福島の復興を33年経ったチェルノブイリの「いま」から考える

福島の復興

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最近、世界のある地域が非常に話題になっていて、ツアー客が増えているところがあるのですが、知っていますか? そこはウクライナのプリピャチという町なんですが、ピンとこないですよね。そこには有名なスポット「チェルノブイリ原子力発電所」があるところなんです。

 ではなぜ今、話題になっているのかというとアメリカの放送局HBOが「チェルノブイリ」を題材にした、全5話のドラマが放送され、高い人気を獲得したのです。そこから現地で見たい人が続出して、旅行ツアーが組まれるぐらいの現象となっています。私は海外ドラマ好きなのですが、これを見たくて仕方ありません。早く日本でも見れますように……。そんな個人的なことは置いといて、チェルノブイリは現在いろいろなことが変わってきています。

 チェルノブイリ事故が起こって約33年。何が変わって現在はどうなっているのか、紹介していきたいと思います。

1.あの日なにが起こったのか振り返ってみる

 1986年4月26日1時23分、チェルノブイリ原子炉4号炉がメルトダウン後に、爆発して放射性下降物がウクライナ・ロシアなどを汚染しました。これがいわゆるチェルノブイリ事故で、国際原子力事象評価尺度(INES)レベル7に分類され世界で最悪な原子力事故となっています。ちなみに福島原発事故もレベル7です。

 2019年現在も原発から半径30km以内の地域で、居住が禁止されているとともに北東350kmの範囲内には、ホットスポットと呼ばれる高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されています。

 当時ソ連当局は、プリピャチなど原発から10km圏内の地域に住む人々の避難を開始したのは、事故発生の36時間後でした。それまで正確な情報は伝えられず、約5万人が放射能汚染の事実を知らぬまま、通常の生活を送っていたのです。それから1週間後、30km範囲内の人々も避難が開始されました。

2.数字で見てみるチェルノブイリの影響

 数字にまつわる影響をまとめてみました。

840万人

 チェルノブイリ原発の爆発の結果、840万人が様々な強度の放射能を浴びた。

70%

 放射能汚染が一番酷かったのはウクライナではなく、ベラルーシであり70%の被害が同国に集中した。このためベラルーシ国土の5分の1では農業ができなくなった。

80万人

 事故処理作業はソ連全土から80万人が参加した。

36時間

 事故から36時間後ようやく、プリピャチ市から4万7500人が避難した。

200人

 現在、立ち入り禁止区域にはおよそ200人が暮らしており、彼らはサマショール(帰ってきた人々)と呼ばれている。

500万人

 ロシア、ウクライナ、ベラルーシの約500万人が放射能事故の被災者として給付金を受けている。

3.チェルノブイリ・ジャングル

 現在も立ち入り禁止区域は多く、33年間もの期間、人の影響を受けていない地域も多いのですが、そこにはなぜか動物達が繁殖し、増加の傾向が見られます。増加だけではなく種類の多様さも自然保護区と肩を並べるぐらい、生息しているのです。

チェルノブイリ・ジャングルに生息している動物

イノシシ、ウサギ、オオカミ、カワウソ、キツネ、コウモリ、ノロジカ、ビーバー、フクロウ、ヘラジカなど

オオカミに至っては、隣接する「クリーン」な地域より7倍も多いことが判明しました。

放射能は動物たちに影響はないのか?

 寿命が人間と比べて比較的に短いので、そこまでの影響はないという意見から、汚染地域で24時間暮らしている動物たちは、1時間あたりの被ばく線量は高くないとしても、それが1日、1カ月、1年と暮らしていけば何が起こっても不思議ではないという意見まであります。

放射能より人間の存在の方が悪影響?

