聴覚障害者と手話と筆談

聴覚障害者

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障害者というと皆さんはどんなイメージをもっていますか?不自由な生活をしていると思われている人も中にはいるでしょう。私は関節リウマチを発病したあとで、その話をしたあとに「たいへんね」と言われたことがありました。そんな時に、私は聴覚障害者の人によって救われることになったのです。

聴覚障害者とのやりとり

筆談には紙とペンがあれば質問も聞きたいこと、伝える内容を書くことができます。が、相手が書いている間の時間が待つことになるけど、紙に書いた文字は残すことができます。

手話は顔の表情と手を使って話をするので、相手の手話と表情(喜怒哀楽を表す)を確認できる利点がここにあるので、待っている時間がなくてすみます。

「見えない・聞こえない・話せない」三重苦のヘレン・ケラーでしたが、家庭教師のアン・サリバン先生が手話を手のひらの上で文字を表現したり手で触れることを教えた先生はすごい!と思った。ヘレン・ケラーの手に水を流しながら手話で何度も根気よく「これは水」と教えたのでした。

学生の時知り合った聴覚障害者

当時中学生だった私は偶然聴覚障害者の隣にいたので、支援員さんが寒いと言う動作をするといいですよと教えてもらい、相手の方に「寒いですね」という動きをしたら相手の人がわかって頷かれて少しうれしかった。

聴覚障害者に出会ったのは職場や働いていた職場にお客様として2組の聴覚障害者のご夫婦がこられたときです。買い物先でばったり会った時に相手が覚えていてくれたり、私も相手のことを覚えていてとても嬉しかった。手話を知らなかった私が感じたことは、言葉を伝えるって難しいなぁ!と思いました。

手話は耳の聞こえる人と聞こえない人の間を繋ぐ大事な言語だということを。そのことをいつか忘れてしまっている私がいた。

ある日の支援センターでの出来事

ある時、手に手話をしている職員の人を初めてみた時に思ったのは、「なぜそこにするのか?」ということでしたその人にしていたのかを聞いたかどうか、今では思い出せないけど、びっくりしていたのでしょう。見えない・聞こえない・話せないでもひたむきに生きてこられたその姿はヘレン・ケラーのように誇らしく感銘を受けたのを今でも覚えています。

年数がたって手話を教えてくれる人との出会い

障害者の施設で働き始めた頃に、聴覚障がい者の人に出会ったことで少しずつ手話を習っていました。簡単な手話もあれば少し難しいのもあり、ぎこちないなりに楽しかった時間でした。障害者施設で10人の聴覚障がい者の人によって、私が思ったのは「手話は必要な言語であり会話である」ということを知った瞬間だったのかもしれません。

顔の表情と手話で話をする聴覚障がい者同士の手の動きが速かったのが、今でも残っていて会話についていけないことが多かった。話していることがわからない時は「何を話してたの?」と聞いたりしていたのです。私が不安定な気持ちや感情のコントロールができない時は、言葉より手話のほうが無理をしないで、心を救われることに繋がっていきました。

耳の聞こえない・弱視で目が疲れやすい人にとっては筆談はなお辛いことではないでしょうか?手話という言語は聞こえる人も同じように使えれば聴覚障害者の人も助かります。聞こえている人も手話を覚えることができたら、互いのことをもっと理解できるようになるのではないか?と思うようになりました。

手話ができなくなってから

今私が出来るのは数字と簡単なことになってしまった。「疲れた」「泣く」「ごめんなさい」「明日」「一週間(月・火・水・木・金・土・日)」「季節」などです。他に覚えていることがあっても使わなくなると忘れてしまうものだと実感しています。

まとめ

私にいまできる手話は限られてしまったなぁ!と思う事が増えました。右手はなんとか使えるのですが左手は使いづらいだけでなく効かなくなった指があるからです。中指から小指までの曲げる伸ばす腱(ケン)の回復手術を受けてから以降手話をする時は右手になります。が、両手を使わないといけない手話はできなくなったのです。

聴覚障害者と対話する時には簡単な手話を覚えて触れ合っていくうちに気づかなかったことや人への思いやりや優しさを知ってほしいと思うようになりました。

リウマチ

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ABOUTこの記事をかいた人

私は関節リウマチになっていろいろな制限があります。その他にも困難なこともありますが、今その時々を楽しむように頑張っています。読書に風景・動植物にいやされています。