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こんにちは、翼祈(たすき)です。
この記事をご覧の皆さんは、オルゴールは好きですか?
私は好きです。私が沢山のオルゴールに触れたのは、20年以上前、よく行っていた阿蘇ファームランドの1つの施設でした。
小さいものから大きなものまで、館内はオルゴールで溢れ、全て販売品でしたが、私は当時自分のお金を自由にできて、それを買えるほどの年齢でもなくちょっとだけその場で音を出して楽しむことしかできませんでした。
あれから両親も加齢と共に目が悪くなって、近場の遠出すらほとんどしなくなったので、子どもの時以来、阿蘇ファームランドには行っていません。
今、遠出は、もっぱら私の通院くらいですね。
オルゴールは買おうと思えば、通販などで買えますが、やはり、実際に音を流してみて、気に入ったものを買いたいって想いがあります。
この記事では、山梨県の盲学校が、50年続く交流の証となっているオルゴールの話をしたいと思います。
1964年、山梨県立盲学校高等部専攻科の生徒がクラリネットを失くしてしまったことをテレビで観た匿名の女性が、新しいクラリネットを学校に寄贈しました。
そして、翌年の卒業式で、同じ匿名の女性が、卒業する20人の山梨県立盲学校の生徒にオルゴールを寄贈しました。
山梨県立盲学校に50年以上プレゼントされるオルゴール。匿名で渡す女性の想いとは?
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「クラリネットのことをきっかけに盲学校の皆さんの日々の努力を知りました。社会の荒波にもまれ、悲しいこと、苦しいこともあると思います。そんな時この小箱をあけて慰めの曲を聴いてください。神様の恵みはいつも皆さんと共にあります。」
というメッセージが添えられていました。
以来、毎年、50年以上、心のこもったオルゴールが送られてきています。
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画像・文章引用元:山梨県立盲学校ホームページ|オルゴールの話
テレビでクラリネットを無くしたことを観た女性が、クラリネットをプレゼントしてくれたことをきっかけに、1965年から50年以上続く、交流となっています。
オルゴールも、卒業生の全員分をプレゼントするのは、手間や時間、コストだって、かなりかかると思います。
それを50年以上、ずっと続けて下さっている。女性の深い愛を感じました。
誰でも、「困っている」と思っても、善意で、これほどまで長い期間、やり続けることは、相当難しいと思います。
それを、「笑顔になれます様に」などの想いで、毎年寄贈して下さる女性の心の温かさには、頭が上がりません。
オルゴールの音色を聞くだけで、笑顔になれる瞬間もある。
友達と笑い合った、学生生活を思い起こすことができる。
学生生活という限られた期間の中で、あの頃にいつでも戻れる、素敵な社会貢献だと思いました。
また、引用元には、そのオルゴールの音が聴こえる動画もございます。気になる方は、是非引用元に貼られている動画をご覧下さい。
私は、オルゴールを
作ってみたいという願望があります。
ハンドメイドを趣味とする前、20代の頃に、よく『オルゴールを作った』という投稿を、SNSで見かけました。
私の中でその頃から、本格的なオルゴールとスノードームをいつかは作ってみたいという憧れがあります。
オルゴールは自分で好きな音を選んだり、入れ物や、中の小物、ネジとかも選べるかもしれません。
ただ、あの当時観ていて、本格的なその2つを作れるのは、東京しかありませんでした。
もし近くに、オルゴール博物館などがあれば、東京に行かなくても、作れるかもしれません。
私が知らないだけで、もしかしたら、福岡県でも作れる施設があるかもしれない。
心地よいオルゴールの音色を聴きながら、眠りにつくことも私の夢です。
自分の手でオルゴールを作ること、オルゴールの音色を聴きながら、幸せな夢を観ること、いつかどちらも叶えたい夢です。
noteでも書いています。よければ読んでください。
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