 放射能の影響はバラバラですが、こうして個体が増えており、動物の種類も増えているデータは事実としてあり、写真動画にも収められています。

生物学者ジム・ビーズリー氏の見解
「こうした多くの動物たちにとって、たとえ放射能の影響があったとしても、それは種の存続を妨げるほど個体数を抑制するものではないのだと思います。人間がいなくなったことが、放射能による潜在的影響を相殺して、はるかにあまりある効果をもたらしているのでしょう」

 なんとも皮肉な話ですが、動物たちにとったら放射能より人間の存在のほうが、悪影響だということが立証されてしまいました。人間がいないことでノビノビと暮らしている動物たちにとっては楽園なのです。

4.チェルノブイリが生んだ夢の町「スラブチッチ」の若者たち

 原発近郊にあるプリピャチはゴーストタウン化として、代わりに森を伐採し出来た「スラブチッチ」別名「夢の町」ともいわれています。森に囲まれているこの町は、徒歩で回れるぐらいのコンパクトで、その中には約2万5000人が住んでいます。

 中心部には大きな公園、市役所、学校、スーパーマーケット、ナイトクラブなどがあって、その周りを住宅街が囲っている作りとなっています。意外にも教育や医療システムもしっかりとしていて、ウクライナの住みやすい街にも選出されています。

 しかし経済産業は栄えていなく、首都キエフから車で2時間半も掛かるぐらい遠くに位置しているので経済市場は小さく、隣国ベラルーシもヨーロッパ中心ではないため、皮肉にもチェルノブイリに頼らないと生きていけないのです。

人口の10%がチェルノブイリで働いてる現実

 1986年5月からチェルノブイリ原子力発電所を雨水などの、環境による劣化を防ぐために「石棺」というもので覆っていたものを、更に上から覆い100年持つシェルターを作るプロジェクト「NOVARKA(ノヴァルカ)」が2017年に完成しました。2004年から始まったこのプロジェクトは、13年もの月日が掛かり完成したのです。

 チェルノブイリで働いているスラブチッチの住民も、このプロジェクトに参加していました。しかしプロジェクト完成に伴い3500人中、2500人が失業しました。原発事故が生んだ町の住人たちは、チェルノブイリに生かされ、そしてまた、路頭に迷うことになってしまった人たちも居るのです。

放射能よりアルコールやドラッグで死ぬ若者が多い

 スラブチッチでは被ばくの影響を考慮して、2週間働くと2週間休みをもらえるようになっているので、月の半分は休んでいます。月収は約200ユーロ、日本円に換算すると2万4000円ぐらいです。市営映画館が1館、ナイトクラブが2.3軒と娯楽施設が少なく、給料も少ない、やる事といったら仲間と酒を飲むことぐらいで、酒やタバコなどの嗜好品に給料は消えてしまいます。

 そんな生活のなか放射能よりアルコールやドラッグの事故で、亡くなっている方が多いという現状があります。このことからスラブチッチの若者たちは、刹那的に生きているというのが見えてきます。

 将来のことを考えて貯金したり、保険に入ったりするのが一般的でしょうが、この町では明日どうなるか分からないという恐怖と共に生きています。それは命や死、職とさまざまな要素が混じりあって、とてつもない不安感と向きあいながら生きているということを感じました。

まとめ・日本も無視できない原発事故にどう向き合う?

 人間にとってはいまだに脅威を拭えずに、動物にとっては楽園としたチェルノブイリ近郊の状況はいかがだったでしょうか。脅威となった原子力事故は、人間が自ら作ってそのコントロールを失って、自分たちの首を締めるようなことになってしまいました。しかしそれに頼っていたのも事実です。

 事故が起きてもリセットとはいかずに、日常を少しずつ立て直しながら、今でも生きて暮らしていかなければ、いけません。それは人間も動物も同様です。

 日本でも3月11日に同様の原子力事故が起きました。現在も除染作業を行っていて、福島第一原発構内の96%は、全面マスクなどの防護服なしで動けるぐらい年々、放射能は減っています。しかし廃炉作業には30~40年ぐらい掛かると言われていて、課題も山積みです。そんな中、約5000人ぐらいの人たちが1日も早い復興を目指して、今日も作業をしています。

 私たちが生きていくためには、まだまだ原子力に頼って生きていかなければいけない状況です。事故が起こったからすぐ廃止というわけにはいかずに、安全とは何かをひとりひとりが考える必要があるのではと感じました。

 内容は違ったけど、結果は同じようになってしまったウクライナとフクシマに私は、繋がりを感じてしまいます。ウクライナの復興した姿が、未来のフクシマのヒントになっているかもしれません。

 ウクライナ、フクシマと共に1日も早い日常が戻ってくることを願っています。

参考元・Sputnik WIRED NATIONAL GEOGRAPHIC HEAPS Gigazine MATCHA

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