大きく変わる。
父の転勤でその街を去る事になったのだ。
辛くはなかった。
みんなに会えなくなる寂しさよりも、断然、新しい土地への希望の方が大きかった。
転勤先のその場所で、私は残念ながらうまくいかなかった。
不登校になった。
行く高校がなかった。
だから、久留米の自分でも行ける高校に入学した。
その高校で、私は毎日のように泣いて過ごしていた。
友達ができなかった。
嫌な事がたくさんあった。
いくつものトラウマになる出来事が起きた。
キラキラした青春とは程遠かった。
うまくいっている子もいるんだから、ただ単に私が合わなかっただけだろう。
だとしても、私はその高校も、そして『久留米』という街がだんだん嫌いになってきていた。
たくさんのイライラやモヤモヤが積もりに積もって、私は久留米を恨み始めていた。
いつも久留米の空はどんより暗く見えた。
二十歳になって、私は福岡市内に行く事になった。
夢のようだった。
華やかな人達。
煌びやかな物。
福岡の匂い、空。
全てが本当に大好きになった。
都会ってこんなに素敵なんだ。
私は福岡の魅力にすっかり心を奪われた。
“世界は久留米だけではなかったんだ。”
そう思った。
そして何より、福岡はなんとなく、子供の時に過ごした『あの街』に似てるな、と思った。
だけど、そんな幸せな日々も長く続かなかった。
体調を崩して、私は福岡から出る事になった。
約一年、私は家に引きこもる事になる。
人にTANOSHIKAを紹介された。
久留米にあるTANOSHIKA。
また久留米に逆戻りか。
高校の頃の苦しかったあの日々を思い出した。
残念だった。
私は、TANOSHIKAで働き始めた。
やっぱり、久留米の空はどんより曇って見えた。
最悪だ。
そう思って毎日働いていた。
早くここを出たい。
久留米から出たい。
毎日毎日思っていた。
カウンセラーの先生にその事を打ち明けた。
先生は、「久留米の事もだんだん好きになれるといいですね」そう言った。
なれるわけないだろ、こんな街。
心の中で呟いた。
私の心に変化が現れたのは、TANOSHIKAに入ってしばらく経った時だった。
TANOSHIKAに来ているメンバーがすごく優しかった。
みんなが私を受け入れてくれた。
支援員さんが私を理解しようと優しく接してくれた。
仕事もとっても楽しかった。
そんな事が重なって、私の心は変わっていった。
氷が溶けるように、私の心は柔らかくなってきた。
“なんだ、久留米って意外と悪くないな。”
だんだん、そんな事を思っている自分に気づいた。
久留米の空はだんだんと明るく見えた。
今では、すっかり私はこの街が好きになった。
私は、久留米が好きだ。
この街の自然も、街並みも、人も。
もちろん、高校の頃に歩いていたあの道を見ると、胸がまだ痛む。
だけれども。
私はそれ以上にこの街の優しさを知った。
もう大丈夫だ。
ただ、いつまでもここにいるわけにはいかない。
私は、成長したいから。
いずれはここを出て、大きくなって、私に久留米を好きにさせてくれたTANOSHIKAに恩返しをしたい。
きっと私には、TANOSHIKAに貰ったようなたくさんのものは返せないだろうけれども。
少しでいいから、TANOSHIKAに返していきたい。
久留米の空は、今ではとても綺麗に見える。
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